ジャノメ食堂へようこそ!第5話 私は・・・(2)
絶対に美味いに決まっている。
鼻腔の奥で弾けるような匂いがウグイスの、オモチの、アズキの、そして屋敷の中にいる家精の食欲と胃袋を叩きつける。
アケは、そんな四人の様子を見て頬を緩めながら白い深皿に炊き上がった白飯を盛っていく。
「ジャ……ジャノメ〜」
ウグイスが緑色の目を輝かせ、ペタンコなお腹を両手で押さえながら訊いてくる。
「この匂いって……何て言うの?こんな痺れるような匂い……初めて……」
ウグイスは、香りに惚れ込むように頬を赤く染めて訊いてくる。
その後ろでオモチが、屋敷の中で家精が同意するように頷く。
そう言えば……確かにこんな匂いは自然にはないか…。
「そうですねえ。言葉にするなら……」
アケは、人差し指を口元に当てて考える。
「辛美味い?」
「か……から?」
ウグイスは、形の良い眉を寄せる。
アケは、大鍋を掻き回してお玉を掬う。
茶色とも黄色とも言えない、しかし食欲を唆る液体がお玉から白米に掛けられる。
その瞬間、辛美味い匂いが香りに変化する。
ウグイスは、涎が流れるのを堪えることが出来ない。
アケは、綺麗によそった深皿をウグイスに渡す。
それは色合いと香りの圧倒的な暴力であった。
鮮やかに輝く黄茶色のどろりとした液体、その上を宝石のように輝く人参、ジャガ芋、玉ねぎ、鶏肉、そして笑うように見え隠れする白いご飯。
完璧なまでの美しい姿と香りにウグイスは目を輝かせて息を吐く。
「カリです」
アケは、にっこりと微笑む。
「どうぞご賞味ください」
「「かっらーい!」」
三日月の浮かぶ夜空に大声が響き渡る。
しかし、その声に苦痛はない。
むしろ言葉を発した全員の目が喜びに輝いていた。
ウグイスは、木の匙を握ると目の前にあるカリを勢いよくかけ込んだ。
「辛い!美味しい!」
ウグイスは、嬉しそうに頬を緩めながらカリを味わう。
「美味い!辛い!」
オモチは、匙を使うのが面倒になり、顔ごと皿に突っ込んで白い顔を茶色く染める。
「辛いけど……まろやかですね」
家精は、品よく匙を使って口に運ぶがいつもよりも食べるペースが速い。
アズキに至っては食べていると言うか飲むようにがっついている。
アケは、みんなが喜んで食べてくれているのを見て胸が温かくなるのを感じ、口元を綻ばせる。
みんなが自分の作った物を喜んで食べてくれる。
それだけで幸せだ、と心の底から思える。
アケは、自分用によそったカリを見る。
「あの人も……喜んでくれるかな?」
アケの脳裏に長い黒髪の金色の双眸を携えた美しい男の顔が浮かぶ。
彼が自分の作ったカリを食べて嬉しそうに「美味い」と言ってくれる姿を思い浮かべるだけで胸が熱くなる。
(明日は……来てくれるかな?)
「どうしたの?」
ウグイスがアケの顔を覗き込んでくる。
「顔赤いよ?」
ウグイスの言葉はアケは、心臓がまほろび出そうになる。
「何でもありません!」
アケは、語気を強めて良い、カリを口に運ぶ。
「ちょっと辛かっただけです!」
そう言ってカリをモグモグ咀嚼する。
ウグイスは、ふーんっといやらしく目を細めてアケを見る。
アケは、逃げるようにぷいっと目を反らすと闇に隠れるように鎮座する黒狼が目に入る。
黒狼は、黄金の双眸を細めて、いつものように山のように盛られた黒い豆を齧っていた。
アケが猫の額に来た次の日、ジャノメ食堂の最初のお客である小鬼三兄弟に振る舞った鹿肉と葉物のトマトご飯をおにぎりした物を出して以来、黒狼はアケの作った物を食べてくれない。
出さなかった訳ではない。
次の日も、その次の日もアケは彼に見合う大きな皿に料理を盛って提供したが「今日はいい」と断り続けられ、いつしか作らなくなってしまった。
黒狼もそのことに対して何も言わなかった。
アケは、それを酷く寂しく感じていた。
「ねえ、ジャノメ!」
カリを食べ終わって盛大に口元を汚したウグイスが嬉しそうに声を掛けてくる。
「はいっ」
アケは、黒狼の様子に後ろ髪を引かれながらも振り返る。
「これってどうしてこんなに辛いのに美味しいの?」
ウグイスは、興奮に鼻息を荒くする。
「うーんっそうですねえ」
アケは、困ったように頬を掻く。
「鶏肉やお野菜からたくさん美味しいお出汁が出てるのもありますけど、一番は香辛料ですかね」
「香辛料?」
聞き慣れない言葉にウグイスは首を傾げる。
その隣で白兎から茶兎に変貌を遂げたオモチがポンっと両手を叩く。
「ひょっとしてこの前頼まれて採ってきた草や木の根?」
ウグイスの言葉にアケは頷く。
「どう言うこと?」
ウグイスは、眉を顰める。
「ちょっと前にジャノメに良い香りのする草や木の実、木の根があったら採って欲しいって頼まれてアズキと一緒に出かけたんだ」
オモチの言葉に頷くようにアズキはふぎいと鳴く。
アケから頼まれた二人は山や森の奥に入っては匂いの強い草を取り、木の根を掘り、固くて食べれなそうだけど良い匂いのする実を採取した。
「アレがカリになったの?」
「正確にはアレらを精製したものですけどね」
アケは、その時のことを草臥れたように思い出す。
山程持ってきてくれた草や根から香辛料になるものを探すのには苦労した。何せこの場にはない本の知識を思い出しながらの作業だった。実際、精製したものの使い物にならなかったものも幾つもあるし、下手したら毒なんじゃないかと思うものまであった。
何度も試してようやく白蛇の国でも使っていたものと同じ物、もしくは似たような物が数種類出来たので香辛料を使った代表的な料理、カリを作ったのだ。
「つまり私達は毒味に使われたってことね」
ウグイスは、じとっと緑色の目を細めてアケを睨む。
アケは、はははっと乾いた笑いを上げて蛇の目を反らす。
「まあ、美味しかったからいいけど」
そう言っておかわり!と深皿をアケに渡す。
アケは、お詫びと言わんばかりに少し多めによそってウグイスに返す。
「でも、なんで香辛料なんて作ろうと思ったの?」
聞いてるだけでもとんでもなく大変そうだし、そんなもの作らなくてもアケの料理は充分に美味しいのに。
「うーんっ実は香辛料を作ろうと思った訳ではないんです」
アケの言葉の意味が分からずウグイスは眉を顰める。
「調味料が大分減ってきたので手作り出来ないかな、と思って」
「なるほど」
屋敷の中にいる家精が頷く。
彼女だけは口元が少しも汚れていない。
「確かに屋敷の中にもほとんど在庫がないですね」
アケが来る少し前まではもう仕舞いきれないくらいあったのが一ヶ月で驚くほど減っている。
それはジャノメ食堂が繁盛していることを表すのでとても嬉しいことではあるのだが……。
「……何が足りないの?」
美味しい物が食べられなくなるかもしれない、そう不安にかられたウグイスの顔が青ざめる。
「胡椒はこの前オモチが採取してきてくれたのがあるから大丈夫です。お砂糖は近くにきびの群生を見つけたので精製出来ると思います。お酒も葡萄や粟を発酵させれば出来ます」
「ジャノメって本当になんでも出来るね」
ウグイスは、感心を通り越して呆れてしまう。
「……いや、本で勉強しただけです」
アケは、恥ずかしそうに頬を赤らめて顔を背ける。
本と言うのがよく分からないけど一度、見てみたいとウグイスは心の底から思った。
「今、聞いてるとほとんど足りてるように聞こえるけど何がないの?」
「……お塩です」
「お塩⁉︎」
ウグイスは、緑色の目を見開いて驚く。
「お塩ってあのお塩⁉︎あの物凄くしょっぱい脇の汗の固まったようなやつ⁉︎」
凄い食欲を無くす表現だな、と思いつつもアケは頷く。
ウグイスは、心底信じられないと言った表情を浮かべる。
「お塩って料理では一番重要なんです」
ここに来て料理をする時に一番最初に聞いたのが塩があるか否かだった。
お肉に一振りするだけで旨味が増し、出汁に一つまみ入れるだけで具がなくても立派な吸い物になる。
それぐらい塩があるかないかで料理の味の良し悪しが決まると言ってもいい。
それが無くなり掛けてるということは料理の根幹を揺るがされていると言っても過言ではない。
しかし……。
「お塩ばかりは作れないので……」
塩の原料は海水。
つまり海だ。
飛竜に乗らないとたどり着けないような山である猫の額にあるはずがない。
そう説明するとウグイスはがっくりと肩を落とす。
「そんじゃあ下手すると次の貢物が来るまで美味しい物が食べれなくなるかもしれないのかあ」
ウグイスが絶望するように天を仰ぐ。
オモチやアズキも嘆くように顔を下に向ける。
しかし、その答えが間違っていることをアケは知っていた。
白蛇の国から次の貢物が来ることはない。
何故なら白蛇の国にとってアケこそが最後の貢物なのだから。
「……まあ、でも……」
ウグイスは、緑色の髪の毛を掻く。
「ジャノメを貢物にするような奴らがくれる物に頼りたくないなあ」
「……えっ?」
アケは、蛇の目を大きく見開く。
「そうだね」
オモチは、鼻をヒクヒクさせて頷く。
「そうですわね」
家精も左手を頬に当ててうんうんっと首を縦に振る。
アズキもふぎいっとみんなに同意するように大声を上げる。
アケは、胸元をぎゅっと握りしめる。
優しさが痛いくらいに心に染み渡っていく。
そして思った。
この人たちを傷つけるだなんて自分には出来ない、と。
「よし決めた!」
ウグイスは、パンと柏手を打つ。
アケは、驚いて視線をウグイスに戻す。
「ジャノメ!」
緑色の双眸がアケを見る。
「はいっ!」
アケは、震える声で返事する。
ウグイスは、それをびっくりしたのだと思って面白そうに笑う。
「お塩作ろう!」