線路は続くよ、どこまでも……
さてツツジの季節は、まだまだ終わりませんけど しばらくすると
今度はサツキの花が また楽しませてくれそうです。
緑も 若緑から 深い色まで まさに彩り豊かな季節となってきました。
初夏の風も心地よいです。あっ、身体を動かすと病院のリハビリセンター内でもうっすら汗ばんでしまいます。空調もしっかり効いていますし担当の先生が、サーキューレーターを使ってくださってわりといい環境なのですが。
贅沢ですね(^^ゞ
※タイトル画像は、鉱山鉄道(高山ではない)で、走っていたSLがモデルだそうです。明治25年ドイツから輸入した蒸気機関車がモデルでもちろん現在は、電気の力で走っているそうです。
せんろはつづくよ どこまでも
のをこえ やまこえ たにこえて
はるかなまちまで ぼくたちの
たのしいたびのゆめ つないでる
明るく元気が出る歌ですよね
なんかこう、前へ、前へって 進んでいく感じ
※曲は、アメリカ生まれですね。なので英語の歌詞がちゃんとあります。
でもって なかなかにハッチャてる英語の歌詞ですにゃ。
日本語歌詞は、佐木敏氏と他の方(ノッポさん)が原案。
鉄道の上、レールの上を走ってゆく 力強い機関車で
そういえば 先だってのドボルザーク先生の「新世界より」あの曲の誕生の
きっかけかどうかは、知りませんけど ドボルザーク先生 実は無類の鉄道好きだったそうで 第一楽章なんかは その鉄道の音をイメージして書いたって言われてます。なんで わたしは 荘厳なイメージを第一楽章の始まりに持っていたのですけど 重い車両を引っ張っていく力強さ それを表現してるのかなって思えば、おぉ!!!って思えます。そして 次第に軽快になっていく。加速によって得られたスピードとエネルギーで。
って、いえ今日は 新世界の鑑賞でなくって。鉄道だ、鉄道。レールですよ。
rail 横棒、横木って意味合いですね。でもって なんて言うのでしょうか?よくドラマや小説で「他人の敷いたレールの上をただ歩いて行くだけなんて」とか「親の敷いたレールを……」などというある意味すっごい不敬で傲慢な言葉がよく出てきますけど。
おぅおぅ、てめぇら 全国の鉄道整備の方々に土下座して謝りやがれ」って
言いたい気持ちが無きにしも非ず、ですよ。夏の熱い日差しの中、レールに歪みがないか、枕木がおかしくなっていないか。それこそレールに耳を当て
音を聴く。そんな姿を見たことがあるのかって言いたいものですが。
いえ、何が言いたいかと申しますとそのレールを維持していくのにどれほどの人の時間と汗と情熱が費やされているのか。それを考えると 上記の台詞は、まさに傲慢。まぁ かっこいい台詞なのかも知れませんけど最初に言い出したのは誰々だろう?その恵まれた環境をもう一度振り返ってみるべきかと思ったり。上手に乗っかってみればいいのですよなどと思うけふこの頃。
でもって 要所要所でそれこそ切り返せばいいのですよ。で 道がなければ
自ら、今度は自分の力で作っていけばいいんじゃないのかなって思う。
いえ、ふっと小説のあらすじを考えていて、先日ローカルな、ほんとうにローカルな路線をみてね、そんなことを思った次第です。
まぁ 深く考えてはダメなのですよ。この今日のnote記事は。
人知れぬ努力、忍耐、いつもと変わらぬ心………そして 束縛
まぁ、いずれにしても乾燥した土地で花を咲かせる生命力に起因する言葉が多いです。乾燥した大地、そこに力強く根を張って地面を束縛するとでも
とれるのか?ちとこの花言葉の意味は、わたしには不明。
まぁ そんなこんなな努力と忍耐で 目の前にある道(rail)に目を向け
うまくのっかれ、足りなくなったら 今度は自らレールを敷けばいい。
なんたって”線路は続くよ、どこまでも”なのだから…。
なんちゃってね
はい、わたしは努力も根性も苦手ですが 何か?
本日も 最後までお読みくださり、またお立ち寄りいただき
ありがとうございます。特にけふの記事は、最後ハチャメチャですね(^^ゞ
それでは またnoteでお逢いしませう。