“石とキス”
この世界を出来事、過程の集まりと見ると、世界をよりよく把握し、理解し、記述することが可能になる。これが、相対性理論と両立し得る唯一の方法なのだ。この世界は物ではなく、出来事の集まりなのである。
物と出来事の違い、それは前者が時間をどこまでも貫くのに対して、後者は継続時間に限りがあるという点にある。物の典型が石だとすると、「明日、あの石はどこにあるんだろう」と考えることができる、いっぽうキスは出来事で、「明日、あのキスはどこにあるんだろう」という問いは無意味である。この世界は石ではなく、キスのネットワークでできている。
——カルロ・ロヴェッリ『時間は存在しない』
沈黙せねばならないとされていたが、はたして記述することは可能になるのだろうか。というより、記述せずにはいられぬのが我々なのだろう。
クロノスからも、カイロスからも解放されたとき、それはどのような神としてその姿を見せてくれるのかはわからない。その像をどのように写しとればいいのかもまだ朧げだ。10⁻⁴⁴ のプランク時間で交わされるキスが、どのように記述できるのかは手に余る。それでもまだ、両腕を前に伸ばすことをやめることはできないでいるはずだ。
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2021-04-05 16:12(UTC+0900) @TSD /TT
2021-04-06 07:52(UTC+0900) @TSD /TT
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