愛で世界は救えないけど。
愛で世界は救えないけど。
けど、愛で世界を救いたいと思い続けることは悪ではないし
色々なものの奥底に愛があってほしいと願っている。
嫌われることもあるということ
みんなみんな好きでいたいし、できれば好かれてもいたい
ちょっと前に流行った本で、嫌われる勇気とかあったよね
読んでないのだけどね
嫌われる勇気はないけど、全ての人に必ずしも好かれるわけではないことは知ってる
嫌われたらちょっと悲しい
無視とか、なんか冷たいなあとか
そう言うのはちょっと悲しいなあと思う
そうされていることに気がつくのがとても遅くて
何年か経ってから、「嫌われてたのか?!」ってなる
人の良いところを見つけるのがとても得意だから
私を嫌いな人の良いところもたくさん見えてしまう
そして、あんなに素敵な人に嫌われているのか、ってまたちょっと悲しくなる
悲しいはイライラに変わる
「なんで分かってくれないの!!!!!!」
うちの幼稚園の犬達もよくそう言ってる
「遊びたいだけなのに!なんでダメっていうの!」
うちのお店は、とにかく認めるを大切にしているから
そんな時トレーナーはその犬をまず認めることが多い
「遊びたかったのにダメって言われたのか、悲しいね。」
そして続けて
「今は遊びたくないって犬もいて、その犬の遊びたくない気持ちも認めることも大切だよ。そして遊びの誘い方を変えたら遊んでくれる子もいるよ。」
と、伝える
人間だって同じことだよね
「今は私と関わりたくないって人もいて、その人の気持ちも認めることも大切だよ。そして関わり方を変えたらうまくいくこともあるよ。」
こうやって犬に当てはめて考えてみると
関わりたくないとか、いわゆる「嫌っている人にするはずの行動」が、必ずしもそうであると限らないことがわかる
私を嫌いなのか、私の○○が嫌いなのか
いや、そもそも嫌いではないかもしれない
てことは、誰かに嫌われていると断定づけるのは多くの場合早すぎるのかも
まだとても難しいけど、嫌われるのが怖いことも認めつつ
あの人のあの行動は私を嫌っているからではないかもしれないと思う頭も必要だということを少し学んだ
みんな好き!って、強くなきゃできない
誰かを愛すこと
誰かを好きでい続けること
楽しい時とか仲の良い時、共感できる時はそんなの簡単
けど「えっ」って思うことを相手が言ったりしたとき
好きが一瞬で嫌い!になることもある
好きであればあるほど、一瞬で嫌いになることが人間はあったりすると思う
それってもしかしたら
相手の○○が好き という限定的な好きだったのかな
だから、○○が××だと気がついた時、裏切られたような気持ちになって嫌いになってしまうのかな
××っていうだなんて!あいつは!と思った時
そのイライラの前にはきっと悲しいがある
私はこう言う時も認めたい。
何を認めるかっていうとね
まず認めるのは
「私が、好きだった相手を嫌いになったと感じたこと」
私の中での気持ちの変化があったと言う事実をただ認める
そして、何が変わったのだろうと考える
××という発言があって、それで嫌いだ!と思った
××と考えている人を、私はみんな嫌いなのかな
あの人が××と言ったから嫌いなのかな
なぜあの人は××と言ったのかな
それは、犬のトレーニングにおいてのアセスメント計画の部分になると思う
環境によって行動が起こり、結果がある
結果がその行動を維持したり増やしたり減らしたりする
××と言ったあの人は、どんな学習をしてきていて、どんな環境にあったのだろう
寝不足やお腹が減ったなどの要素はあったのだろうか
そんなふうに悶々と考えていると
××という一言であの人を嫌いになる必要はないかもしれない、と思うことができる
あの人は××と言った、ということ
私はそれを受けて嫌いだ!と思ったこと
それらを認める
そう言う事実があったと認める
犬に置き換えると
人にとても吠える犬を飼っているとして
あの犬は人を見てけたたましく吠えた、ということ
私はそれを受けてうるさい!やめてほしい!と思ったこと
そう言う事実があったことを認める
その先に、なんで?がある
なんで吠えるの?
どの人に吠えるの?
何がしたいの?
なんで私は吠えられると嫌なのかな?
なんで私は吠えてほしくないのかな?
なんで?をたくさん考える
犬を、私を、必死に知ろうとする
トレーニングだとかコミュニケーション方法だとか
なんやかんやと学ぶことは多いけど
私は認めたい、そして認められたくて、
なんで?と聞きたくて、聞かれたくて、
知りたくて、知ってほしい
みんなを好きでいるということは
こう言う思考をたくさんの人相手にすると言うこと
相手の言葉を鵜呑みにせずに、言葉という行動として受け止める
その言葉を発するにあたった相手を知ろうとして、認める
それができなきゃみんなを好きではいられない
嫌いになる方が、敵を作る方がずっと楽
でも私はどうしてもしたくない
嫌だなとかむかつくなって人もたくさんいる
たくさんいるという事実は認めるけど、諦めたわけではない
私は、私が今むかつく相手も知りたいし認めたい
そういう生き方をしていきたい
まだまだ道半ば
すぐにイライラするし、悲しむけど
私は、みんなを好きでいたいという思いを諦めたくない
私がたくさんの人や犬を好きでいれば
そのうちの何割かは私に好きを返してくれるだろう
私を嫌いって人にも、好きをあげられるようになれば
相手は変わるかもしれないし変わらないかもしれない
愛で世界は救えないし変わらないけど
みんなが笑ってられる未来への色々な行動の奥底には
愛があってほしいと願う
世界が愛するもの
愛で世界を見た時
世界の色々な人が愛しているものがある
わたしはそれを、犬だと思っているんだ
犬の笑顔のために多くの人が行動する
愛犬を幸せにするために散歩に行くし
お金をかけてトリミングやトレーニングをする
整体やマッサージ、フードにこだわったりもする
もちろん獣医療にかけるし、保険に入ってる人も多い
それは日本だけではなくて世界中のいろんな人が行っている
世界中のいろんな人が、それぞれの方法で
犬を幸せにするために行動している
世界の国の偉い人たちも犬を愛してる
みんな犬が好き
犬を幸せにすることは、世界を幸せにすることと同じ
世界が幸せでなければ、犬も幸せにはなれない
世界を幸せにするためには、人間が幸せでなくてはならない
人間の幸せは、お金や時間の余裕でつくられると思っている
だから、稼がねばならない。時間に余裕がなければならない。
人を幸せにすることは犬を幸せにすることで、
そして世界を幸せにすることだと気がついた日から
私は、これまでよりもっと多くの出来事を認められるようになった
犬を愛している人たちで、世界は変えられるんじゃないかと思う
犬を愛し続けることが!世界の平和になるんじゃないかと思う
どこか遠くの出来事に感じる戦争や紛争、誰かの自殺や殺人強盗
そんな嫌な雰囲気が漂う今を生きていると
誰かを嫌いたくなる
○○人は、とか
男は、とか
女は、とか。
私は強くない
強くないから今はできない
できないけど
嫌うのではなく、知りたい
今、その行動を選択したあの人たちすらも認めたい
そういう強さがほしい
おそらくたくさん泣いたり悲しんだりするだろうけど
そんな弱さのある強さで
私はみんなを好きでいたくて
犬を愛し続けていたくて
そんなふうに壮大な愛を教えてくれた犬たちに心から感謝している
私の行う何かが
そんな素晴らしい犬たちへの恩送り(返すのではなく送るのだとお友達に習った)になると良いな
わがままでよくばりな私のお話。