ターミナル
私は、ターミナルにいる。
青い背もたれのあるベンチに座り、目の前に広がる大きなガラス窓から外を眺めている。
あいにくと外の景色は真っ白だ。
霧で覆われているように何も見えない。
しかし、その殺風景な景色を見ても退屈にはならなかった。むしろ面白くてじっと見続けてしまう。
私を呼ぶ声はまだしない。
呼ばれたらここを去らなければならないと思うとどうにも寂しい気持ちになる。
もうここで自分のすべきことはないことは分かっているのに、いざ去るとなると戸惑ってしまう。未練がましく感じてしまう。
「幾つになっても大人にはなれないもんだ」
私は、1人愚痴り、背もたれに寄りかかる。
「耕助」
名前を呼ばれて私は振り返る。
そこに立っていたのは仕立ての良いスーツを着た40絡みの男だった。
私は、その姿を見て微笑んだ後、呆れた顔を浮かべる。
「なんか随分と若作りだな」
「お前が分かりやすいように初めて出会った時の姿できたんだよ」
そう言って私の隣に座る。
「初めて出会ったってそんなの覚えてねえよ」
「俺はしっかりと覚えてるよ」
男は、微笑む。
「人生最良の時だったからな」
そう言われて私も思わず微笑んでしまう。
「お袋は?」
「あっちで料理作ってるよ。お前に食べさせたいんだと。何せ随分と作ってやってなかったからって」
「そりゃ楽しみだ。なんせもう味も忘れかけてたからな」
「ひどいこと言うな」
男は、呆れる。
「人間の記憶なんて曖昧なもんだぜ」
「生意気なことを」
そういってお互いに笑い合う。
私は、窓を見る。
景色は相変わらずに白い。
「色々あったな」
「そりゃ生きてりゃ色々あるさ」
「覚えてるかい?一緒に海に遊びにいった時のこと」
「覚えるさ。夏休みになると毎年言ってたからな。泳いで、焼きそば食べて、掘って集めて」
「それをお袋が味噌汁にしてくれたな。砂の抜けてないジャリジャリの」
私は、笑う。
「ああっ思わず吐き出したな」
「汚いってお袋怒ってたな」
「真っ赤に日焼けして痛くてな」
「水道で冷たくしながら風呂に入ったよね」
懐かしい。
あの頃はなんとも思っていなかったのに今は何よりも輝いている。
それこそあの時遊んだ海のように。
「なあ」
「なんだ?」
「あんた俺のことどう思ってたんだ?」
「どうって?」
男は、怪訝な顔をする。
私は、少し言い淀みながらも話す。
「俺って出来が良くなかったじゃん。
頭も悪いし、運動も出来ないし、いいところなんて一つもなくてお袋なんていつも怒ってたじゃんか。
それなのにあんたは何にも言わなかった。いつも黙って座っていた。だからどう思ってるのかまったく分からなかった。
なあ、どう思ってたんだ?」
私に言われ、男は困ったように顎をさする。
「どうって言われてもなあ」
男は、宙を見上げる。
「可愛いと思ってた」
「はあっ?」
男の予想もしなかった返答に思わず素っ頓狂な声を上げる。
「いつだって可愛いと思ってたよ。どんなに出来が悪くたってなんだってお前は俺の大事な存在だ。可愛い以外に何がある?」
むしろお前こそ何を言ってるんだという口調で男は言う。
「でも、あんた達の理想とは違ったろう?」
「でも、ちゃんと就職して働いてくれたろう。結婚して孫も見せてくれたろう。曲がった道にも行かなかったろう。それに・・・」
男は、真剣な表情で俺と向き合い、にっこりと笑いかける。
「幸せだったよ。お前がいてくれて」
窓の外の霧が晴れる。
どこまでも透き通った青空と光りがターミナルを照らす。
私の目からは気が付いたら止めどなく涙が溢れていた。
「そろそろ出発だな」
男は、立ち上がる。
「ほら行くぞ。母さんが料理を作って待ってる」
男は、私に手を伸ばす。
私は、その手を取り、立ち上がる。
「今度は、お前がお前の家族を迎えてやるんだぞ」
「ゆっくり来てほしいもんだ」
「お前はゆっくり過ぎだったけどな」
男は、笑う。
私も笑った。
「ありがとう。親父」
男は、親父はにっこりと微笑んで俺の手を握る。
私のターミナルは静かに終わりを告げた。
了