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アメリカ大学院博士課程③ 受験結果

こんにちは。ハイパー高学歴ニートのD-Jayです!
私は、2022年8月から米国アイビーリーグ工学部のPhD(博士)過程に進学をしました。
その経験に関して、全8回にわたり、記事を書きたいと思います。
3回目の今回は、アメリカ大学院の出願を得た私の受験結果に関して、合格発表とその間どのように過ごしたのかをお話しします。

1回目と2回目はこちらからどうぞ


出願結果

早速ですが、出願した大学と合否を発表します。
すべて博士課程に出願しています。

$$
\begin{array}{|c|c|c|} \hline
大学&面接の有無&  合否 \\ \hline
\text{アイビーリーグ(進学先)}& 有 & 補欠→合格\\ 
\text{Arizona State University} & 有 &補欠→不合格 \\ 
\text{University of Michigan} & 無 &修士プログラムでの合格 \\
\text{University of California, Irvine} & 有 &不合格 \\ 
\text{Carnegie Mellon University} & 有 &不合格 \\ 
\text{Georgia Institute of Technology} & 無 &不合格 \\ 
\text{Stanford University} & 無 &不合格 \\ 
\text{Yale University} & 無 &不合格 \\ \hline
\end{array}
$$

結果から言うと、博士課程で受かったのは1校のみでした。しかも補欠からの合格でした。

ここで、海外大学院に興味がある人に強く言いたいのは、海外大学院にいる人の記事などを読んで、諦めてほしくないということです。
インターネット上では、日本の大学から出願して、複数のトップ校から合格をもらっている人が多くいます。
しかし、私のようにギリギリ合格をもらって、夢を実現している人もまた多くいると知ってもらいたいです(むしろそういう人の方が多いと思います)。
博士課程のプログラムは、教授とのマッチングによる要素が大きいので、下位ランク校に落ちても、トップ校から合格をもらえることもあります。

全ての大学から合格発表を受け取った時、「マジで1校受かってよかった」と心から思いました。
もし、進学先から合格を貰えなければ、就活浪人という名のニートになるところでした(結局2年後にニートになるのですが…)。
University of Michiganの修士課程は、授業料免除も給料の支払いもないプログラムでしたので、進学する気はありませんでした。

出願後〜進学先決定までの過ごし方

出願を2021年の12月に終え、合格発表が返ってくるのが翌年の2月中旬から、3月末にかけてです。

私の場合は、1月ごろからポツポツと面接を組まれることがありました。
出願時に希望した教授達からメールが届いて、1対1で研究の話などをします。
結果は、2パターンで、

  • 私の興味と君の興味は一致していないと言って断られる

  • 君は素晴らしい学生だが、君に給料を払える資金がない。追加で研究資金が獲得できたら、君を受け入れるよ。

のどちらかでした。
結局進学先以外は、後日、やはり資金が足りないから君を受け入れられない。ごめん。
的なメールが来ました。

この頃のメンタリティは最悪でした。
時差の関係で、日本の真夜中にメールが届くので、夜中にメールが気になって目がよくさめました。
朝や夜中に不合格の連絡を読み、落ち込んで眠れない日々を過ごしていました。
また、面接などは日本時間の夜中に設定されるので、いったん寝てから夜中の2時に起きて2時半から面接、終了後もう一度寝るといった生活をしていました。

卒業式の日になっても進学先が決定しておらずかなり焦っていたことを覚えています。
全落ちの可能性もあらかじめ覚悟していましたが、補欠合格の可能性を信じて、就活はせずにPythonの勉強をしていました。

合格できた理由

進学先となるアイビーリーグの博士課程に合格できた理由は主に2つです。
1つ目は、指導教官となる教授とのマッチングです。
出願した大学の中で、その教授の研究が最も私のこれまでの研究・興味・スキルセットに近かったです。
そのため、この研究室が私の第1希望でした。
さらに、教授が私のようにデータ分析の知識が既にあり、将来的に機械学習を使った研究に興味がある学生を探しているときでした。

2つ目の理由は、私を採用するのに十分な研究費が獲得できたことです。
私は補欠リストに入っていたのですが、その間に研究費が確保できたため、私のことを採用できたと言っていました。
これは、本当に運がよかったです。

3つ目の理由もあるのですが、これは後日記述する予定の「博士課程を辞めた理由」にて紹介するつもりです。

終わりに

運よく第1希望であった学校に進学することが決定しました。
もし、指導教官が合格をくれなかったら、アメリカにも行けず、就活をしなければならなかった。
指導教官のお陰で、アメリカで研究ができる。ありがとう。
という感謝の気持ちでいっぱいでした。
この恩を返せるように、精いっぱい研究して貢献しようと意気込んでいました。
今でも合格をくれた教授には感謝しています。

最後まで、お読みいただきましてありがとうございました。

夢であったアメリカでの博士課程生活を開始することが決まりましたが、合格をもらったのが4月。
9月から始まるアメリカの大学院、渡米するまでどのように過ごすのか。
第4回目の次回は、このギャップイヤーと呼ばれる期間を私がどう過ごしたかお話したいと思います。




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