クールで知的なオミオツケさんはみそ汁が飲めない 第八話
オミオツケさんは、椅子に座り、目にハチマキを巻いた。触り心地がとても薄かったのに目の部分に巻きつけると途端に闇が視界を覆い隠す。
特訓の内容はこうだ。
視覚を閉ざした状態でランダムにお椀の中身を飲んでいく。
オミオツケさんは、いつ来るか分からないみそ汁に備えて気持ちを落ち着かせて、平静を保ち、舌がみそ汁を感じても動じず、現象が起きなければ成功、と言うことだ。
まるでいつ、どこで仕掛けが動くか分からないお化け屋敷で驚くなと言われているような気分で、そんなの動揺するな、と言う方が無理な話だ。
(クール、クール)
オミオツケさんは、心を、平静に冷静に保てるよう自らに催眠術をかけるように言い聞かせる。
「それじゃあ始めます」
レンレンの和やかな声が耳に入ってくる。
「オミオツケさん、お手数ですが匂いが分からないよう鼻を摘んでから器を取ってもらっていいですか?」
「……テッシュを鼻の穴に詰め込んだらいいんじゃないの?」
「……それはやめましょうか」
レンレンは、少し引き気味に言う。
女の子同士では特に珍しい会話ではないが男の子は違うのだろうか?とオミオツケさんは首を傾げながらも自分の小さな鼻を指で摘み、もう片方の手で器を取ろうとして……気づく。
器が見えないことに。
緊張し過ぎて肝心なことに気づいてなかった。
レンレンもそれに気付いたのか「あっ」と声を上げる。
どうしよう……このまま手を闇雲に伸ばしてお椀をひっくり返したら元も子もない。
悩みあぐねるオミオツケさんの耳にレンレンの予想外の言葉が飛んでくる。
「俺が持たせますね」
「えっ?」
そう言うや否やオミオツケさんの鼻を摘んでない方の手に固い温もりが触れる。
レンレンの手だ。
ゴム手袋をはめてるのにその感触と温もりがしっかりと伝わってくる。
レンレンの手が優しくオミオツケさんの手に触れてゆっくりと持ち上げる。
ハチマキに目を覆ったオミオツケさんの顔が弾けんばかりに赤く染まる。
「ちゃんと握ってくださいね」
そう言ってオミオツケさんの手にお椀をゆっくりと持たせる。
しかし、オミオツケさんはレンレンの手の感触にばかり意識がいってお椀を上手く持つことが出来ない。
レンレンは、それを"意外と不器用なんだな"くらいにしか思わず、口元まで運ぼうと彼女の手を握ったまま動かす。
オミオツケさんもそれに気付き、さらに舞い上がって止めようとするも時既に遅し。
お椀の端が唇に触れて、中の汁が流れ込んでくる。
とろりっとした濃厚な甘味が舌に絡みつき、喉の奥に入り、口の端を溢れる。
これは……。
オミオツケさんは、喉を鳴らしてから口を開く。
「コーンスープ?」
オミオツケさんは、恐る恐る訊く。
「正解です」
レンレンは、嬉しそうに言う。
顔は見えないがいつもの和やかな笑みを浮かべてるであろうことが想像ついた。
「良かったです」
レンレンは、ほっとしたように言う。
「なんか凄い動揺してたからみそ汁と勘違いして反応したらどうしようか、と思いました」
そんなに動揺してたんだ……。
オミオツケさんは、自分の頬が熱くなり、心臓がバックン、バックンと高鳴るのが耳の奥から響いてくる。
そこに更なる追撃が来る。
オミオツケさんの口元に柔らかい感触が伝わる。
敏感になっていたオミオツケさんの感覚がそれがタオルハンカチであることを伝え、更に丁寧に拭かれていることを告げた。
レンレンに。
「………………っ!」
オミオツケさんは、声にならない悲鳴を上げる。
その声に驚き、レンレンは反射的に手を引っ込める。
「な……なななな……何を⁉︎」
オミオツケさんは、もはや響めきとしか言えない声を上げる。
「い……いや……その……」
レンレンは、手に持ったタオルハンカチとオミオツケさんを交互に見る。
「口元が汚れてたから……オミオツケさん見えないから気づかないかと思って……」
「言ってくれれば拭けるから!」
そう叫ぶとオミオツケさんは手探りで自分の鞄からハンカチを取り出して乱暴に口元を拭っていると脳裏に昨日のスポーツ女子とレンレンのやり取りが過る。
「ねえ、レンレン君って……タラシなの?」
「はいー⁉︎」
オミオツケさんの言葉にレンレンは素っ頓狂な声を上げる。
「だって……妙に女の子の好きなもの分かってるじゃん。きめ細やかで親切だし……それにやたらと気安く触ってくるし……」
最後の方は恥ずかしくて声が尻すぼみになる。
「いや……そんなことは……」
レンレンもオミオツケさんに指摘されてようやく自分のしてきたことが何とも大胆であったことに気づく。
不可思議な現象が起きずにみそ汁を飲めるようにする。
そんな現実離れした指標と目標が無意識の内にオミオツケさんに対するタガを緩めていたらしい。
「すいません……不快な思いを……」
「そうだよ……あの子にも勘違いされちゃうよ」
「……あの子?」
レンレンは、疑問系で呟く。
恐らく首を横に傾げてる。
オミオツケさんは、レンレンに気づかれないように小さく唾を飲み込む。
「昨日、校舎の裏であの子と親そうに話してたじゃない。美味しそうな手作りクッキーまでもらっちゃってさ」
オミオツケさんは、務めていつも通りに、クールに、自分には関係ないと言わんばかりに言葉に出す。
そして出した後に……後悔した。
これでは自分が覗き見して、更に嫉妬して言ってると勘違いされてしまうではないか……。
レンレンは、何も言わなくなる。
その沈黙が堪らなく怖い……。
オミオツケさんは、居た堪れなくなり、ハチマキを外して出て行こうか、と思った時、レンレンが「あーっ」と声を上げとと同時にポンっと音がした。
恐らく握った手を手の平に当てたのだ。
「あれはお礼です」
そう告げるレンレンの声は冷静そのものだった。
「お礼?」
オミオツケさんが聞き返すとレンレンは小さく頷いた……と思う。見えないけど。
「彼女……小麦粉アレルギーで以前、米粉でラーメンを作ったんですけど会う度にそのお礼ってお菓子をくれるんです。もういいですよって言ってるのに……律儀ですよね」
そう言ってレンレンは小さく笑う。
お礼……?会う度に……?
それはやはり何かあるのではないか?
オミオツケさんは疑うものの当事者であるレンレンはまるで疑問を抱いてないようで、「なんか申し訳なくて」とか「今度、俺からもお礼返ししないと」と笑いながら言う。
オミオツケさんは、疑わしく思いながら同時にレンレンが何とも思っていないのだと知って何故かホッとした。
ホッとしたと同時に……一つの想いが浮かび、気がついたら口にしていた。
「それじゃあ……私もお礼するね」
「んっ?」
オミオツケさんが発した言葉にレンレンは眉根を寄せて聞き返す。
「この特訓が……うまく言ったらお礼に付き合って」
お礼に付き合う?
おかしな日本語にレンレンは更に戸惑う。
「来週、エガオが笑う時の映画がやるの知ってる?」
「はいっそれは」
レンレンもファンなので当然知ってる。見に行きたいとも思うがどちらかと言うと女性向けの映画なので行きずらいと思って悩んでいたところだ。
「行きたいんだけど……誰も誘えなくて困ってたの。妹には早いし。これが上手く行ったら一緒に行きましょう」
一緒に映画に……?
そう考えた途端、レンレンに緊張が走る。
オミオツケさんと映画……それってデート⁉︎
そう思い至った瞬間、レンレンは心の中で悲鳴を上げて慌てて断ろうとする。
しかし、ハチマキを巻いたオミオツケさんの冷静な顔があまりにも真剣で口に出すことが出来なかった。
それにこの願いを叶うことで彼女の特訓に対する意欲が上がるのなら……。
「……わかりました」
レンレンは、重々しく頷く。
その瞬間、クールで知的なオミオツケさんの顔が輝いた……気がした。
「約束だよ」
「……はいっ」
オミオツケさんは、テーブルに向かい合う。
「始めよう」
「……はいっ」
レンレンは、頷き、特訓を再開した。