最近のおはなし
久々にnoteを書く時間が取れたので最近のおはなしをしましょう。
最近。私の中での大きな出来事が起きました。
コロナに感染したこと。
社会的にも任意となったマスクの着用。マスクをしないことが当たり前となったことで、次第に私の中でも「マスクをしなくても感染しないだろう」という気の緩みがあった。今思えば、その気の緩みが原因だったのかもしれない。
単刀直入に言うが、コロナウイルスはとても恐ろしいものだった。
日を増すごとに私の体を静かにそして恐ろしい速さで蝕んでいく。
初めて“ 死 ”が私の頭をよぎった。生まれて初めての感情だった。
初めて死の感情を抱いた時、言葉にならない程明日が来ることに対する恐怖感を覚えた。
今、死んでしまったらどんな世界に行くのだろう
今、どうしても死にたくない。会いたい人も、やりたいことも、行きたい場所も、まだまだ沢山あるのに。
コロナ療養中、そんなことばかり考えていた。
楽しいはずの過ぎていく日常が、こんなにも怖いものとして感じてしまう自分も怖かった。
息がとてつもなく苦しくて、鉛のように重くなった身体と、今すぐにでも息絶えてしまいそうな小さな呼吸を抱えながら、スーパームーンだった8月31日、私は満月の夜に緊急の夜間外来へ足を運んだのだった。
病院の医師は「ベッドに寝かせてやりたいけど今はベッドが無いから」と言い、呼吸困難になりそうな私を椅子に座らせた。話すことさえ辛かった。
酷く静まり返った病院内に1人白い椅子へ腰掛ける私。
まるで世界から取り残されているような感覚になった。
次の日も、呼吸の苦しさは変わらなかった。朝1番で病院の看護師に診てもらった結果、点滴をすることになった。約2時間、私は前の日と同じ椅子に腰掛けて点滴を打ってもらった。
点滴は万能薬だった。帰宅する際に心の中で病院に感謝した。漢方薬と鎮痛剤を処方してもらってからしばらく部屋で1人療養をしていたけれど、今思えば、あの点滴がなければ今頃私はどうなっていたのか知る由もない。
この文章を打っている今でも咳はまだ治っていないが、だいぶ体調は良くなったと思う。
話は変わるが、私は以前、写真家である「トナカイ」さんに写真を撮っていただいた。
その写真が8月下旬に家に届くとのことだったので密かに心待ちしていた頃、ちょうどコロナで療養している時に写真が届いた。また、それと同時期にトナカイさんが発行しているお便りも届いた。
その名も「地球通信」。
私はこのお便りが日常の密かな楽しみになっていて、そのお便りを読むと自然と心が軽くなったり自分の中には無かった考え方を教えてくれる。
楽しみにしていたそのお便りを開くと、そこには、生きることについての文章が綴られていた。
ちょうどコロナになった私は「死」について考えているところだったから、生きることについて書かれたお便りが届いたことには、生きてほしいとの願いがあったのかもしれないと思った。
地球通信から、生きる力をいただいた。その日の夜、明日も無事に生きていることを強く祈った。
地球通信の中に入っていたある1枚の写真が、私が撮った写真とすごく似ていて不思議な気持ちになった。
話が長くなってしまったが、最後にコロナになって気づいたことがある。
これも記録として。
初めて自分が死ぬことの恐ろしさを実感したからこそ、1日1日を大切に過ごそうと思えたこと。
これまでは過ぎていく日常がいつも同じでしか思えなかったけれど、療養中に初めて得た感情があったからこそ、日常をこれからどのように過ごしていこうか考えようと思えるようになった。
明日は何をしようか。静かな「生」への祈りを込めて、今日も眠りにつくこととします。明日も生きていますように。
長くなりましたが、ここまで読んでくださった方ありがとうございます。
またどこかでおはなしをしましょう。
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