“変奏と変項と多様性と”
芸術、科学、哲学は、それよりももっと多くのことを求めている。すなわち、それらは、カオスのうえにもろもろの平面を描くのである。それらの三つの学問分野は、宗教のようなものではない。というのも、傘〔の内側〕にひとつの天空を描くために、宗教は、わたしたちのオピニオンがそこから出てくる根源的臆見(ウアドクサ)の諸形像としての、神々の系譜や、唯一神のエピファニーを援用するからである。哲学、科学、そして芸術が欲しているのは、わたしたちがそうした穹窿を引き裂くこと、わたしたちがカオスのなかに潜ることである。そのような代価を支払ってこそ、わたしたちはようやくカオスを征服するのだ。そして私は、三度、征服者としてアケロンを渡ったのである。哲学者、科学者、芸術家は、まるで黄泉の国から帰ってくる者であるかのようだ。
——ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』
そうして彼らはカオスに描かれた平面から、それぞれ「あるもの」を持ち帰ってくる。
哲学者は、或る諸変化=変奏を。
科学者は、或る変数〔変項〕を。
芸術家は、変化性=多様体を。
そうしてその三つの平面の重なるところには、何があるのだろうか?
その三つの平面が重なるところに立てるのは、何者なのだろうか?
三つの《非》に潜むのを探さずとも、掴み取った《多様体》へと、《変項》を投げ入れて、繰り返し《変奏》させることで、その光が放たれ、その像が浮かび上がるのかもしれない。
[ W2 ]
2021-04-08 15:32(UTC+0900) @TSD /TT
2021-04-10 16:18(UTC+0900) @TSD /TT
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