ほぼ日5年手帳の使い方がボケ防止みたいになっている話と『日本人のへそ』再演の話(3/21~3/27の日記)

ほぼ日5年手帳の使い方がボケ防止みたいになっている話

2017年末に発売され、2018年1月1日から使い始めた5年手帳が、いつの間にか4年目に突入した。ほぼ日が作っているこの手帳は、開くと1ページごとに同じ日付の記入スペースが縦に5年分並んでいる仕様で、5年間の記録を一冊でできるという代物。病のように日々何かしらの記録を続けている自分としては、これ以上ないくらいぴったりな手帳だと思い使い続けている。なるべく日常に関係した事柄かつ、普通のことを5年分記録したかったため、記録内容はその日着ていた服にした。というのも、僕はその日の気分や、誰に会うかどこに行くかが服選びに大いに影響する質なので、それを一度定点観測してみたかったのだ。手帳に書く際には、その日の予定も一緒に書き込むことで、なぜこの服を選んだのかもわかるようにした。直接的に「なぜこの服を選んだのか」の理由を書き記さないのは、後で読み返したときに先入観を持たないため。

使い始めてみると、この人と会うときはよくこの服を着ているなとか、美術館に行くときはシャツを選ぶことが多いんだなとか、雨の日は逆に明るい服を選ぼうとしているなど、自分の傾向が見えてきて面白かった。ただ、ひとつだけ誤算もあり、毎日の記録というものは思いのほか、面倒くさかった。初めの頃こそ、一日の終わりに記入していたのが、だんだんと1日、2日とずれていき、最近では2週間分をまとめて記入するようになっている。

1週間前ならともかく、2週間前ともなると結構きつい。まず直近の日付のものだけ、記憶を頼りに記入する。その後、Googleカレンダーを見つめながら、「この日は〇〇と会ってたから…」「この日は少し堅めの取材だったから…」とその日のスケジュールから記憶を手繰り寄せるという流れ。驚きなのが、意外と思い出せること。これがその日食べたご飯だったら絶対思い出せない自信がある。でも服であれば、選んだ理由のヒントがスケジュールの中に散りばめられているため、頑張れば正解にたどり着ける。この難易度がいい塩梅で、記録が目的だったのに別のゲームが始まってしまった感もある。もはやボケ防止みたいな使い方。心なしか記憶力が上がった気がしないでもない。

と、ここまで書いてきた上でひとつだけ嘘が紛れている。それは、5年手帳への記入は1年目の半年時点で止まっていて、そこからはEvernoteに入力しているということ。つまり、「記入」は嘘で「入力」が正しい。他人からすれば一見どうでもいいように思うかもしれないけれど、当人にとって、これはとんでもないことなわけで。なぜかというと、結局、5年手帳を完成させるためには手書きで内容を書き写さなくてはいけないから、早いうちに書き写さないと、現時点でも2年半分ある記録がどんどん膨れていってしまう。でも面倒くさい。だって、毎日の、いや週1でも入力ができていない人間が、手書きで手帳に書き移すなんてことに取り掛かれるわけがないのだ。確定申告だってまだなのに。もういっそのこと、5年手帳(電子版)ということにしてしまえないか、自分に問い続けている。


『日本人のへそ』再演の話

初めて演劇を観に行ったのは、高校生のころ。故・井上ひさし氏の戯曲を専門に上演する劇団「こまつ座」で従妹が働いていたので、何の流れだったかは覚えていないが、母親と共に演劇を観に行った。その作品が、2011年に井上ひさし追悼公演として行われた『日本人のへそ』で、井上ひさし氏の最初の戯曲と言われている音楽劇。10年ぶりに再演されると知り、観劇してきた。

改めて作品を観ると、当時はよく親と一緒に観てたなあと考えてしまうくらい、猥雑さと毒がある戯曲。でも、この日も会場にいたのは自分の親世代くらいのおじさんとおばさんが多かったので、案外気にするほどのことでもないのかもしれない。

物語は、7人の異なる経歴を持つ吃音症患者が、山中淳さん演じるアメリカ帰りの大学教授から治療を受けているシーンからはじまる。なんでも、吃音症の患者は、歌を歌うときや、台詞を話しているときなど、自分と関係がない事柄であればどもりづらい。そのため、吃音症患者の治療には、芝居の中で登場人物の台詞を言わせることが有効だとして、吃音症患者たちに芝居をさせることになる。

芝居は、ヘレン天津という女性が、東北の田舎から上京し、職を転々として浅草のストリッパーとなり、ヤクザの女となり、最後には代議士の東京妻まで上り詰めるという彼女の人生を物語にしたもの。この物語中、さきほどの吃音症患者たちがさまざまな役を演じる中、唯一、ひとつの役だけを演じるのが、ヘレン天津を演じる小池栄子さんだった。圧倒的な華と、ヘレンのしたたかさが見事に表れていて、どうしても彼女に視線が持ってかれる。ストリッパーの役なので、体を見せるシーンも多いのだけど、かなりストイックに絞ったようで、パーソナルトレーナーかってくらい引き締まった体をしていた。ヘレン天津の人生は、あまり笑えるものでもないが、基本的にはコメディのため、台詞回しで思わず笑ってしまうことが多かった。

ただ、この作品の大きな特徴は、吃音症患者たちの治療のために芝居を行なうという一連の流れ自体が劇中劇であることにある。そこから行われる二重三重のメタ構造のどんでん返しに、初めて観たときは大層興奮したもので。僕がメタ構造の物語や演出が好きなのは、確実に、初めて観た演劇が『日本人のへそ』だったことが影響しているんだなと気づいてしまった。今回、分かって観てても良く出来てるなと思ったし、やっぱり面白い戯曲だった。

高校生の頃は、この作品の中に出てくる「アイウエ王」の話が大好きで、何度もそらで口ずさんでいた。そのうち、従妹が正確な内容が分かるようにと「アイウエ王」の話をテキストで印刷してくれて、あの頃大事に持っていたはずなのだけど、あの紙はどこに行ってしまったのだろうか。

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