【自分の】価値はどこから来るのか【他人の】

はいこんにちは。
月に一回程度、マジで何もしなくなる作詞家の藤橋です。
電池切れの日、みなさんありませんか?ありますよね?
意思に反して、体が磁石のように布団とドッキングします。
なんなんでしょう。その手の病でしょうか?

あ、ちなみにSNSには上げていませんが
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さて今回は自分の価値について書いてみたいと思います。

まず、みなさんの周りにこんな事を言う人はいませんでしょうか?

「(一般的に下の立場から上の立場へ)ぼくたちは対等だと思っている」
「きみが給料をもらえてるのはぼくのおかげだ」
「あなたを幸せにする」

ぼくはこの類の言葉を聞くたびに
こいつは何様なんだろう?という気持ちが湧くとともに、
心の距離がとんでもなく離れていくのを感じます。

逆なんです。

上記の例は
相手から感謝の念とともに謙遜まじりに言われて初めて価値が出る言葉です。
自分から発信するのは極めてダサい行為です。

ぼくには昔、めちゃくちゃカッコいい部下がいました。

それまで圧倒的な業績でチームを牽引していた自分がアクシデントによりめちゃくちゃコケた時。
彼はみんなに向かって言いました。
「今までさんざん引っ張ってもらってただろ!今度はおれたちの番だ!」
みたいなことだったと記憶しています。カッコよかったです。

その時、それまでずっと自分の中に「おれのおかげでみんなデカい顔できてるんだろ」という傲慢な気持ちがあったことに気付きました。
ダサかった自分を恥じました。
そして、涙の中で「チームに対する自分の価値」を初めて正しく受け取れたのです。


人は相対性の中で生きています。
相手が自分を認識して、初めて自分というものは存在します。
認識は言葉となり、他の人に届きます。
価値はそこから生まれます。
(ぼくの個人的な思想です)

難しい話になってしまいましたが・・・。

何もない、誰との関わりもない、世界から孤立したプレーンな状態の人間の価値を仮にゼロとします。
その人間は行動を起こします。呼吸をし、会話をし、社会生活を営みます。
するとその中で、感謝や軽蔑、好き嫌いなどの感情を他人に与えることになります。
他人が自分に対して何かしらの感情を抱いた時、初めて人に価値が生まれます。自分に向けられた色々な感情が積み重なった現在の姿こそが、その人の価値です。
価値という言葉を言い換えれば、人の念の集合体みたいなことでしょうか。

価値の形は人それぞれですが、このように、相対性の中に価値というものはあるわけです。

要は自分の価値は他人にしか決められないということですね。

話を戻します。

先ほど例文として記した言葉は、
全て自分の価値を自分で(良い方に)決めています。
ナルシシズムから来る自我の肥大が見て取れます。
一言で言うと図々しいです。


ぼくも褒められるのが大好きですが、
どこまで行っても謙虚に生きていたいという思いもあります。
未熟ゆえ、期せずして横柄になってしまうことも多々ありますけども。

初めての人と会う時、
ぼくの場合は自分がこの人にとって価値のない人間であると自覚することから始めます。なにしろ相手は自分がいなくても今まで何の差し障りもなく生きた人ですから。
自覚するからこそ、何かしらポジティブな感情を抱いてもらうという価値に拘ります。なのでその場を楽しんでもらうことに一生懸命になったりします。

「なぜ、あなたの周りには人がたくさんいるのか」
という質問をよくいただきますが、
多分このあたりの感覚が人より強いからなのかも、と自分なりに考えています。

色々ブツクサ言うとりますが。

「あなたを幸せにする」よりも
「喜んでる顔を見たいだけです」とか言える男になりたいものです。
知らんけど。

最後までお読みいただきありがとうございました。
ではでは。

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