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大規模言語モデルが齎らす、法律/ルールのデザイン #裏legalAC

裏 法務系 Advent Calender 2023#裏legalAC)でのエントリ。

2023年の産業界では大規模言語モデル(Large Language Models、LLM)が全世界的に話題を攫った。インターネット技術出現以来の産業構造の転換の可能性が指摘され、知能のイノベーションとして、各領域でこの技術なしで生産活動が行われることがないとさえ考えられる。

従来までの法律/ルールの一般的な考え方

現在に至るまで法律やルールというものは、国という単位で国家権力が統治可能な範囲で(基本的には)一律に適用され、校則は学校の中で一律に適用され、就業規則は企業の中で一律に適用される。

予測可能性の見地から予めルールは規定/公開され、一律のルールが適用されながらも、実際の罪刑を決定する上では情状の観点から、個別事情が斟酌される。ルールの範囲内で、為政者から委任を受けた者により合理的決定がなされるというデザインで設計されている。

一律のルール設定は国家という単位、企業という単位ではあまりに広すぎ、事象は時と場合によるものなのだから、合理性を欠くことも予め設計段階で備えられる形跡も見られる。例えば交通規制においては同一の場所においても時間帯によって異なる規制を適用する事を念頭に置いているし、企業においても職種や地域に応じて働き方に対する規制を緩和する動きも見られる。

但し、基本的には一律に適用されることを前提にルールはデザインされる。それは多くの場合、コストの問題に帰着されるのだと思料する。平等原則は合理的範囲内で一定の差を生むことを許容し、事実先述のようにルールは予め異なる規制を適用することもあるし、罪刑の決定においても予め幅を用意することにより、むしろ個別事情における合理的判断を促そうとされている。

インターネットテクノロジの個別斟酌性

しかしながら現代社会においてはその個別事情の斟酌すらも、一律性の高低の違いに過ぎない。例えばインターネットテクノロジはマーケティングにおけるターゲティングセグメントの一律性の網を細かくした。

従来までもテレビコマーシャルにおいて自らの商品のターゲティングユーザが多く視聴する番組、時間帯に個別にコマーシャルすることにより効率性を追求した。しかしながら実際の番組視聴にはターゲティングユーザ以外の視聴者も多く含まれ、視聴当たりのフリークエンシーに疑問の声も上がることとなった。

それに比べ、デジタルマーケティングは細分化されたターゲティングユーザに届けることが可能となり、CPAの効率性が高まり、企業側の合理的判断としてデジタルマーケティングの出稿額が全世界的に高まることとなったのは歴史的事実である。

マーケティングにおける個別斟酌性は一例に過ぎない。移動手段においてもインターネットを活用したライドシェア、タクシー配車を個別の人員の居場所データと配車側の居場所をマッチングさせ、効率的にマッチングさせる仕組みが全世界的に普及させている。他にも投資、恋人、不動産、旅行など、様々な分野で今まで大資本による一律のコマーシャルによる選択肢しかなかったものが、インターネットテクノロジにより個別のマッチングを可能にさせている。

個別事情を斟酌し、個々の事情において合理的判断を促し、選択をさせることにインターネットテクノロジが優れていることは疑いようのない事実であろう。

契約における個別事情の斟酌

思えば法律相談における付加価値は法律を記憶しているかどうかよりも、目の前の相談相手における幸福追求において、どのような着地、法的決着が依頼者の真意に沿うかどうかという観点で検討されることとなる。一律の処理ではなく、個々人の依頼者の事情を斟酌しながら処理を個別決定することとなるのは当然である。

同様に、優れた法務部員においてどのような契約書が届いても同一の契約レビュー、修正処理をするのではなく、自社と取引先の長年の取引慣行を理解した上で契約処理を行うこととなる。契約関係は実務遂行前に双方に権利義務を設定することによりその後の個々の取引を円滑に遂行するために存在するものである。実務が一律の処理があり得ないように、それを支える契約も同様である。

つまり契約書レビューにおいてもインターネットテクノロジにより個別事情の斟酌を可能とする傾向にある。優れた法務部門はCRM(顧客管理システム)に記載された自社と顧客の状況を的確に把握してから、契約書レビューを行なっている。従来までも対面で事業部門とヒアリングすることにより可能としていた個別事情の斟酌を、CRMにより容易に、かつ組織的に顧客関係を定量的に把握することが可能となっているのである。

大規模言語モデルの個別斟酌性の破壊的革新

大規模言語モデルの技術革新は従来までのデータ量、モデルパラメータ量、計算量が(従来までの比ではない)大規模にすることにより、私たちが今まで労働集約的に行なっていた知的労働を代替するまでに至る生産活動を実現することができている。

実際にエンジニアはGithub Copilotを前提に仕事をしているし、デザイナーは生成AIの恩恵を格段に被っている。世界でわかりやすくそのイノベーションを体感するには2024年中にMicrosoftがWordなどのドキュメントソリューションに、Googleがメールやカレンダーソリューションに高度に組み込んだときである。

我々が現在触っているGPT(Generative Pre-trained Transformer)の課題も日進月歩で解決に向けた研究がされている。プロンプトにより正確性に欠く情報提供がなされる課題や前後の文脈把握の引用数の課題、そして倫理的な課題である。ソフトウェア技術なのだから、課題は解決されていく。

ChatGPTはLLMの1つのソフトウェアの片鱗に過ぎないが、それでも個別の質問に対し、ファーストドラフトとしては極めてレベルの高いチャット形式で回答を得られる初めての体験となった。プロンプト次第であらゆる質問に回答してくれるその魔法のような体験に世界中が震撼することとなった。

高度な個別斟酌が技術により可能となったとき(そして可能となることは時間の問題である)、最適なルールデザインについて本格的に議論/研究を進めるべきだと思料する。

本来私たちが実現したかったルールデザイン

個別事情の斟酌は可能となる。

その時本来私たちが実現したいルールデザインとは何かを真剣に、スピーディーに議論/研究をする必要がある。正しいルールとは何なのか。規範や正義とも絡む複雑性、そして政治性の伴う事象のため、実務上の実装には時間がかかるであろうが、研究、アカデミズムレベルにおいては実証が容易な分野である。

例えば交通規制である。

同一の高速道路で、ほとんど交通量がなく事故可能性がないときと、交通量が多く事故可能性が高いときにも同様の速度制限、交通規制が課されるのは合理的なのであろうか。

衛星やセンサー技術の発展から交通量の正確な把握が可能であり、交通量に応じて適切な速度制限を設定することは可能になる。一律な制御が適切かは議論されて然るべきである。子供の移動量が多いことを放課後などの時間帯という大雑把な特定でなく正確な把握が可能となるとき、規制は今のままでいいのだろうか。

無論交通規制は一例であり、個別事情の斟酌はあらゆる領域で可能となり、可能にも関わらずそれを斟酌しないルールデザインが維持されるのは妥当なのであろうか。個別規制の是非を法律レベルでソフトウェアに委任するかどうかは、権利的、倫理的、、政治的決定の問題となるであろう。

21世紀という百年単位で見れば、法律、ルールレベルで革新的に変革する分野は同分野であろう。そしてLLMがそれを可能にさせ、世界的コンセンサスも取れ始め出す。その時代の端境期にいる我々は何に貢献し、何を目撃し、賛成/反対の意思を表明し、そして正義の一翼を担うのだろうか。確かに言えることは、時代が動く足音を私たちは今確かに聞こえているのだ。


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橘 大地
お読みいただきありがとうございます( ´ ▽ ` )ノ