ジャノメ食堂へようこそ!第4話 雲を喰む(2)
「雲を喰むか」
黒狼は、威厳のある重い言葉で呟き、月のような黄金の双眸で空を見上げる。
三日月に欠けた月と散らばるような星々の浮かぶ黒い空に灰色に焼けた雲が浮かんでいる。
「また、随分と高尚な夢だな」
黒狼の顎が笑うように開く。
「ロマンらしいっすよ」
草原に胡座をかいたウグイスがむすっとした顔をして焼きおにぎりを齧る。
月の浮かぶ草原で今宵も黒狼、ウグイス、オモチ、アズキ、そしてアケは円を囲むように団欒し、料理に舌鼓を打った。
今宵のメニューは岩魚の身を解して醤油で味付けした混ぜご飯を握って焼いたおにぎり、岩魚と山菜の汁物、そしてオモチが昼に獲ってきた鳩を醤油と酒で味付けした甘辛焼きだ。
オモチは、見かけによらず狩りや山菜、葉物の採取が上手く、必ず食べられる物を獲ってきてくれる。
それでも鳩を捕まえてきた時は思わずウグイスを意識したが本人はまるで気にした様子はなく、何が出来るのかと楽しみにしていた。
「でも、気持ちは分かるなあ僕も」
汁物を啜りながらオモチは言う。
「雲って美味しそうだもん」
「だからただの水!」
ウグイスは、ほっぺたを可愛らしく膨らます。
「そりゃ君は飛べるから分かるだろうけど、僕らのように大地に縛られた者からしたら永遠の憧れだよ」
憧れ・・・。
アケは、そう呟くオモチをじっと見る。
ロマン・・・。
夢・・・。
「それは・・・」
アケは、躊躇いがちに口を開く。
「それは誰もが抱くものなのですか?」
アケの質問にウグイスとオモチはきょとんっとした顔をする、と、いってもオモチの顔に変化はないけど。
「そりゃまあ・・・生きてれば・・」
「夢の一つや二つは抱くものだと思うけど・・」
二人は、言いにくそうに口をもご付かせる。
「ほうっ」
黒狼が興味深そうに唸る。
「それはどんな夢だ」
予想もしなかった王の問いかけにウグイスとオモチは動揺してお互いの顔を見やる。
ウグイスは、困ったように顔を引き攣らせて頬を掻く。
「大した夢じゃないんですけど・・」
ウグイスにしては珍しくいい澱み、両手の指を交差させる。
「泳げるようになりたいです」
泳げるようになりたい⁉︎
想定しなかった言葉にアケは驚く。
「私・・水は使えるけど泳ぐのがダメで・・身体軽いし、筋肉ないし、水は弾くけど濡れちゃったらしばらく飛べないし・・」
ウグイスは、頬を赤らめて恥ずかしそうに言う。
本人には申し訳ないがちょっと可愛い。
「僕は、もう一度海を見たいです」
オモチは、少し躊躇いがちに言う。
海?
アケは、首を傾げる。
「幼い時に王と一緒に見た海をまた見たいです」
表情こそ変わらないがオモチは寂しそうに、しかし、切実に言う。
「そうか・・・」
黒狼は、黄金の双眸を細める。
「みな、夢があるのだな」
黒狼が言うと二人とも恥ずかしそうに目と顔を背ける。
「それならばぬりかべの夢を馬鹿にしてはならん。彼にとっては大切なことなのだからな」
黒狼の諭すような言葉にウグイスは「はーいっ」と答え、オモチは右手を左肩に当てて「はっ」と答える。
アズキは、素知らぬ顔で岩魚をお代わりする。
そんな三人のやり取りにアケは胸を締め付けられた。
「それじゃあ王とジャノメの夢はなんですか?」
ウグイスは、意趣返しと言わんばかりにニヤッと笑って言う。
来るとは思っていたがウグイスの質問にアケは心臓が小さく痛むのを感じた。
私の夢は・・・。
「皆さんに美味しいご飯を食べてもらうことです」
アケは,すんなりと自分の口から言葉が出たことに驚く。こんな定例文のような誤魔化しの言葉が。
しかし、その言葉はウグイスを満足させるには十分だっなようで林檎のように頬を紅潮させてアケに抱きついてきた。
「うんっこれからもよろしくねジャノメ!」
ウグイスは、自分の頬をアケの頬に擦り寄せながら言う。
「・・・はいっ」
アケは、胸が痛むのを感じながらも小さく頷いた。
黒狼は、黄金の双眸でじっとアケを見た。
「あっ」
オモチが何かを思い出して声を上げる。
「ジャノメから頼まれたもの、もう少しで見つかりそう。似たような植物が生えてるところを見つけたから」
アケは、なんのことだっけ?と思ったがすぐに思い出す。
「本当ですか?なら私も一緒にいって探しましょうか?」
実物を知ってる自分ならもっと早く見つかるかもしれない。
「うーんっ。でもちょっと危ないところにあるからな」
オモチは、丸い顎を摩る。
「目星が付いたらお願いするよ」
「分かりました」
アケは、小さく頷く。
「でっ王の夢は?」
ウグイスは、アケに抱きついたまま目を輝かせて言う。
前から思ったがとても王と呼ぶ者に対する態度ではない。
黒狼は、黄金の双眸を細め、顎を小さく開く。
「大したことではないが・・」
黒狼は、目の前に置かれた黒い大量の豆を見る。
王の主食だ。
「これを昔のように飲みたい」
飲む?
アケは、怪訝としたら表情を浮かべる。
豆を・・・飲む?
「ただの夢だ」
黒狼は、黒い豆をばくんっと口に入れ、咀嚼しながら立ち上がる。
「みな、ゆっくりと寛ぐがいい」
黒狼は、そう言って踵を返して去っていった。
その後は、いつものように今日の出来事や料理のことを話しながら食事を終え、それぞれの寝床に戻った。
しかし、アケは胸中がざわつき、眠ることが出来なかった。
夢・・・。
私の本当の夢は・・・。
アケは、心が震え、いつの間にか小さく泣いていた。
翌日、アケは寝不足で蛇の目の瞳だけでなく、白目の部分も充血していた。肌の調子も良くないし、髪の艶も悪い。それでなくても見た目が悪いのにと、鏡の前でげんなりしたが、それでも髪を整え、清潔な布で白い鱗の布以外のところを拭き、着物を着替え、白い前掛けを巻いた。
一階の食堂は昼間と違ってとても静かで少し寒い。
人のいない部屋の寂しさを思い出しながらアケは大窓を開くと目を覆う日光と共に冷たい風が入り込む。
草原ではアズキが背中の燃えた大きな身体を寝そべらせて寝息を立てている。アケがいつでも食堂を開けるように待機してくれているのだ。大きく、優しい、愛らしい彼を見て小さく笑う。
アケは、テーブルを拭き、床を箒で払い、食器の確認を終えると寝てるアズキの火を借りて小さな鍋でお湯を沸かし、クロモジ茶を淹れる。
これが猫の額に来てからのアケの朝のルーティンだ。
後二時間もすればウグイスとオモチが朝食を求めて喧しく現れる。
それまでに蛇の目の充血が取れてくれればいいな、と思いながらお茶を啜っていた時だ。
「入っていいか?」
開かれた大窓から聞こえた声にアケは振り返り、蛇の目を大きく開いた。
そこにいたのは花の模様の描かれた長衣を纏った黄金の双眸の男であった。