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【小説】閃光を作った手、閃光で潰れた目

 あなたは私の光、って胸を張って言える。それだけあなたは輝いていた。
 別に私を照らしてほしいなんて思わなかったけれど、その光を見つめていたいとは思った。あわよくば、その光で目を灼いてほしいとも。
「ん、いい感じ。明らかに前見た時よりレベル上がってる」
「……一応、依頼されて作ったわけだから」
 美しい顔はそのまま、ただ作品を見ていた。私のことなんて、一切見ていない。それでいい、いいんだ。私は横顔を眺めるだけでいい。
「やっぱあんたさ、造形向いてるって。もっと色々作ったら?」
「……そんな、好き放題やっただけだよ」
「その好き放題が世間受けするってことだから。そんな感性を持ってること自体が、案外才能なのかも」
 ならあなたを美しいと思う私の感性も才能なのだろうか、なんてことは言わなかった。もしそう言って、もし万が一にもあの美しい顔が笑ってしまったら。そんなの見たら、きっと私耐えられない。
 自分としては、適当にやったつもりだった。適当に捏ねて、適当に形を作って、適当に焼いて、適当に題を付けて。
 でもそれを、こうやってこの美しい顔に眺めてもらえるのはとても幸福なことだとは思う。ただ、もう少し真剣に熱意を注げばよかったな、と後悔もした。
 この美しい顔が感動で歪むのを想像するだけで、動悸がしそうになる。もし微笑みでもしたら、私はきっと。
「今日はもう帰るよ、この後打ち合わせがあるから急がないと」
「そうなんだ。ごめんね、わざわざ」
「見たかったから来ただけ。ご招待ありがとね、そんじゃ」
 その美しい顔は、私を見ることなく会場をあとにした。そのことに、私は安心した。この流れを、私は20年は続けている。

 2つ年下の美しい顔は、モデル業をしている。私と街でレモネードを飲んでいる時に声をかけられて以来だから、もう10年近くなるか。その時私に見向きもしなかったスカウトマンは、未だにマネージャーとして傍にいるらしかった。私以外に傍にいるのがあの軽薄な人間、だと考えると虫唾が走って仕方がない。
 モデルをするべき体格と見抜いていたのか、それともモデルという職業があの骨格を育てたのか。何せ、あの美しい顔にふさわしいスタイルを得てモデル街道をひた走っていた。
 それでも美しい顔は、決して笑わなかった。もしかしたら気を抜いた時にでも笑ったことがあるかもしれないけれど、少なくとも私の見ている前では一度も笑わなかった。
「笑うとさ、顔の皺の元になるんだって」
 そういえばそんな話聞いたことあるな、という感覚で私は美しい顔の紡ぐ言葉を聞いていた。私にとっては豆知識でしかないその知識は、きっとその美しい顔の中にある脳みそに大きな衝撃を与えたのだろう。実際美しい顔が笑わなくなったのは、私が想いを自覚する前だった。それだけが本当に、豪運だった。
「あなたは、自分が綺麗だって自覚してるんだね」
 この時の私の言葉は、少し嫌味めいていた。だって、あのスカウトマンは本当に私を見なかったから。あの美しい顔が放つ光のせいで、私の顔は影が覆っていた……そう思うことで、私は何とか自尊心を守っていた。
「だからあんたは好きでいてくれてるって、知ってるから」
 その言葉もまた、その美しい顔を一切歪めずに発された。図星の槍が、心臓の中の血をすべて抜きたいって意志を持ってるかのように抉ってきた。
「……好きだよ」
「知ってる」
 美しい顔が発した返事は、それだけだった。

 美しい顔の写真集を買った。本屋で行列が出来ていて、少し誇らしかった。お前らが知らない美しい顔のすべてを知っている私、という優越感に浸っていれば行列なんて苦でもなかった。
 購入してすぐ、私は帰り道にある公園のベンチで写真集を開いた。どうしても、待てなかった。
「すご……」
 思わずそう、声が出るほどだった。
 あの美しい顔を引き立たせるメイク、衣装、照明、写真技術……すべてが一級品だった。先日本人から聞いた「資産が利く範囲で一流を揃えた」って言っていた意味が、すべてこの一冊に集約されていた。
 全74ページに渡る、美の暴力。光の暴動。そんなイメージだった。
「綺麗……」
 写真であれば、私はあの美しい顔を正面から見られる。だから、私は写真が好きだった。「それならあんたがカメラマンになってよ」なんて言われたけど、そんなのレンズ越しに私が灼け死ぬだけだって言ったら「あっそ」で片付けていた。
 眉も、目元も、鼻も、唇も。冷たい印象のまま、その美を固めていた。美し過ぎて、周りが見えないほどだった。
「いやあんた、外で広げないでよ」
「わ!?」
 背後には、美しい顔が立っていた。私が美しい顔の正面を捉える前に、私の隣に腰掛けた。
「い、いつから……」
「たった今。やけに大判の本で読書に没頭してるなー、って思ったらあんただったから驚いたよ」
 いつものように平坦な声で、自分の本を読まれているということに一切の感動も無いようだった。私はいつも、自分の作品を見る美しい顔に心臓を灼かれる気持ちですらいるのに。
「あ、4ページ目。これが一番自信作。あと最後の……」
 他のファン達なら決して届かない距離に、この美しい顔がある。その優越感に、私はまるで溶けてしまいそうで。
「聞いてる?」
「ご、ごめん。見入ってた」
 触れたい。触れたいのに、触れたら、すべてが終わる。この光に、触ってはいけない。そんなことをしたら、私は。
「そうだ、次の写真集さ。オセアニアの方で撮ろうかーって話出てるんだけど、小道具あんたにお願いしたいなって」
「もう計画立ててるの……ってえええ!?」
「そんな驚く?いいじゃん、スポンサー欲しかったって言ってたくない?」
「そうだけど!いやでも突然……」
 狼狽える私に、美しい顔は溜息を吐いた。その仕草ですら、顔を崩さないように気を使っているようだった。
「決定事項だから。納期やギャラはまあ、打ち合わせして決めるとして。頼んだよ」
「わ、分かった……」
 手が、震えていた。この美しい顔を彩る、つまり光を形づくる協力をする……その想像の感触が、恐ろしかった。

 あれからというものの、美しい顔を中心に色々な人と会っては打ち合わせをした。あまりに白熱し過ぎて、1ヶ月でスケッチブックがアイデアとデザインイラストで2冊埋まった。
 マネージャー兼スカウトマンは私のことを覚えていなかったようで、あの美しい顔に「馬鹿が」と言われて薄ら笑いを浮かべていた。美しい顔を向けられているというだけで私の中の澱みが荒れて、吐瀉物をぶっかけてやりたいとすら思った。
「では……このデザインで、製作に入らせていただきますね」
 やる気があるのかないのか、それとも信頼の表れなのか。美しい顔は平坦な口調で「よろしく」と言ってくれた。他のスタッフは気を使ってくれたのか深々とお辞儀してくれた。
 あの美しい顔を、私の光を、彩る。形づくる。より輝かせる。私の情熱を、すべて注ぐために用意されたかのような大仕事。
 寝ずに手を動かした。粘土も金属も硝子も、何だって使った。あの美しい顔を、より輝かせるために。

 だから、「刺されて救急車に運ばれた」って報せも幻聴だって思った。

 私が病院に到着した時には、もう美しい顔は息を引き取っていた。刺されたのは腹部一箇所と陰部だったそうで、刺した張本人であるマネージャー兼スカウトマンは泣きながら自首したらしい。刺した理由は人伝てに聞いた気がするけれど、どうでも良過ぎて覚えてなんていなかった。
 光は、潰えた。そう思った。
 どれだけ美しいものを見ても、何をしても、輝いてなんていない。磨いた粘土も、金属も、硝子も、鈍い無価値な無機物に成り下がった。
 こんな目が、一体何の意味を成すというのか。もう、あの光を見ることはできないのに。
 お葬式の前、棺を開けてもらった。その中には、あの美しい顔があった。
 私の手は、やっぱり震えていた。もう後はお経をあげられて燃やされるだけだというのに、あの美しい顔は……光だった。
「……もう、最後なら」
 潰れてもいい。壊してもいい。終わってもいい。だって、この世界に光が残っている時間はもうわずか。
 手を、添えた。幼馴染歴28年で、初めて触れた。そのまま、いつものように、作るように、指を動かす。硬かったし周囲の人間は声を上げたけれど、止められなかった。
 その美しい顔は、やっと笑った。そして私の目は、潰れた。

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