ジャノメ食堂へようこそ!第4話 雲を喰む(3)
「また、残り物しかなくて」
アケは、申し訳なさそうに言いながら男の前に料理を並べる。
テーブルに並べられたのは眠るアズキの背中で温め直した岩魚の焼きおにぎり、汁物、そして鳩の甘辛焼きにクロモジ茶だ。
初めて彼が来た時に比べれば食事と呼ぶに相応しいものだがそれでも引け目を感じてしまう。
しかし、彼は黄金の双眸でじっと目の前に並べられた料理を見て「美味そうだ」と答えた。
その言葉にアケは幾分か楽になる。
「これはどう食べればいい?」
「おにぎりは手で遠慮なく。汁物と鳥はこちらをお使いください」
そう言ってアケは、匙の形に似た、しかし先端が三又の槍のようになった物を渡す。
「これで刺したり、匙のように使ってお食べください」
ウグイス達の食べ方を見ていてアケが作ってみたものだ。不恰好だがなんとか様になっている。
「ふむ」
男は、三又をじっと見る。そして鳩の甘辛焼きの表面にぷすっと突き刺すとそのまま口に運ぶ。
「・・・美味い」
男は、ぽそりっと言う。
それだけでアケは心が温まるのを感じた。
それから男は無言で料理を食べた。
アケは、それを少し離れたところに立って黙って見ていた。
彼が食べ終え、クロモジ茶を飲み終えたのを確認するとアケは急須を持ってゆっくりと近寄る。
「お茶のおかわりは?」
「いただこう」
彼は、滑らすように湯呑みをアケの前に置く。
アケは、静かにお茶を注ぎ、男の前に置く。
しかし、男はお茶に手をつけずアケの顔をじっと見る。
アケは、怪訝に思い首を傾げる。
「泣いたのか?」
男の言葉にアケは思わず蛇の目を覆う。
「白目が赤いし、周りも腫れている」
アケは、思わず顔を背ける。
蛇の目の事を散々に言われるのには慣れているはずなのにこんなに恥ずかしくなったのは初めてだ。
「何かあったのか?」
男は、黄金の双眸を細めてアケを見る。
「いえ、特に。ご心配をおかけして申し訳ありません」
アケは、顔を反らしたままその場を離れようとした、が。
アケの右手を男が握る。
強く、優しい力にアケは驚く。
「話せ」
黄金の双眸がアケを映す。
「お前の心の淵を我に示せ」
男の言葉にアケの身体と心が震える。
男の放つ痛いくらいの威圧が、温められるような優しさが双眸から放たれ、アケの心を打つ。
「・・・私には・・」
アケは、唇が無意識に言葉を紡ぐ。
「私には夢がありません」
アケの唇から出た言葉に男は黄金の双眸を小さく震わせる。
「私は、幼い頃に全ての幸せを奪われました。大切なモノを全て失いました・・」
アケは、左手で蛇の目の横を触れる。
「そんな私に夢なんてありません。希望を抱いても、憧れを抱いても全て水のように隙間から落ちてしまいます」
アケの爪が額に食い込む。
父も、母も、あの子も全て私の前から消えていった。
そしてついには名前すらも消えた。
「あのお客様が、ウグイスが、オモチが夢の話しをした時、とても羨ましかった。ずるいと思った。ひどいと思った。なんでみんなが普通に持てるものを私は持つことが出来ないんだろうと憎んだ」
爪が食い込み、皮膚が破れる。
蛇の目から溢れた涙と血が額を流れ、顔を濡らす。
「私は・・・何のために生まれてきたのでしょうか?」
こんな夢も、憧れも、ロマンすらも抱けない人生に何の意味があるのだろう?
もし、あるとしたら・・・。
アケは、白い鱗の布に触れる。
遠く離れた父の顔が浮かぶ。
(私にはもう・・・これしか・・)
アケは、白い鱗の布を掴もうとした時だ。
花の香りが身体を包む。
温もりが肌に触れる。
いつの間にか立ち上がった男が両手をアケの身体に回し、抱きしめていた。
闇の淵に落ちかけたアケの意識が香りと温もりに引き戻させる。
アケは、急激に鼓動が激しくなるのを感じた。
「あ・・あの・・・」
アケは、動揺に震える声で男に呼びかける。
「作れ」
「えっ?」
「夢がないなら作れ」
黄金の双眸がアケを見据える。
アケは、男の言ってる意味が分からなかった。
「生まれた地で夢を持てなかったなら猫の額で作るがいい。お前ならきっと出来る」
夢を・・・作る?
(私・・が⁉︎)
それはあまりにも途方もない話しだと思った。
「そんなのどうやって?」
「足掻け」
男は、言う。
「自分のやれること、やりたいことを臆せずやれ。さすればきっと夢は作れる」
足掻く・・。
アケは、胸中で呟く。
「お前なら・・きっと出来るはずだ」
そう言って男は優しく笑った。
アケの蛇の目から再び涙が溢れる。
しかし、それは先程とは違う涙だった。
「ひどく食い込んだな」
男は、蛇の目隣に付いた傷を見て顔を顰める。
アケは、言われて初めて額が痛いことに気づいた。
跡が残るかも・・なんて考えた時、とんでもないことが起きた。
男が蛇の目の隣に、傷のある部分に唇を当てたのだ。
アケの頭が爆発する。
チロッと小さく舐める音が聞こえる。
男は、唇を離し、両手を離す。
アケは、座り込みたくなるほどの脱力を感じるも何とか堪える。
「また来る」
そう言って男は、アケの横を抜けて窓の外に出る。
アケは、慌てて振り返るもそこにはもう男の姿はなかった。
アケは、身体中が茹で上がるほど上気してるのを感じながら男にキスされた額を触る。
そこには傷も血の跡も残っていなかった。
「ジャノメー!」
甲高い子どものような声が草原から飛んでくる。
オモチだ。
大きな身体で身軽に飛び跳ねながらこちらにやってくる。
「おはようジャノメ!」
オモチは、屋敷の中に飛び込んで、元気に挨拶し、首を傾げる。
「何かあったの?」
アケの様子がおかしいことに気づき、オモチは首を傾げる。
「な・・何でもないです・・」
アケは、火照った身体をなんとか落ち着かせようとする。
「それよりこんなに朝早くどうしたんです?」
いつもならウグイスよりも遅いはずなのに・・。
「見つかったよ!」
「えっ?」
「ジャノメが欲しがってたの見つかったよ」
そこまで言われてアケは、アレのことかと思い至る。
「ひょっとして夜通し探してくれてたの?」
アケの問いにオモチは頷く。
「そりゃジャノメの頼み事だもん。当然だよ」
表情こそ笑ってないがオモチの顔が和らいだ気がした。
「ありがとう」
アケは、再び泣きそうになりながら感謝の気持ちを伝える。
よし、今日はオモチの好きな物をいっぱい・・。
その時、アケの脳裏に天啓と共に献立が舞い降りる。
オモチは、アケの様子が変わったことに気づき首を傾げる。
アケは、オモチのモフモフの身体を掴む。
「オモチ・・私を今からそこなら連れていってください!」
アケの蛇の目が力強く光った。