2024 U30ドリームトーナメント 新利根川戦 試合編 選手として、運営として。
結局プラで何も見えないまま、分からないままの状態で試合に挑むことになってしまった。
分かっていたのはとても厳しい戦いになること、ワンミスで終わり、心が折れた選手から負けていく。
そんな過酷な試合になることだけだった。
前日
金曜日、休みが取れたが用事があったため荷物を積み込み昼頃に出発。
プラは出来なかったので車でボート屋から最上流の堰まで川原を走り水だけチェック。
数日前の大雨で案の定上流に行けば行くほど水が悪い、車を停め水に手を入れると冷たさを感じる。
やはり上流域は無いと判断。
当日は川下流域〜洲の野原〜妙義水道で勝負する事を決意。
初日
予報よりも暖かさを感じる朝。
とはいえ予想通り水温は20度を下回った。
とりあえず川からの冷たい水を避けるタイフーン周辺やプラで良い魚を触れた水門付近から釣りを始める事に。
フライト番号が良い事を祈るが…
ツイてない時はこんなものである。
案の定すでにポイントには数名の選手が。
幸いな事に水門付近には選手がいなかったので、直接水門をフリーリグで撃つが無反応、周りのハードボトムをクランクで探るも何も無い。
その後はシャローやブレイク、ハードボトムを撃ちながら巻きながらひたすらにヒントを集めていく。
やはり水が良いところには他魚種の生命感を感じ、そういったエリアを中心に回るもノーバイト。
9時になった瞬間に妙義水道がエリア解放となるので橋の下で待機。
人数は20人程度、ライブウェルが動いている選手はほとんどいなかったのでやはり厳しい戦いなのだと確信。
9時にスタートダッシュを決めてブレイクを中心に巻き続けるも無…
どんどん増える人数に釣りできるスペースがなくなっていき移動。
その後は川下流からセブイレブン辺りまで登り、ブレイク沿いでブリッツで怪しいアタリが1回、竹のカバーの奥の奥でファットヤマセンコーのライトテキサスをシャクってリアクションを掛けた時に小さなバイト、思いっきり合わせるとノンキーが空中で落っこちる。
結局ほとんど何の反応も得られず、帰着。
初日0、釣ってきた選手も15人とかなりのロースコアな戦いだった。
2日目
前日にチェックしたエリアと釣り方からプランを考える。
唯一本気で触ってないのは真珠棚エリアだけ。
初日は風も吹かず、可能性を感じなかったのだが、今日は風が吹く。
かなりのロースコア、釣れればでかい真珠棚の魚、しかも回ってくれば連発もあり得る。
条件が揃わないと釣れないが、あれだけシャローをボートが走り回り、溜まったプレッシャーを考えるとむしろ真珠棚の方が可能性を感じる。
1本で入賞、2本獲れたら勝ちも見える、メンタルはかなりキツかったが一発を信じて心は折れてなかった。
フライト順が良ければ朝からひたすら粘ろう…と思っていたのだが
仕方ないので朝イチは昨日少し反応があった川の中流くらいまでの竹カバーをチェック、巻きながら上がっていき8時半くらいまでラッキーフィッシュを狙い。9時になって選手が妙義水道に移動したタイミングで真珠棚へ
そっから3時間ひたすらやり続けるプラン。
どうせ風が吹き、水温が上がってきて反応が出るのは9時以降だとは思っていた。
プラン通り川の真珠棚付近まで釣り上がるも残念ながらノーバイト。
魚探の時計を見て時間を確認、急いで洲の野原まで下る。
想像通り、9時になったタイミングでほとんどの選手が妙義水道へ走った。
相変わらずライブウェルが動いてる選手は少ない、今日も厳しい戦い。
移動しながら各真珠棚周りの水をチェックし、一番下流側、妙義水道に近い棚の水が一番良いと気づく。
1/2ozのスピナーベイトでチェック、他魚種にルアーやラインが当たる感覚、他の場所より明らかに生き物が多い。
(フィーディングに入るなら…ここ…)
今回の試合で一番可能性を感じる時間。
妙義水道側、最も風が強く当たる面。
そしてスピナーベイトが真珠棚の内側に強く引っ張られる。
「喰った!」
咄嗟に合わせるも重量感はない。
ぶつかったのではない明らかなバイト。
何かが合ってない…
ルアーを鳥ナベからビーブル1/2ozに変えスローに丁寧に探り直す。
その後ジャックハンマー1/2ozへローテ、しかし横の動きでは反応しない。
横で駄目なら縦。
サーキットバイブ1/4ozへ変えて再度アプローチ。
数分間無心で撃ってはシャクる。
そして真珠棚の角に差し掛かった時
ファーストフォールからの一発目のシャクリに明らかな生命感と重量感。
「やっと喰わせた!」
口から心臓が出そうになりながらファイト。
そんなに大きくはないが、キャット特有のグルグル回るような動きもなく、明らかに口にかかっている動き、確実にキーパーはある!
ダントウボウ。
近年霞ヶ浦で増えてきた中国原産の外来魚。
釣ったことは無かったのだが、このタイミングで釣ることになるとは…
折れそうになる心を必死に耐え
コイツが喰ってきたんだからバスも絶対に喰うはず!と自分に言い聞かせキャストを続ける。
心が折れた奴から負ける。
その数分後、目の前で田中選手がロッドを曲げた。
他魚種か?と思ったがそのままライブウェルへ…
すれ違いざまに少し会話。
とても礼儀正しい好青年。
何故釣ったのが俺じゃなかったのか…吐きそうになる悔しさを必死に隠しながら会話。(不快に思わせてたら本当に申し訳ない)
何度か深呼吸を繰り返し、
まだ…まだチャンスはある…彼が釣ったのならバスは回ってきてる、俺にもチャンスが巡ってくる…
メタルバイブからフリーリグへ握り替え、その後ダウンショットへローテ。
絶対にバスはいる、後はアプローチだけだ…
自分の釣りを信じて流し続けると、目の前でまた違う選手がロッドを曲げる…
しかもかなりのサイズ…
ネットイン、そしてガッツポーズを取る選手。
本気で悔しかった。
2日間空振りし続けて、少ないヒントからやっとたどり着いた場所とタイミング、二人と同じリグ(エビ喰い意識のヘビダン)はデッキにあった。
目の前まで来てたのに。
彼らは釣って、俺は釣ることが出来なかった。
「…おめでとう!」
この苦しい状況で見事に釣った田中選手と加固選手に心からの祝福が漏れた。
叫んでしまっていた。
0か1の厳しい試合。
この日の為に頑張ってきた。
心が折れた奴から負ける。
分かっていた、必死に耐えた。
けど心からの声が漏れた時。
きっと心が折れた。
2日目ノーフィッシュ。
こうして最後のU30ドリームトーナメントは終わった。
選手として
終わってみれば2日間明確なバスのバイトすら無く、空振り続けた試合だったと思う。
試合後に色んな選手に話を聞くと、バラしたりショートバイトに悩まされた選手が多かった。
それだけシビアで良くない状況だった。
誤算だったのは思ったよりもシャローが機能していたこと。
どうやら最終プラから下がり続けた水温20℃だと思っていたが、一度17〜18℃くらいまで落ち込んでから上がった20℃だったらしい。
再び上がった水温とともにもう一度シャローに入ってきたエビとバスがいたようだ。
水温だけを見て一段下の沖に出ていったと思いこみ、あまり得意ではない(好きではある)巻物をメインにし、一番得意なバンクの釣りから離れてしまったこと。
真珠棚にしても横と速い縦の動きに固執しすぎて、ヘビダンやフリーリグのスロー展開をおざなりにしてしまったこと。
正解の時間、場所にたどり着いたとはいえ、喰わせることが出来ず、一歩どころかニ歩以上バスから遠い所までしか近づくとこが出来なかった。
技量不足。
つまり下手くそを2日間やってしまった。
この2年間の順位は
2023年
新利根川3位
津風呂湖46位
総合19位
2024年
津風呂湖55位
新利根川46位
総合66位
結局最初の新利根川戦以外全く良いところが無かった。
運営として
主催者である千田君から誘われ、運営としても活動してきた2年間。
これも今年で最後である。(OVER31等他の試合やイベントにも今後は関わらない。)
こう書くと絶対に「何か揉めたのか?」と聞かれると思うのだがトラブルがあったわけではない。
とは言ってもずっと仲良し小好しでやっていたわけではない。
読んでくれてる方は分かると思うのだが、自分の性格上かなり強めの意見は出してたし、衝突もあった。
ただ運営の中で唯一自分だけが釣り業界に関わらない仕事をしていて、環境や魚類を学んだ身として曲げられない所や言いたいことはハッキリと言わせてもらっていた。
普段の発言からクレームもあっただろうし(何か思う所があるのに自分に直接言ってこない人達にソレはソレで頭に来るし、クソほどダセェなとな思いつつ)
本当に苦労と迷惑をかけたと思う。
じゃあなんで運営を辞めるのか?と言うと
30代にもなると仕事が忙しくなってきて、休みを取って関西方面に毎回行ったりする時間や体力もキツくなってきたという点。
そして何より若手選手が活躍する場として立ち上がった団体。
作り、運営する側も同じ若手であるというのが大きな価値である。と自分は思ったので一人だけ主催者である千田君より年上で、なおかつ業界人でもない自分がずっと居座り続けるのも違うと感じた。
OVER31等別の大会、イベントも団体として今後はどんどん大きくなっていくと思うのだが
ある程度軌道に乗った今、自分がいなくても(といか元々そんなに仕事してないというのは秘密)主催者である千田君や副主催の岩本君を中心に円滑に回っていくと思っているし、そう願っている。
ただの週末リーマンアングラーが業界で話題の中心である団体の運営として2年間過ごさせて貰った経験は、本当に得難いものだったと思う。
今後について
今後の自分が何をしていくのか、全く決まっていない。
とはいっても元々一般週末リーマンアングラーであった自分が急に団体運営兼選手という肩書きになり、それがもとに戻るだけである。
フルタイムプロになったり、業界で働こうとは一切思ってないしその実力が無いのはこの2年間で嫌と言うほど分かった。
今後はどこか団体に所属して試合に出るか、今まで通り気ままにに空いた週末に釣りに行く生活になるか。
今回の試合結果もそうだが、仕事や家の事、年齢やバスフィッシングが置かれている環境。
色んな事が頭に浮かんで、バスフィッシングや試合に対して考え直す時に来たなと思っている。
過去にも書いたことがあるが自分はバス業界に対して思う所がある。
この数年間でも問題は色々とあった。
例えば広がり続ける川スモールに対して黙認を続ける業界と何も考えずに釣りをしてSNSに上げるユーザー。
魚類学会で内水面での外来種問題(ニジマス、ブラウントラウト、スモール)が話題になり、岐阜県と福井県では新たにスモールがリリース禁止となった。
この事を把握し危惧している業界人とユーザーが一体何人いるだろうか。
またリリース禁止がほとんど守られず、形骸化していることに対しても専門家の方達が本気で怒り、国にバス釣りの禁止を提言しようと考えてる事を知ってる人がどれだけいるだろうか?
考え方は人それぞれなので、そういった考え方を全て受け入れるべきだとは全く思わないが、
あまりにも何も知らず、何も考えず、保全側の立場の人達の事を全く考えず、目の前の魚のことしか頭にない人が多い事に危機感をずっと感じている。
せめて自分の声が届くところには…と思い去年辺りからバスにまつわる環境や法律についての講演会をしてくれる人を見つけ、声はかけているのだが、昨今の釣り人側と保全側の関係悪化によりリスクが上がりすぎて、このまま話を進め依頼するのも大丈夫かどうか判断に迷っている…というのが現状である。
未来へ
自分はバスフィッシングが大好きで、今後も続けていきたいと思っている。
そして業界が盛り上がることに協力できればと運営として
出来ればそこで活躍したいと思い選手として
空回りしながらも走ってきた2年間だった。
残念ながら選手としては出落ちの鳴かず飛ばずだったが、団体は軌道に乗ったと思う。(自分は特に何もしてないが。)
きっと団体は今後はもっと大きくなっていくし、盛り上がっていく事を祈ってる。
これをキッカケに業界も盛り上がり、日本でのバスフィッシングが良い方向に向かってくればと思っている。
正直かなり難しいとは分かっているし、問題は山積みである。
ただバスフィッシングに本気で取り組み、人生を賭けて進んでいく若者達。
その中に自分もいた。
同じ試合に出るライバル選手として
その試合を作り出す運営としても。
真っ直ぐキラキラとしたその姿を一番近く、異なる2つの立場から見て、接してきた。
そんな身としては、良くなっていくと信じていたいのだ。
あっという間の2年間だった。
得難い2年間、本当に楽しかった。
これを読んでくれた方々へお伝えしたい。
こんなダラダラとした駄文を最後まで読んでくださりありがとうございました。
そして
そこには確かにありました。
日本のバスフィッシングの未来が。