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映画『カニバ / パリ人肉事件38年目の真実』

 知人に誘われてドキュメント映画を観に行った。

『カニバ / パリ人肉事件38年目の真実』パリ人肉事件で知られる佐川一政の密着取材映像だ。1981年、フランス留学中だった佐川一政はオランダ人女性を殺害して肉体の一部を食べた。心神喪失と判断され不起訴になって以降、佐川は有名人となる。

 帰国後は小説やマンガの執筆、タレント活動、マニアAVの出演などで稼いで生活していたが2000年頃から仕事は途絶え、ここ数年で脳梗塞を患い、弟に介護されて暮らしている。現在、70歳。


『パリ人肉事件38年目の真実』と銘打たれていることから、過去の事件を再び紐解いていくジャーナリズム映画のようなものを想像したが、実際に観た作品は予想とかなり異なるものだった。

 映画として、まったく面白くないのだ。

 しかも、面白くしようとして失敗したとかではなく、はじめからそういう映像を志向して作られている。映画が始まるとまずスクリーンいっぱいに映し出される、老いた佐川一政の顔。ピントは不安定でボケボケ。カメラは5分ほど無言の佐川一政を映し続ける。この演出は最後までほぼ徹底される。観客は、取材がどんな部屋で行われたかすらわからない。ピンぼけした顔しか映っていないからだ。

 脳梗塞で寝たきりの佐川は動けない。介護するのは弟の佐川純で、取材の受け答えもほとんどは弟が行う。とにかく無言が多く、体感で映像の7割を占めている。佐川が口を開くシーンを合計してもたぶん3分に満たない。やっと喋ってもその内容はとりとめなく、どちらかというと寝言に近い。弟の通訳でかろうじて意図が見えてくる程度のものだ。

 ナレーションや字幕による状況説明もないから、観客に前知識がなければ、そもそも佐川が何をしたのかすらわからない。不親切な映画だ。

 これは眠くなる。実際、私は3回くらい寝た。横長のスクリーンいっぱいに横向きの佐川の顔が映し出されているシーンで寝て、ふと起きたらまだ佐川の横向きの顔が映っていたので笑ってしまった。

 ただ、映画としてのクライマックスにあたる展開は存在する。終盤からラストにかけてある種のどんでん返しのようなものが用意されており、そこで介護する弟の存在感が一気に大きくなる。むしろ、真の主役は彼だったのだと言わんばかりの大転換だ。これは素直におもしろかったけど、基本的に退屈な映画であることもまた疑えない。「ベネチアでのプレミア上映で半数の聴衆が途中退席」を宣伝文句に使っているが、単につまらないから帰ったという客が大半なのではないか。


 このエンターテインメント性の低さは明らかに作り手が指向したものだ。だとしても、なぜこんな刺激的なテーマをこのような形に仕上げてしまったのか、という疑問は残る。

 監督は「これまで佐川一政は安易な怒りの標的になったり、好奇の目で描かれる存在に過ぎなかったが、我々は彼のカニバリズム的欲望をそれに相応しい重々しさで扱うことを試みた」と語る。すなわち、これまでセンセーショナルに取り沙汰され続けた人肉食事件を精確に語りなおそうとする試み。それが顔をアップで写し沈黙を垂れ流す演出に結実した、ということだろうか。

 確かに、この映画を観て印象に残るのは人肉食事件そのものではない。心に深く刻み込まれるのは、佐川一政と佐川純という兄弟の「顔」である。年の割にハリのある肌や唇のひび割れ、チョコレートを力なく咀嚼する口の動き……そういう視覚イメージが観客に強い印象を残す。

 だが、その視点を提供しただけでは「恐怖の食人鬼」という扇情性から逃れたとはいえない。黙してただ示される佐川の表情や兄弟の稀有な関係から「異様さ」を読み取り戦慄するだけでは、結局ワイドショーと大差がないではないか。

 私は佐川一政の顔に興味が持てないし、興味を持つことが良いとも思えない。もしもこの映画を観て佐川の顔が異様に映ったとすれば、それは佐川一政が殺人者だからでも食人者だからでもなく、ましてや佐川一政が特別な人間だからでもない。人間の顔というものはもともと異様なのだ。特に、老いて衰弱した人間の顔は、それが誰かなど関係なく心を騒がせるものがある。

 佐川が見せる僅かな機微や取り留めのない言葉に特別な意味をもたせてもたいした実りはないと思う。老いや病気は人をそういう状態に導く。彼は単に衰弱しているだけなのだ。それが佐川に神秘性をまとわせるとしたら錯覚だ。

 この映画について、中村うさぎはこんなコメントを寄せている。


十年前に会った佐川一政は饒舌な虚言者だった。今や彼は沈黙し、その弟が兄の分まで張り切って己の性癖を開陳する。変態なんて珍しくないし、カニバリストは佐川だけではない。でも二人は、自分たちを特別な存在だと思っている。いや、思いたがっているようだ。自分が特別であることを証明せずにはいられぬ病……兄弟のこの宿病は、我々にとっても決して他人事ではない。だからこそ、彼らは痛々しいほど凡庸なのである。

http://caniba-movie.com/about.php


『カニバ』の極度に退屈な構成には、これまで積み重ねられた扇情的な報道に対するアンチテーゼが込められているのだろう。しかもこれは「佐川という人間の異常性を、言葉で語らずに映像で示す」という種類のものではなく「そもそも佐川に異常性などあるのだろうか?(異常だとして、それはそこまで異常な『異常』なのだろうか?)」という、より深い問いかけなのではないか。たしかに長々と映し出される佐川の顔は観客の心をざわつかせるが、そもそも人間全般にそのような性質が備わっているとすれば、佐川がこの異様さを独占しているわけではない。

『カニバ』は「カニバリズム的欲望」と向き合った結果、カニバリズムの取るに足らなさを暴いてしまっている。変態も殺人者も食人者もこの世界にはたくさんいる。犯した罪を飯のタネにしてはばからない精神性の持ち主ですら数え切れないほどいる。いまの佐川一政は病気の要介護老人である。中村うさぎが言うように、佐川兄弟は凡庸な存在なのだし、もしかしたら最初からずっとそうだったのかもしれない。そして、そんな個人が引き起こした凡庸な事件とは全く無関係に人間は異様だ。だからここに映っているのは本当は佐川一政でなくてもよかった、と思う。もしこの映画が通常の意味で面白かったならば、私はそこに思い至らなかっただろう。



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品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)
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