オアシス再結成と聞いて
2024年8月27日、オアシスの再結成がオフィシャルより発表された。
オアシス再結成・・・正直言ってビッグ・サプライズ!!!って感じじゃなかった。解散後ずっと再結成の話は彼らにまとわりついていた。そして彼ら自身もはっきり否定することもなく、実にこの兄弟らしい過激でユーモラスなお互いへの悪口で濁すというのがお決まりだった。否定しないということは、ひょっとしたらそのうちあるぞ・・・?というのがファンの共通認識だったと思う。時折メディアも「オアシス再結成!?」みたいな見出しの記事を載せ、その後続報がないままに鎮火。しばらくするとまた・・・これが繰り返されてきた。解散が2009年なので、ファンは15年間ちゅうぶらりんなまま期待し続けていた。そしてついに、みんなが待ち焦がれていたその瞬間がやってきたというわけだ。おめでとうございます。大好きなオアシスがついにみんなの前に戻ってくるよ!で、僕はというと・・・
注)さて、ここから僕の過去を振り返る自分語りになっていきます。昔話は嫌われる傾向にあるようです。俗にいうマウンティング。でもね、誰かが夢中になったバンドやミュージシャンとの出会いの話って興味深くないですか?渋谷陽一のレッド・ツェッペリンや松村雄策のビートルズ、田中宗一郎のクラッシュでもいいんだけど、彼らがそれらに触れたときの感動や衝撃、与えられたものや受け取ったものだったりの話って読んでてワクワクしませんか?僕は大好きだし、それが自慢だとか思ったことがないんだけど。こういうのを例えばしょうもない武勇伝とかと一緒にされると頭にくんだよね!ということで、以降昔話におつきあいください。
1994年8月にオアシスのデビューアルバム「ディフィニトリー・メイビー」がリリースされたとき、僕は17歳、高校2年生だった。先日ニシケンのインタビュー
でも話が出てたけど、当時の僕はとにかく寝ても覚めても音楽ばかり。一日中音楽を聴いて、レコード屋に行って、音楽雑誌を読んでばかりの日々。学校で仲のいい友達も音楽好きが多くてお互いに良い曲を教えあったり、カセットテープや音楽番組を録画したVHSを交換しあったりしてた。94年といえばベックの『メロウ・ゴールド』、ウィーザーの『ウィーザー(ブルーアルバム)』、グリーンデイの『ドゥーキー』、ビースティ・ボーイズの『イル・コミュニケーション』、ナイン・インチ・ネイルズの『ザ・ダウンワード・スパイラル』、ジェフ・バックリィの『グレース』、ブラーの『パークライフ』等々、所謂名作アルバムが数多くリリースされた年だった。シャンプーの『トラブル』もこの年。カート・コバーンが死去しニルヴァーナは解散。グランジ(僕たち田舎の高校生でもファッションにグランジ風味を取り入れるくらい流行してた)は終焉に向かい、イギリスではブリットポップの萌芽が見られ始めるという転換期の節目といえるのが94年だった。
そんな年にオアシスはデビューした。日本の音楽雑誌でもそこそこ期待の若手扱いされていたと思う。なのでどんなバンドだろう?と聞いてみた。ビデオも見た。が、最初はそれほど印象に残らなかった。当時はとにかく同時期の他のバンドやアーティストがすごかったからなんじゃないかなと思う。なのでさらっと聴いた程度だったように思う。前述したように高校生の頃は友達とカセットテープをよく交換していた。それぞれのセンスを詰め込んだ60分なりの今でいうプレイリスト。ここにオアシスがデビュー盤からは入れていなかったと思う。94年のテープにはビースティー・ボーイズの「ルート・ダウン」、ジェフ・バックリィの「モジョ・ピン」、ベックの「ルーザー」なんかが入っていた記憶がある。懐かしい。
当時はインターネットなんてものはなく、携帯電話すらなかった。早い人はポケットベルを持っていて、学校の5分休みには公衆電話にダッシュして高速でピポピポ打ち込むくらい。そんな時代なので海外の音楽の情報源といえばほぼ音楽雑誌のみ(TVではBSでCGの渋谷陽一が海外アーティストを紹介していてPVを流す番組があった。あとは福岡民なら「ムーンウォーカーズTV」などくらい)。なので食い入るように隅から隅まで目を通すわけで、そこに毎号オアシスのニュースが書かれていた。それがどれも無茶苦茶なことばかり。ホテルを破壊したとか、兄をタンバリンで殴ったとか、船で知らない奴らと喧嘩したとか派手なお騒がせニュース。当時は僕も若かったし、そういうニュースを聞くとなんというか、「こいつら格好いいのかも!?」みたいになるわけですよ。17歳のガキですから。過激なものほどサイコー!
で、改めてオアシスをちゃんと聴くわけです。季節はその年の冬、クリスマス商戦用にリリースされた「ホワットエヴァー」。良いかもって思った。でも過激なニュースとオアシスの楽曲のイメージがどこか乖離しているように思えちゃってた。「彼らにはパンクのアティチュードがある」ってライナーか音楽雑誌に書いてあったんだけど、当時の僕にはそこがピンと来ず、なんかどの曲もバラードみたいだなって印象があった。前年まで「音楽は速さこそ最高!」ってメタルばかり聴きまくってて、地元のレコード屋さんに「一番早いのを頼む!」ってナパーム・デスのファーストアルバムを取り寄せてもらったけど「なんだこれ・・・」ってなってたくらいだったから耳も不安定だったんですね。例えば前述のジェフ・バックリィや、あと当時大好きだったR.E.M.のバラードナンバーは耳にすんなり入ってきたんだけど、オアシスはピンと来ない時期があった。「ホワットエヴァー」以降はメディアからの取り上げられ方も大きくなって、有名バンド化していくんだけど、俺には合わないのかなと思っていた。
このころブラーはよく聴いてた。PVもオシャレだったし、当時は映画も好きになってた(例えば『パルプ・フィクション』が94年)ので「『パークライフ』デーモンと一緒に歌ってるのはフィル・ダニエルズ」なんだよ」なんて。モッズカルチャー等にも興味はあったし、古着も好きになってたのでイギリスのミュージシャンが着てるベッケンバウアー・ジャージかっこいいな。やっぱイギリスはオシャレやな!って。学校の友達にもスウェードやスーパーグラス等は人気あったし、好きなのはそっち方面にシフトしていってた。
翌年、僕は高校最終学年。オアシスのセカンドアルバム『モーニング・グローリー』が発売されるときにはかなり話題になっていた。普段は音楽の話を全くしないクラスメイトがモーニング・グローリーが発売されたねって話題にしていたのを覚えてる。それくらい認知されていた。これまでの経緯から若干僕の中で諦めかけていたオアシスを聴いてみることにした。
最高だった。本当の本当に最高だった。一聴した瞬間から最高だった。ボーカルと演奏のふてぶてしさと存在感。傍若無人でラウドな音なのにとんでもなく綺麗なメロディ。全ての曲がシングルレベル。俺たちが世界をひっくり返してやるという意思。唯一無二とはこのバンドのこの曲たちのこと。たちまちオアシスに心を奪われた。恋をした。僕は一生このアルバムを聴き続けるんだろうと確信した。
この後ファーストアルバムを改めて聴くと、全然違って聴こえた。彼らはロックンロールスターなんだ。彼らは他の誰でもない、彼らなんだとはっきり分からせられた。なんてカッコいいんだろう。夢中になった。部屋中オアシスのポスターだらけ。彼らのアティチュードに心酔し、ファッションも真似し、彼らの一挙手一投足を追うようになった。ブリットポップ・ムーブメントにドはまりして、終焉まで付き合うことになった。
記憶があやふやなところもあるかもしれないけど『モーニング・グローリー』の曲はほとんどシングルカットされていたはず。表題曲である「モーニング・グローリー」もオーストラリア盤だけ出たんじゃなかったっけ?とにかく、多くの曲がシングルカットされたんだけど、そのB面曲がまた名曲揃いだった。他のバンドならこれ全部A面だろ?ってよく言ってた。「アクイース」「ロッキンチェアー」「アンダーニース・ザ・スカイ」等々。B面集の『ザ・マスタープラン』で全部聴けるね。オアシス無敵だな!って思ってた。無敵って言っても「オアシス最高!他のはダメ!」とかじゃなくて「良いバンドたくさん!でもオアシスが一番すごい!」ってこと。オアシス自身というかリアムとノエルは他のバンドをこき下ろすことはあったけど、僕も同調して嫌いになるなんてことはなかったな。
「ゼア・アンド・ゼン」という96年にマンチェスターで行われた(僕的に)絶頂期のライブを収められたVHSが発売された。何度も何度も見た。セカンドまでの曲ばかりで最高。ところで同年に行われた有名なネブワースでのライブ。そちらの音源は21年にライブ盤としてリリースされていて、そこではサードアルバムから新曲として「マイ・ビッグ・マウス」も演奏されている。セカンド期のオアシスっぽい曲なので違和感無く当時のオーディエンスにも受け入れられていたと思う。ゼア・アンド・ゼンの頃にもやってたのか少し気になってる。
で、これは僕だけの感想かもしれないけれど。ゼア・アンド・ゼンの映像を見たときに「ん?」って思った場面がいくつかあって。舞台の演出とかで「ん?」もあったけどまあそれはいいとして。ライブのサポートメンバーの存在。例えば「ザ・マスタープラン」の時に(だったと思う。間違えてたらごめん)堂に入ったブルースハープのサポートが入ってくる。ストリングスはまあわかるんだけど、コーラス隊がいる。これになんとも言えない違和感を持ったんだ。演奏を良くするためにサポートアーティストを入れるのは勿論分かるんだけど、俺にとってのオアシスってステージに5人だけで立ってるものなんだよね。たった5人のメンバーが世界に立ち向かっていく構図。なんの後ろ盾も取り立てた技術ももたない、何物でもないとされている若者が、各個たる自信とそこから生まれた奇跡の楽曲だけを携え、がにまたで一歩踏み出していく姿。それがオアシスだと思っていたので、曲を良くしようとするためにってのは分かる、分かるんだけど…って。
97年、サードアルバムの「ビィ・ヒア・ナウ」がリリースされる。セカンドの世界的ヒットの後なのでこれ以上ないほどに期待されていたので相当なプレッシャーが予想されるところだけど、あの傍若無人なオアシスだからきっと大丈夫!って思ってた。ただ、リリース前の雑誌記事に「ドラムを天井からつるして録音している」とか「シングル曲が長い」とか「?」って情報が多く一抹の不安もあった。
(後日加筆します)