そしてハンガーは落ち続ける
2018年6月のまんがくらぶに掲載したコラムに加筆修正を加えたものです。
ハンガーにコートを着せて壁にかけたら、ハンガー本体とハンガーのフックを接続していたネジがすっぽぬけてしまった。
コートは自由落下して座敷席の床にクシャッと着地した。どこか安い居酒屋の座敷席で起こった、事件にもならない出来事だ。
僕は落ちたコートを拾い上げ、何度か埃を払い、コートの中のハンガー本体を取り出した。このハンガーは木製で、フック部分だけが金属製になっている。フックの下部がネジになっており、ハンガーに埋まりこんで固定する仕組みだ。このハンガーはその穴が経年で広がりすぎてしまって、わずかな荷重ですっぽぬけるようになったのだと思われる。壁のハンガー掛けを見上げると、本体の切り離しに成功したフックが身軽そうにぷらぷら揺れている。
僕は別のハンガーを探し出し、強度を確認してからコートをかけ直す。分離事故を起こしたほうのハンガーにはフックをふたたび本体に挿し込んで壁にかけた。自重程度では落ちないようで安定している。店員を呼ぼうかと思ったが、飲み物を注文するときについでに告げようと考え直した。
数十分後。烏龍茶を飲みながらふと斜め上にぶら下がるハンガーに目をやる。……あ。そういえば。店員に壊れたハンガーのこと言うの忘れてた。結局その日は店員にハンガーの件を伝えず退店した。
じつは、この経験は二度目だ。座敷席のある店でハンガーのフックが抜けたことがある。そのときも僕はとりあえず見かけだけ直してほったらかした。
これは確率としてはいささか高すぎはしないか。店内メンテナンスのときハンガーが壊れていたらすぐ廃棄されるはずだ。客が壊れたハンガーに出会う確率はかなり低い。
そこまで考えてハッとする。
店員は、ハンガーが壊れていることに気づけるのか? 特に、見かけだけ取り繕われていたら?
メンテナンスでは試運転して動作チェックするが、ハンガーに服をかけるテストはしないのではないか。つまり、「ハンガーに服をかける」というのは客だけがする動作であり、客が破損を取り繕う限り、店員がその不具合に気づくことは永遠にないのである。
フックをもとに戻したのは、僕が最初ではなかったのかもしれない。2番め、3番め。あるいはもっと。誰かが声を上げない限り、ハンガーは落ち続ける。連鎖は終わらないのだ。