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ジャノメ食堂へようこそ 第3話 お薬飲めたね(5)
「水曜霊扉」
ウグイスの右手に複雑な紋様の描かれた水色の円が現れると同時に無数の水滴が宙に浮かぶ。水滴は綿毛のように浮かびながら結合し、大きな二つの水玉になるとアケと小鬼少女の身体を包み込む。
「開放」
水玉に包まれたアケと小鬼少女の身体にへばりついた茶色の汚物が溶けるように洗い落とされ、役目を終えて弾けると身体からはすっかり汚物が消さり、濡れてもいなかった。
昨日も思ったけど不思議だな、とアケは濡れた形跡もない自分の着物を触る。
「臭いもなんとか取れたわね」
ウグイスは、可愛らしい鼻を鳴らしてアケと小鬼少女の臭いを嗅ぐ。
「ご迷惑おかけしてすいません」
アケは、肩を萎めて謝る。
屋敷から叩き出されたアケ達は調理台を囲むように草原に座り込んでいた。
突然、自分の中で発生した突発的事故に家精が発狂した結果だ。
ちなみに固く閉ざされたガラス窓の中から何かを削り取るような音や水をばら撒く音、そして思い切り擦り上げるような音が響いている。
アズキは、草原から離れた場所で前足を器用に使って穴を掘り、オモチはシーツに包まれた茶色く変色したシーツを自分の身体に触れないように伸ばして持っている。深く掘った穴の中に埋める為に。
小鬼の兄、弟は両目を腫れ上がらせて泣きながら少女を身体を抱きしめている。
幾分か目の赤みの取れた少女は兄弟たちに力なく何かを話しかけている。
「お腹の中に詰まってたものがなくなって楽になったみたいですね」
アケは、ほっと胸を撫で下ろす。
「そりゃあんだけ詰まったら苦しくもなるわ」
つい先程の衝撃映像を思い出してウグイスは頬を引き攣らせる。
「結局、なんで具合悪くなったのかな?」
「恐らく・・きのこです」
アケの発した言葉の意味が分からずウグイスは目をぱたくりさせる。
「さっき吐いたものの中に未消化のきのこがありました。恐らく毒性の強いものです」
「きのこにも毒があるの⁉︎」
ウグイスは、驚きに声を上げる。
そんな事も知らないの?・・アケは肩の力が抜ける。
「きのこの毒って結構有名だと思いますけど・・」
アケが言ってもウグイスは、知らないと首を横に振る。
昨日も思ったが猫の額では食文化がまるで発展してないらしい。
恐らく持って生まれた毒に強い耐性もあるのだろうが今まで亡くなった人とかいなかったのだろうか・・。
「そう言った事も教えていかないと・・」
アケは、ぼそりっと呟き、そして驚く。
今、自分は教えたいと、口にしたのか?
ここに住む人達に?
今日で永遠の別れをするかもしれないのに?
アケは、自分の口にしたことが、自分の中で僅かに湧いた感情が信じられなかった。
「それよりこの子は大丈夫?」
ウグイスが心配そうに小鬼少女を見る。
目の赤みは大分、治ったがまだ辛そうに息が荒い。
アケは、少女の首筋に触れる。
まだ、熱い。
「お薬ってありますか?」
熱冷ましや整腸薬、毒消しの役割をするものがあれは尚良い。
しかし、ウグイスは首を傾げる。
「お薬?」
ウグイスの反応にアケは肩を落とす。
身体が頑丈なだけに薬の文化もないのだ。
困ったな、と思った時だ。
「薬って治り草のこと?」
作業を終えてアズキと一緒に戻ってきたオモチが子どもような声で言う。
「治り草?」
今度は、アケが首を傾げる。
オモチは、ずんぐりとした白い毛に覆われた右手の平を広げると三つの小さな種子が現れる。
「木曜霊扉」
オモチの手のひらに緑の円が浮かび複雑な紋様が描かれる。
「開放」
緑の円が輝く。
三つの種子の殻が破れ、芽を吹き、その身を天高く伸ばしていく。
細長い草、丸い扇のような草、そして棘のついた茎から生えた黄色い花。
緑の円が消える。
「それぞれに熱冷ましや腹痛、毒消しの作用があるよ」
オモチは、一つ一つ指差して説明する。
「薬草だあ」
アケは、オモチの手から草を一つ摘み上げる。
鼻の奥がつんっとするような独特の臭いがある。
「これ不味いんだよね」
ウグイスが小さな舌を出して言う。
確かに臭いだけでも受け入れるのが難しそうだ。
小鬼の少女も嫌そうに目を震わせて治り草を見ている。
「よし」
アケは、草をオモチの手から全て受け取ると調理台に向かう。
ウグイスとオモチが互いの顔を見合わせる。
アケは、三種の治り草をまな板の上に乗せる濡れたような刃の包丁で微塵切りにしていく。
青い汁が滲み、青い臭いが鼻につく。
ほぼほぼ細かく刻むとアケは次の行動に移る。
トマトご飯を作った鍋をよりもさらに小さな鍋を取り出す。
「ウグイス。少しだけ水を」
「分かった」
ウグイスは、小さな水色の円を展開し、鍋に水を溜める。
「アズキお願い。いつもより弱めで」
そう言ってアズキの背に鍋を置く。
アズキは、「ぷきい」と鳴いて鍋のところに器用に火を付ける。
鍋の中の水は直ぐに温まり、気泡を上げる。
アケは、その中に白く煌めく粉を大量に入れ、匙でゆっくり掻き回す。
果実とは違うほのかな甘い香りが草原の中を漂い、ウグイスとオモチの鼻が小さく動く。
液体がまとわりついて匙の動きが重くなる。
アケは、匙を抜くと息を吹きかけ、口に運ぶ。
味は良い。
でも、匂いが弱い。
アケは、鍋から離れて昨日の食材の残りから林檎を取って戻る。
「上手く出来るかな?」
アケは、不安そうに林檎の表面に包丁の切先を入れる。
林檎の果汁が包丁の刃を濡らしていく。
アケは、そっと包丁の刃を抜いて果汁を鍋の中に落とす。それを何回か繰り返すと鍋から煮込んだ林檎の匂いが漂い始める。
「よしっ」
アケは、鍋をアズキの背から下ろす。
「ウグイス、水の手を。小さく」
「わっ分かった」
ウグイスは、水色の円を展開し、水滴を集めて子どものような小さな手を作り出す。
アケは、そっと鍋の底を水の手に触れさす。
鍋がジュオオオッと音を上げ、中のモノが冷めていく。
アケは、つかさずまな板に手を伸ばし、刻んだ草を鍋の中に放り込んで手早くかき混ぜる。
「出来ましたあ!」
アケは、鍋を持ち上げて小鬼少女に駆け寄る。
「お薬出来たよ」
アケは、少女を安心される為に口元に努めて優しい笑みを浮かべる。
「これを飲めば直ぐに元気になるからね」
しかし、小鬼少女は赤い目を震わせて首を横に振る。
治り草の臭さと不味さを知ってるだけに全身で拒否をする。
「大丈夫よ」
アケは、優しく少女の頭を撫で、匙で鍋の中のモノを救う。
とろっとした透明な液体の中に細かく刻まれた治り草が気泡のように浮かんでる。
「これは水飴よ」
煌めく粉、砂糖をお湯で掻き回しながらつくった物。
アケの言葉の意味が分からず少女は首を傾げる。
「美味しいから飲んで」
そう言って少女の口元に近づける。
林檎のような匂いの中に熱に侵された頭を撫でるような甘い香りが鼻腔に入り込んでくる。
胃袋は動かないのに舌と喉が震える。
少女は、無意識に口を開く。
アケは、そっと匙を入れる。
ウグイス達が固唾を飲んで見守る。
小鬼少女の目が大きく開き、毛むくじゃらの身体が震える。
兄と弟が少女の異変に悲鳴を上げる。
しかし・・・。
「キュイキュイ!」
小鬼少女は、口をパクパク開いてアケの持つ匙を見る。
アケは、ほっと口元を綻ばせ、鍋から水飴を掬うとなんと少女から身を乗り出して匙を口に入れ、嬉しそうに口を動かした。
驚くウグイス達。
涙を流して喜ぶ兄と弟。
アケは、その様子を見て蛇の目を和ませ、優しく小鬼少女の頭を撫でる。
「お薬飲めたね!」
風が草原の中を優しく吹いた。