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【SM小説】Ghost

僕は幽霊なんだ。

幽霊って言っても死んでるわけじゃないよ。毎日、こうしてちゃんと生きてる。でも、生きながらにして死んでいるみたいなもの。

だって、彼も、彼女も、誰も僕のことが見えていないみたいだから。

見えてないってことは、いないってことと同じ。それって、だから、つまり、幽霊ってことじゃないか?

いるのに、誰にも見えていないなんて。

別に寂しかないよ。ずっと、そうやって、16年間も生きてきたんだ。

それがずっと続くものだと思っていた。どこにいっても。

それでいい、と思っていた。

彼女が現れるまでは。

驚くべきことに彼女には僕のことが見えていた。

透明な存在だった僕に、姿かたちを与えたのが彼女だったんだ。

無色透明だとばかり思っていた“僕”という存在。

それは僕のとんだ思い違いだったんだ。

僕には“色”も、“姿”も“かたち”もあった。

そんなこと、知らなかった。思ってもみなかった。

ついこの前まで。

この世界に確かに縁どられていた“僕”という輪郭を思い知らされるために、彼女のもとへ向かう。

皮膚が張り裂けそうな、内臓が暴れるような、骨が軋むような、呼吸すらままならなくなる、そんなやり方で彼女は僕に“僕”という輪郭を教え込んでいった。


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岡部昴おかべ すばるはイジメられているわけではなかった。どこにでもいる、ただの16歳の男子だった。これといった特徴もなく、イジメられるほど人の興味もひかない、地味でひたすらに目立たない男子高校生だった。

成績も普通、運動も普通、顔も普通。引っ込み思案でおとなしかったため、先生からも目を付けられることもなく、かといって褒められることもなく、もちろん心を許す友人もいなかった。

とは言え、その事実は思春期の男の子にとって憂鬱の種となっていた。自分には存在価値が無いんじゃないか。生きてても意味がないんじゃないか。いっそ死んだ方がいいんじゃないか。そうやって一足飛びに飛躍していく思考は、若さがなせる愚かさとはいえ、悩んでいる当人にはそんなことは分からず、彼は彼なりに真剣に悩んでいた。

見当違いに上滑りした思考の果てに、岡部は自分のことを“幽霊”だと思い込むことで日常をやり過ごしていたのだった。

そのまま自身のことを“幽霊”だと思って、つまらない日常をやり過ごせていれば彼は道を踏み外さずにすんだだろうに。若さゆえの“憂鬱”は、学生時代を終えた後に訪れる社会生活の忙しさにかき消され、淡い思い出になっていたことだろう。

「あーあ、若い時は自分のことを幽霊って思って卑屈になって随分無為な時間を過ごしてしまったなあ」と小魚の骨のようなかすかな後悔の念とともに真夜中にふと思い出し、じきにそんなことも思い出さなくなって、決して派手ではないものの、ささやかな幸せを全うできたであろうに。

彼は出会ってしまったのだ。

伊藤沙織いとう さおりという存在に。

伊藤は岡部にとって彼を救う女神であり、それと同時に、地獄へと突き落とした邪神でもあった。

伊藤沙織は岡部昴と同じクラスの生徒だった。誰とも会話せず、かといって疎まれるわけでもなく、ただいない者として、そこに“いた”一人の男子をある時、見つけたのだった。

伊藤は「ああ、こいつなら、もしや」と思った。伊藤は物心ついた頃から自分の直感を信じて生きてきたし、彼女のその鋭敏で優秀な直感は概ね当たってきたし、彼女の人生をより良き方向へ、より面白き方向へ導いてきたことを16歳の若さで自覚していた。

沙織は休憩時間に、じーっと教科書の表紙に目を落として時間をやり過ごしている昴の肩に手を置き、耳元まで顔を寄せて「放課後、学校の裏に来て」と囁いた。目を丸くして沙織を見上げる昴の心の底から驚いたといったような表情を見て、彼女は満足感を覚えた。

昴は、この時、初めて、誰かに見つかったことに驚愕と動揺で揺れていた。昴はそれから放課後まで授業が頭に一切入ってこなかった。「どうして?」「なぜ?」「何の用があって?」ずっとそのことばかり考えて上の空になっていたのだ。もちろん、その様子を後ろの席から見ていた沙織は面白がっていた。

昴を呼び出した沙織は、適当な因縁をつけて彼をなじる。「じろじろ見てきた」とか「目線がイヤらしい」とか「スカートの中を覗こうとしている」とかそういった類のことだ。沙織は内心でとんでもない言いがかりをつけていることを自覚していたが、止められなかったし、止める気もなかった。

そして、「私がこのことを先生に言えば、キミの立場はきっと悪くなるだろう」と脅しにかかる。

それを聞いた昴は真っ青になった。先生からの呼び出しや、親の悲しむ顔、学校を去らなければならなくなった自分が思い浮かぶ。

「ど、どうすれば……」

昴はカラカラに渇いて貼り付いてしまった声帯をなんとか震わせながら言葉を発した。

沙織は顎に人差し指をやって、いかにも考え込んでいるふりをしてからこう呟いた。

「そうね、だったらキミは私の…………

伊藤沙織が岡部昴を奴隷にした瞬間だった。


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最初から。もちろんそれは驚いたし、心外であったが、不思議なことに嫌な気は全くしなかった。

濡れ衣を着せられ、僕は頬に平手打ちをもらう。

頬の皮膚が張り裂けたかのような痛み、脳みそがぐらりと揺れるような衝撃は僕の心を大きく揺さぶった。息が浅くなって、鼻の奥がツンとする。

何かを思う暇もなく、考える猶予もなく、胸の奥から名付ける以前の感情の塊がこみあげてくる。その様子を伊藤さんはじっと見つめていた。大きな二つの瞳が、じっと僕を見つめる。そして、その表情は爛々とした欲望の炎が燃え盛り、口の右端が上に上がっていた。

僕はこの時、初めて誰かに見られたのだ。

そして、この時、確かに思ったんだ。

ああ、僕はいたんだ、って。

ずっと、ここに。

吸い込まれるような綺麗な瞳がずっと僕を捕捉し続ける。涙に滲んで視界が霞んでなお、僕は伊藤さんの視線を強烈に感じていた。


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伊藤沙織は、思い通りになる玩具を手に入れた喜びを噛み締めていた。自分が思っていた以上に、事が上手く運んでしまった。こんなに上手くいくとは思っていなかったし、こんなにも簡単に岡部昴が自分の言うことを聞くなんて、妄想の中ですら想定していなかった。

反撃されるかもしれない。然るべきところに通報されてしまうかもしれない。そう思っていたし、そうなっても仕方がないことをしていると自覚していたが、現実はそうはならなかった。

最初の頃は呼び出す時の理由をあれやこれやと考えていたが、次第に理由を考え出すのも面倒になって、休み時間に肩を軽く叩くのが合図となっていった。

放課後、鞄の紐をぎゅっと握りしめ、心細そうに沙織を待つ彼の姿が校舎の裏にあった。校舎裏には何もなく、人通りもほとんどなく、恰好の場所だった。

鞄を下ろし、じっと見つめあい、相対する。そして、沙織が昴の瞳をじっと覗き込む。まるで獲物を吟味し、品定めするかのような攻撃的な目線だった。見下ろされた昴は身体が震えていた。いつものことだったが、彼はそれでも、彼女に必死に目を合わせようとする。

「どうして震えてるの?」

そう尋ねると、

「な、慣れてなくて……ひ、ひ、人に見られるのが……」

「嫌じゃない?」

彼は首をぶんぶんと振りながら、

「い、嫌なんかじゃ……ないです」

と答えた。さらさらの髪の毛の匂いがふわっと香る。

「嫌、じゃないんだ……ふうん」

「……はい」

今度は俯きながら、こくりと頷いた。彼は耳まで真っ赤になっていた。


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なんで嫌じゃない、なんて言っちゃったんだろう。

そんなこと言ったら引かれてしまうかもしれないとは考えがいたっていた。でも、それは紛うことなき本心だった。

伊藤さんが僕に拳を叩きつけるときだけは、僕を、僕だけを見ている。僕が苦しみ悶えるその表情や、立っていられないほどの痛みに腰を折って膝に手をついて喘ぐ姿。次の一打を今か今かと待ち、怯えるその姿。

彼女は僕のその滑稽な姿を見て、嗤っている。心の底から楽しそうに。こんなに愉快なことは無いというくらいの満面の笑顔を僕に向けてくれる。僕が苦しめば苦しむほどに、伊藤さんは楽しそうにしてくれている。そうやって好き勝手に僕を殴ってくれるのが嬉しかった。

伊藤さんにマウントポジションを取られ、胸の上に乗られたときの感触で、何度も自慰をしていた。彼女の存在、彼女の重み、彼女の拳の味を、いつの間にか覚えさせられてしまった。

伊藤さんとこういう関係になってからというもの、僕は伊藤さんを思い浮かべることだけでしかできなくなってしまった。まとめサイトの小説風の体験談も、汁気たっぷりに肉感的に描かれたエロ漫画サイトも、アダルト動画サイトの動画も全く自分を興奮させなかった。ただ、彼女から与えられた苦痛の数々を思い出しながら、伊藤さんのことしか考えられないカラダにされてしまったのだ、いつの間にか。

「ねえ、どうしてそんなやられっぱなしなの?」

地面に臥せた僕にそう聞いた。

「い、伊藤さんにだったら、何をされても嬉しいんです。僕は伊藤さんを信じてるから……」

だから、伊藤さんがしてくれるものだったら何でも受け取りたい……


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皮膚を強く叩く乾いた高音と、肉を殴る湿った低音が、校舎裏にこだましていた。壁に押し付けられた昴が一方的に殴られ、蹴られるだけ。昴は全身に蓄積する痛みに息が上がっていく。沙織は前腕を彼の首元に強く押し付けて、逃げられないように、座り込んでしまわないように壁に磔にしていた。そして、彼の苦痛に歪む顔を堪能しながら、お腹に拳をめり込ませていた。何度も、何度も。

一方昴は、伊藤さんの顔を間近で見ていた。彼女の息が掛かりそうなほどに顔を寄せられ、苦痛に耐えれば耐えるほどに、機嫌が良くなっていく伊藤さんを見て興奮してしまっていた。彼女のつややかな頬、意志の強そうな太めの眉、さらさらした髪の毛。

そして、彼を覗き込む瞳。

そういったものが、伊藤さんという存在を際立たせ、彼に性的な興奮を催させる。

もちろん、伊藤さんがそれに気が付かないわけがない。不自然に盛り上がった学生ズボンを見つけた伊藤さんは、人差し指でそれをピンと弾く。

「なに勃ててんの?」

彼を睨みつけながらそう言った。

「い、いや……」

沙織は昴の髪の毛をわし掴みにして上を向かせ、頬に強烈な一撃を見舞う。

「おい、なに勃ててんのかって聞いてんの」

「ご、ごめんな……さい……」

「謝れって言ってないでしょ?勃起してる理由を聞いてるの」

そう言って、もう一度、顔を薙ぎ払うほどの強いビンタが彼の頬に炸裂する。

「伊藤さん……が、伊藤さんの顔が近くに……それで伊藤さんに殴られてて興奮して……しまいました……」

「……そう。私に暴力振るわれて興奮しちゃったんだ」

「……はい」

「ふうん。私のせいってことなんだね。殴られて勃ったのを、人のせいにするんだね?」

「あ、いやっ、そ、そういうわけじゃなくて……」

昴は慌ててそれを否定した。

「キミがどうしようもないヘンタイだからでしょ。じゃあさ、見ててあげるから、自分でしなよ」

沙織は努めて事もなげといった風に彼に要求する。もちろん、昴にとってそれは難題であった。

「ここで……?」

固めた拳を柔らかな鳩尾にぐりぐりとめり込ませる。

「やらないの……?」

そう言って彼女が彼を追い込むと、彼は、覚悟を決めたようにして、「や、やります……」と低い声で言った。

カチャカチャという金属が擦れる音がして、学生ズボンが彼の足首にすとんと落ちた。真っ白な肌のところどころに痣を作った太腿が眩しい。膨れ上がった灰色のボクサーブリーフの頂点には濃い灰色の丸い滲みがぽちと浮き上がっている。

「なにこれ?」

そう言って、人差し指を滲みの先に突き立てると、

「んっ……」

と彼の喉が甘やかに鳴った。


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恥ずかしいところを見られている。

伊藤さんにこんな姿を見てほしかったわけじゃない。そんなつもりじゃなかった。

いや、そういう妄想は何度もしてきた。なんなら昨晩もそういう妄想をした。服を剝ぎ取られて、嘲り笑われるエロ漫画みたいな妄想だ。

でも、それはあくまでも妄想で現実にこんなことが起こるなんて思いもしなかったし、する気もなかった。それは彼女を穢してしまうことになってしまうから。

「ほら、そんなんじゃ気持ちよくないでしょ。ちゃんと扱いて」

こんな、こんな、キモチワルイ、キタナイ姿を見てほしかったわけじゃない……

いや、違う……

そうじゃない。

ほんとは見てほしかったんだ。

自分はいつしか欲深くなっていた。

ただ、自分を見てもらえるだけじゃ飽き足らなくなってしまっていた。

満足できなくなっていた。

与えられれば、もっと欲しくなる。

それはいけないことだ。

でも、それが、いけない事だと知りつつも、このことが彼女を穢してしまうことになったとしても、それでも僕は伊藤さんに見てほしかった。

見て欲しくなっちゃったんだ。

キモチワルイ自分も。キタナイ自分も。ミニクイ自分も。

伊藤さんがくれた痛み、伊藤さんの重み、伊藤さんの存在。伊藤さんで扱いている自分を見てもらいたかった。

「ずっとこうしたかった……です……

ああ、ごめんなさい。ごめん、ごめんなさい、本当に。

こんな、汚い……はしたない……かっこ悪い最低な自分を見せてしまって……」

伊藤さんは僕の顔と、そして、僕の手の動きを交互に見ていた。

ああっ……見られている……

こんな恥ずかしい姿を晒してしまっている。

ただでさえ、毎日、情けなく、彼女の与える痛みに耐えきれず地面にうずくまる姿を見せてしまっているのに、それなのに、こんな姿まで見られてしまうとは……

「いいんだよ、このまま、全部を見せなさい」

背中から快感がせり上がってきて、自然と尻の肉がきゅっと締まる。それは限界が近いことを示している身体の反応だった。

「ああ、も、もう、ん、やば……で、出そうです……」

僕がそう言うと、伊藤さんの目が妖しく光る。

「良いこと思いついた。中出しさせてあげよっか」

そう言って、腿まで下ろしたボクサーブリーフを一気に引き上げた。

「ああ、あ、ダ、ダメ……そ、そんな……ああ、と、止まらないっ……」

あ、と思った時にはもう手遅れだった。ただ灰色のボクサーブリーフの前の部分の滲みが大きくなっていくのをただ眺めるしかなかった。


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岡部昴はズボンも履かずに壁にもたれ掛かるようにしてへなへなと座り込んだ。伊藤沙織はそれを立って見下ろしていた。

岡部はこの時、自分の存在が“幽霊”ではないことを思い知った。

苦痛と恥辱が、彼の輪郭線を縁取ったから。

伊藤沙織に情けないところも、恥ずかしいところも、醜いところも観測されたこの日は、彼の人生の方向性を大きく決定づけることとなった。

岡部はこれからもきっと、見られることを望んで生きていくことになるだろう。自分の奥深くまで見られたいがために、その身体を差し出すだろう。

伊藤沙織という存在によって、岡部は決定的に形を浮き彫りにされてしまった。今後、伊藤沙織と別れた人生を歩むことになってなお、それは続いていく。生涯、彼に死が訪れ、幽霊になるまで。もしくは、幽霊になっても。

彼は、自らの輪郭を縁取る加害的な暴力を望んで生きていく。

それが決定的に明らかになった瞬間だった。



<了>



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