80年代後半_体験的堂山記2
ADON誌
これより以前のことはいいだろう。わが性的生活のゲネシスはともかく、堂山町に至る起点として『アドン』という雑誌(以下A誌)は記録しなければ。
千葉への出張の帰り、新幹線の時間待ちで東京駅地下の書店に立ち寄ったとき、初めてこの雑誌を手にした。
初めて知ったのはコチラ
『B族』(以下B誌)は高校生のころに初めて知った。同じクラスの男子が「おい、こんなん知っとうか?」とワラかしのネタで見せてきたのがそれ。初めて目にするゲイポルノ誌だったけど読んでみたいとは思わなかった。表紙のイラストをみて「なんか演歌的!」(個人の感想です、あくまで)と思ったきり、中身まで見る気も起きなかった。いわんや性的興奮などこれぽちも。たぶん描かれた男性の絵柄がタイプじゃなかったのね。
シュッとしてた雑誌
それから10年、東京で見つけたA誌はそのB誌のとなりに取り澄まして並んでいた。B誌もそれこそ10年ぶりに見たが、相変わらずギトギトしく目に飛び込んでくるのに比べて(あくまでも感想)、なんか「シュッと」していた。
でも中身を開くとそこにはやはりアダルトなフォトがあり、いわゆる性的興奮も起き、たぶんタイプだったのよ。買いたいと思った。
「取り澄まして」と書いてしまったけど、それは自分自身のことでもある。
武内条二さんのイラスト表紙は、これなら普通に買えるだろうと思わせたし、それになんと「ゲイ・リベレーション」という堂々とした解放運動誌ではないか!
取り澄まして買ったわよ!
ちら読みして「こんなことを主張する人々もいてるんや」とびっくりしたことでもあり、それについて知りたいという、大義名分もできた。
しかし東京、旅の恥はかきすてであった。実は内心ドギマギしつつも「取り澄まして」お金を払った後は、小走りに店を後にしたことは言うまでもない。「あら、きれーなこと言うてはるわね~、結局ソレ見てナニしたいだけやないのッ」とのツッコミはあたっているけど、ゲイリブというものに関心を持ったのはウソではない。
ともかくこれがわが堂山デビューへと続く起点となった出来事だった。