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夕日を背景にミツメを聴きながら自転車を漕ぐと、視界がすべてミュージックビデオになる。

地面に映る自転車を漕ぐヒトの影。

雨上がりの夕日と、夏の終わりにしては冷たい空気。

イヤホンからはミツメの『三角定規』が聴こえてくる。

まるで自分の視界が、ミュージックビデオの世界のように切り取られていく。

なんでも美しく見えてくる。そして、切なくなる。

大学生活も残り少なくなり、モラトリアムと言い訳して現実から逃げることもそのうちできなくなる。学生という甘えた身分でいられるのもそう長くはない。

吉祥寺に下宿して小さな劇団に入りながら稽古をし、数少ない友達にチケットを手売りしたり、なけなしのバイト代をはたきながら貧しくも豊かな感性とともに生きる。並行世界に自分がもう1人存在するのならば、こんな人生なんだろうなと、よく妄想をする。現実に生きる自分には、そんな世界を生き抜く勇気がなく、ひたすら妄想の中の自分に羨望の眼差しを向けていた。

おそらく、就職したら薬剤師になる。国家試験を受けるからだ。

もちろん、試験は難しい。合格しなければいけない。でも、先輩がやっているように、今まで自分がやってきたように、勉強が大変だと言いながらもなんだかんだ合格して資格をとって、無難に働いていくのだろう。

そのうち結婚なんかして、子供も生まれて、薬剤師って儲からないんだなあとか言いながら死んでいくんだろうな。

昔は、自分がこの世界の主人公だと思ってた。

それがいつしか、自分はちっぽけな存在で、社会にとっては米粒よりも小さい存在なんだと気づいてしまった。大学に入ってから、自分は社会にとってモブなんだと自覚してしまった。

主人公なら、向上心を持ちながら常に前に進んでいけるかもしれない。
でもモブなら、前に進んで行かなくたって良いじゃん。だって、前に進む意味なんてないんだもの。と自己暗示のように言い続けていた。

でも、さっき見た
夕日を浴びながら自転車を漕ぐ自分は、明らかに主人公だった。
ミュージックビデオの中では主人公でいられた。自分というフィルターを通して自分を見れば、モブであっても主人公になれる。一人称とはそういうことなのだ。

主人公でなくても良い。でも自分の中では自分が主人公であると思い続けたい。




#18

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