引退と第二の人生
この記事は本当にただの自分語りなので、とても暇だったら読んでほしいくらいの気持ちです。それでもこうして書いておくのは、書くことで気持ちを整理したいということであり、それをこうして公開するのは、結局のところ自分だけが読める自省の文章を書いたことがなく、結局後から振り返るのはwebに載せた文章だけだということが経験上わかっているからです。
というわけで、言い訳完了レッツゴー。
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人間が一人では生きられない以上、他人の影響を受けない人生はあり得ないし、組織に属して生きることを決めた以上、組織の意向に人生が左右されるのは当然のことです。
……とまぁ、そんな大上段から振り下ろす必要はなく、ただただ異動になりました。研究職から経営企画室へと。メロスには政治がわからぬが、私には経営がわからぬ。サラリーマンとして10年以上を過ごしておきながらこんなことを言うのは社会人失格と思われるかもしれませんが、まぁ大枠の経営状況は分かっていても、P/Lを眺める時間があれば試験をしたり論文読んだり新しい分析装置を覚えるのに時間を使ってきました。
それがいきなり経営企画室です。おそらく部屋にHPLCは無いでしょう。分光光度計も無い可能性があります。想像したくない事態ですが、pHメーターすら存在しないかもしれません。
この程度には混乱しているのですが、この胸に去来する空虚感みたいなものは、これまでの人生からの転換がここに来て、他人の手によって、ある日突然もたらされたものだから。そして、これまでの知識・経験をここまで手放さなければならないことが、初めてだからだと思います。
思えば、子供の頃からずっと勉強をしてきたのです。必ずしもずっと熱心に勉強してきたわけではありませんが、小学校から大学院まで行って、就職しても学生の頃の知識と経験でもって10年以上ご飯を食べてきたわけです。
「学生時代の勉強なんて将来役に立たない」とか「大学はオワコン」という論調もありますが、むしろ未だにモル計算だのTLCでの分離だのやったりしてるので、むしろ学生時代の知識のおかげで食い繋いで来た人生でした。会社に入っても、利益を意識した研究開発をするようになっただけで、この辺りの境界がかなり曖昧な人生を過ごして来ました。なんかお金払って研究してたのが、お金もらって研究してたよ、みたいな。
そんな振り返りを経て、ようやくこれは「引退」だと気が付きました。
研究者としての人生からの、引退。
プロスポーツ選手が子供の頃からそのスポーツに人生を捧げてきたように、僕は勉強と研究に人生を捧げてきました。スターオーシャン2のボーマンに憧れて理系を志したあの日から、駿台予備校の朝霞先生の授業を受けて酵素を学びたいと決めたあの日からの人生が、遂にここで終わるわけです。
元より天邪鬼な人間なこともあり、普通の人と少し違うことをすることが喜びでした。何かの提出書類で、職業欄に「研究職」と書くことは、一つのアイデンティティであり、誇りでもありました。掛けてきた努力や得られた収入は大きく異なりますが、子供の頃から続けてきたことを30半ばで終えるということ、それはなんとなくプロスポーツ選手の引退に近いのではと思い、少しだけ彼らの心境を理解できた気がしました。
ただ正直なところ、幕引きの時期を考えていたのもまた事実ではありました。思考力はそこまで衰えていないと思いますが、ここから上がることはないでしょう。ルーティンな実験や定型の分析、洗い物でボロボロになった両手を見ながら「いつまでこんなことが出来るだろうか、していていいのだろうか」という想いは年を経るに連れて増していきました。自分自身の成長という意味では、もう数年前からサチってプラトーになっている状態でした。
もちろん本当に研究にしがみつきたいのであれば、博士課程でも技術士でも取得して、これで生きるという強い意思を周囲に見せておけば、もしかしたら変わったこともあったかもしれません。研究出来ないなら転職をする、というのも当然選択肢にあったはず。
それを選ばなかったのは、自分ではない誰かに引導を渡して欲しかったのだろうなという甘えみたいなものががあったのかなと、今は思います。誰かに人生を変えて欲しかった。何とも情けない話ですが。
30までの人生設計は18の時に決めていました。行く大学も、就職先も、結婚時期も、上の子は娘で下の子が息子というところまで、ほぼ目標通り達成してきたと思います。浪人で2年遅れたことを除いては。
その一方で、30過ぎの人生を20代の僕は描いてこなかった。これは結構なミスで、正直今もどういう40代を、どういう50代を生きるかを設計出来ていない。その一番の理由はきっと、これまでの研究者としての人生を貫けるか否かを決心出来なかったからだと思います。
研究職という、これまで自分が望んで培ってきた誇りあるキャリアも、見方を変えればある種の呪いだったのかもしれません。コンコルド効果よろしく、これまでのリソースを注いできたものを、結局僕は自分からは手放せなかった。戦力外通告を受け、他チームからの引き合いもない形で、ようやく引退を受け入れる。他者からの働きかけで、僕はこれまでのキャリアを下ろすことが出来たわけです。
まぁ会社なんで、ここまで仰々しいこと書かなくても、また研究に戻される可能性は十分あるでしょう。実際今回の異動の際にも「経営を学び、技術経営のやり方を身につけてほしい」みたいな言い方をされたので、何もなければ研究所に戻されるのかもしれません。ただその場合も、おそらく管理職で、現場に立つことは限りなく少なくなるのではないかと思います。それはかつての選手が監督やコーチとして戻ってくるようなもので、そういう意味でやはり「プレイヤー」としての僕は、ここで引退かなという心境です。
正直思っていたより喪失感が凄いのですが、それ以外何もない30代の人間に新しいステージでスタートさせてくれる機会を与えてもらえた会社には、本当に感謝しています。レベル1でひのきのぼうしか装備してない割に、飛ばされる先がいきなり魔王城みたいな空気があるのだけが気がかりですが。過去に研究所から同じところに配属された先輩が、40を前に1〜2年で髪が真っ白になっていたことにさえ目を瞑れば、新天地で僕も頑張れるはずです。禿げなければ白髪ならいい。うん。
長々と女々しく書き連ねて来ましたが、それくらい自分の人生での転機になる出来事があと1ヶ月で訪れるわけです。
引退までの1ヶ月を悔いなく過ごしつつ、次のステージへ。
そのために、まずは――アマゾンの奥地に向かおう。
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