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日本D&D興亡史

 以下の記事はブログメディア、TokyoDevにて公開されている『The rise and fall of D&D in Japan』の元になった原稿です。
 日本在住の英語話者向け記事として「日本におけるD&Dの歴史」をまとめてほしいという依頼を受けたため、刊行されていたり、自分が立場上知り得た情報に基づいて日本のD&Dの歴史と展開を追いました。
 英語版の記事は、編集部の協力により、この記事からディテール部分を大幅にカットしてD&Dの興亡と現状、影響をシンプルにまとめたものとなっています。

 1985年、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(以下D&D)は日本で爆発的なヒットを記録し、日本語版『ベーシックルールセット』は発売された年だけで10万部を売り上げた。翌年にはゲーム雑誌『コンプティーク』にてD&Dのセッションの様子を読み物とした記事、『D&D誌上ライブ ロードス島戦記』が掲載された。この記事を元に書かれた小説『ロードス島戦記』は後にシリーズ総計1,000万部以上を売り上げた。

 しかし、このすばらしいスタートにも関わらずD&Dの勢いは急速に退歩し、今日、日本のTRPG界隈において『ダンジョンズ&ドラゴンズ』はマイナーな存在になっている。英語版の『Player's Handbook 5th Edition』は150万部以上売れたが、日本語版の『Player's Handbook第五版』の出荷数は2021年の時点で1万部に満たない。

 この記事では、日本におけるD&Dの盛衰を記し、D&Dが日本の大衆文化に与えた長年の影響を探る。

D&D上陸前夜(1970~1984)

 日本でのD&Dの受容の特徴は、アメリカと違ってテーブルトップのD&Dの前に、その派生物、つまりコンピュータRPGやゲームブックが輸入され、それが人気を博していたことにある。

 コンピュータゲームでは、1980年代始めに『Wizardry』や『Ultima』などのパソコン・ゲームが輸入され、遊ばれた。そして1984年には、国産のパソコンRPGとして『ハイドライド』や『ドラゴンスレイヤー』、『ブラックオニキス』が。アーケードゲームで、『ドルアーガの塔』などが発表され、人気を得た。

 ゲームブックのほうは、イギリスで1982年に刊行された『Fighting Fantasy』シリーズの第一作、『The Warlock of Firetop Mountain』が、1984年に社会思想社より『火吹山の魔法使い』として出版された。
 『火吹山の魔法使い』は劇的に売れ、1985年9月22日の朝日新聞日曜版の記事によれば1年足らずで29刷25万部を売っている。その後も『火吹山の魔法使い』は売れ、グループSNE、社長安田均氏の証言によれば、1987年には100万部を超えていたと思われる。

 社会思想社はこのあともファイティング・ファンタジーのシリーズを翻訳し、ゲームブック・ブームを巻き起こした。そして他の出版社もゲームブックを翻訳したり、日本製のゲームブックを製作・出版した。
 D&Dについて言えば、角川書店のグループ企業・富士見書房が1985年12月よりD&Dのドラゴンランス世界を舞台にしたゲームブック『パックス砦の囚人』(Prisoners of Pax Tharkas)を出版する。

 これらのゲームが扱っていたヒロイック・ファンタジーというジャンルも、『蛮人コナン』シリーズが1970年から、『指輪物語』が1972年、『ファファード&グレイ・マウザー』シリーズが1977年と70年代に積極的に日本に紹介・翻訳されている。
 1979年には国産のヒロイック・ファンタジー『グイン・サーガ』が刊行されて話題になり、D&Dやゲームブックの購買層である学生のSFファンにとって、ヒロイック・ファンタジーは馴染みあるジャンルととなっていた。

 かくして1985年前後の時点で日本では、ファンタジー世界の物語が人気を博し、さらなる”剣と魔法の冒険”が望まれていた。
 そしてまた、これらのゲームの背景として「D&D」というゲームがあることも記事で紹介されており、大学生などを中心としてD&Dを輸入して遊ぶグループができていた。
(一応、1970年代にも「アメリカでD&Dというゲームがあり、それが大人気である」という情報を、一部のSF作家やシミュレーション・ウォーゲームのマニアは耳にしていたが、遊び方や特徴が理解されていたとは言えない)

ここに“赤箱”が上陸したのである。

ベーシックルールセット、上陸(1985~

 1985年6月、株式会社新和から『ダンジョンズ&ドラゴンズセット1:ベーシックルールセット』が発売された。これはFrank Mentzerの編集による『Dungeons & Dragons Set 1: Basic Rules』の翻訳である。
 ラリー・エルモアの描いたレッド・ドラゴンを掲げた、この箱入りのセットには2冊の冊子とダイスが入っていた。ダイスの対日本のユーザーに馴染みがあるのは6面ダイスだけで、他の20面、12面、10面、8面、4面ダイスは、購入者のほとんどが初めて目にするものであった。

 このベーシックルールセットは箱に入った製品であったために玩具として流通し、日本各地の玩具店・ホビーショップ(当時は模型やエアソフトガンなどを扱っていた)で販売された。

 すでに剣と魔法の世界での冒険に夢中になっていた、日本の青少年は町のオモチャ屋でこれを買い求め、安田均氏の語るところによれば“赤箱”は発売後一年で10万セットが売れた。
 新和版D&Dの関係者、川本幸作氏によれば赤箱は1991年までに累計で20万セットが売れたという

追い風(1986~

 1986年五月末、任天堂の家庭用ゲーム機、ファミリーコンピュータにて本格的な国産RPG『ドラゴンクエスト』が発表される。これは文字通り国民的なブームとなり、“RPG(ロールプレイング・ゲーム)”という言葉(この時点でこの言葉は、ヒロイック・ファンタジー世界での冒険とほぼ同義だった)を日本に定着させるきっかけとなった。

 そして1986年9月。角川書店のパソコンゲーム情報誌、『コンプティーク』にて、水野良とグループSNEによるダンジョンズ&ドラゴンズの連載記事、『D&D誌上ライブ ロードス島戦記』の掲載が始まる(当時は安田均名義)。
 これはD&Dのセッションのセリフを書き起こし、編集して、プレイの様子がわかる読み物にした記事であり、以降この形式のセッション記録は“TRPGリプレイ”と呼ばれ、以降30年近く日本のTRPGにおいて重要な役割を果たすことになる。
 この『D&D誌上ライブ ロードス島戦記』は当時の読者の心を鷲づかみにした。

 RPGというのは、実際にどのようなことをしているのか、何が楽しいのか、何が起こっているのかを把握しにくい、伝えにくい遊びである。
 が、実際のプレイ風景を見たり、ゲームに参加するとその楽しさがよくわかる。昨今の“Critical Role”をはじめとするTRPGのストリーミングは、まさにTRPGの楽しさを第三者にもわかるように提示したことが人気の源だ。

 この『ロードス島戦記』はCritical Roleに先駆けること30年前に、RPGのセッションの楽しさを、文章で毎月、数千数万という読者に伝えたのである。

 ゲームの方のD&Dも好調に続々と製品を翻訳・刊行する。
 1987年の中頃には『セット2:エキスパートルールセット』(4~14レベル:青箱)と『セット3:コンパニオンルールセット』(15~25レベル:緑箱)と各レベル帯のモジュール(冒険シナリオ)が揃った。
(最終的に1989年に『セット4:マスタールールセット』と同レベル帯のモジュール『巡らされた糸』まで、25本超のモジュールやアクセサリーが刊行された)

 そして1987年5月、D&Dのゲームブックを出していた富士見書房からは、『ドラゴンランス戦記』(Dragonlance Chronicles)が刊行された。ゲームブックと同じ棚に置かれたこの小説を、その読者層が手に取った。
 ドワーフやエルフ、ファイターやマジックユーザー、そしてドラゴンやホブゴブリンといったD&D世界の住人たちの活躍は、実際に遊んでいたD&D世界そのものであり、自分たちが遊んでいるセッションの様子を、さらに色鮮やかに思い浮かべることができた。
 『ドラゴンランス』は好評で、後続シリーズも翻訳された。さらに富士見書房で絶版になった後も出版社を変えて続き、2021年には『レイストリン戦記』(The Raistlin Chronicles)が翻訳されている。

 同年7月、やはり富士見書房から、ウォーゲーム・デザイナーとして実績のあった黒田幸広によるD&Dのガイドブック『D&Dがよくわかる本』が刊行される。
 当時の日本ではあまり一般的でなかったD&Dのクラス(および種族)や武器や鎧、装備品について解説するとともに、実際のプレイのようすをリプレイ形式で収録していた。
 本書は内容を英訳し、TSRの監修を受けている。そのため編集に2年ほどかかった。

𠮷田:(前略)ただ、私はTSR社というと、『D&Dがよくわかる本』という本を編集して出しました。これはTRPGを普及させるのに貢献度が大きかったのではないかと思います。編集に2年ぐらいかかりましたね。全部英訳して、TSR社にチェックを取っていましたから。

『東大・角川レクチャーシリーズ 00 『ロードス島戦記』とその時代 黎明期角川メディアミックス証言集』、P.115

 このようにD&Dの製品群(ルール、モジュールなど)は株式会社新和から玩具店経由で、D&Dの世界観を示す翻訳小説と遊び方の紹介は富士見書房や角川書店から書店経由で提供され、D&Dを遊ぶ環境は整った。

 この当時すでに他のTRPGも発表・翻訳されていた。実際にD&Dよりも早くホビージャパン社からSFTRPG『トラベラー』(1984年)が翻訳されているし、日本作家による国産RPG『ローズ・トゥ・ロード』(1984年)もまた、赤箱よりも早く発表されている。
 しかし、雑誌での連載記事(しかも“TRPGリプレイ”というまったく新しい読み物)や、書店のゲームブック・コーナーへの関連製品の供給などにより、D&Dの知名度は他を圧していた。

 おそらく、この頃が日本においてダンジョンズ&ドラゴンズがTRPGのトップに立っていた時代である。

グループSNEのD&D離脱

 角川書店は『コンプティーク』誌上で大人気となった『D&D誌上ライブ ロードス島戦記』の連載をまとめ、文庫書籍として販売しようとした。
しかし、ここでD&Dの版元、TSRが難色を示す。
 雑誌記事として独自のキャンペーン・ゲームを物語として記すことは問題ないが、それを編集しD&Dブランドを冠した文庫本として販売すること、TSRを介さない独自のD&D製品として販売することをTSRは認めなかったのである。

僕たちは『D&D』を広めたくてやったのですけれども、「作品として出すのはだめだ」と言われました。「それだったら、オリジナルで出してもいいか」と伝えたら、「それは勝手にやれ」ということです。『D&D』の制作元のTSR社には自国(自文化)中心主義がありまして。まあそれと、ゲーム本体(ルール、シナリオ)とその周辺領域(リプレイ、小説)の二つを2社(新和、角川書店)に分かれてやっていたら、そりゃ難しいですよ。

『東大・角川レクチャーシリーズ 00 『ロードス島戦記』とその時代 黎明期角川メディアミックス証言集』、P.37

 結局、この『D&D誌上ライブ ロードス島戦記』を元に、著者にしてDMを務めた水野良は小説『ロードス島戦記』を執筆する。
 小説『ロードス島戦記』はライトノベル創始期のヒロイック・ファンタジーの代表作となり、全シリーズの累計発行部数1000万部を超えるメガヒットシリーズとなった。

 連載記事『D&D誌上ライブ ロードス島戦記』は、好評を受けて『ロードス島戦記2』、『ロードス島戦記3』と連載が続くが、3以降はグループSNEが製作したオリジナルのTRPG(『ロードス島戦記RPG』)に基づいてセッションが行われた。
 そして文庫で刊行されたTRPGリプレイは、D&Dではなく『ロードス島戦記RPG』によるものとなった。

文庫TRPG、国産TRPGの台頭

 1987年、『ファイティング・ファンタジー』シリーズを翻訳していた社会思想社は、ゲームブックファンのTRPGへの移行を鑑みて、TRPGの出版に乗り出す。
 グループSNEの企画・翻訳により、フライング・バッファロー社の『トンネルズ&トロールズ』を文庫として発売した。

 1988年、『D&Dがよくわかる本』やD&D系ゲームブックを出版していた富士見書房は、ライトノベル雑誌『ドラゴンマガジン』を創刊。その雑誌上でオリジナルのTRPG、『ソード・ワールドRPG』を発表する。
 この『ソード・ワールドRPG』は背景の一部を『ロードス島戦記』と共有しており、デザインは当然ながらグループSNEが行った。『ドラゴンマガジン』誌上では、ゲームシステムや背景世界の紹介が行われ、1989年『ソードワールドRPG』が文庫で発売された。

 先に引用した安田均氏のツイートによれば、トンネルズ&トロールズ(1987~)は20万部。ソードワールドRPGは文庫版ルール(1989~1996)が最終的に50万部超と、赤箱を超えて素晴らしく売れた。この二つのTRPGがこれほどに売れたのには理由が二つ考えられる。

 1つは値段の安さである。『ベーシックールセット』が4800円だったのに対し、『ソードワールドRPG』は640円、『トンネルズ&トロールズ』は680円と、始めに遊ぶのにかかる費用がD&Dの1/7程度であった(しかも、D&Dのほうはすぐに『エキスパートセット』が必要になった)。
 文庫サイズの本は大量に印刷する必要があるが、その分1冊当りの値段は低く抑えられる。すでにゲームブックで数十万部を販売した実績があったため、これらの文庫版ルールブックも同様の売り上げが予想でき、大量に印刷することで1冊当りの値段を抑えることができた。

 もう1つの理由は入手のしやすさである。ボックスセットであるD&Dは玩具として流通したため、販売場所は地方の中心都市に2~3箇所ある程度の玩具店に限られていた。一方で文庫スタイルのTRPGは書籍・雑誌として流通しており、そして書店は、日本のほぼすべての市町村にあった。
 そして先行するゲームブックのブームにより、多くの書店にはすでにゲームブックのコーナーがあり、文庫版のTRPGはそこに入れ替わる形で置かれた。
 かくしてこの時代、日本のほとんどの書店にTRPGが置かれる、という状況が完成したのである。

 しかもグループSNEは、成功の実績があるTRPGリプレイを『ドラゴンマガジン』誌上で連載してゲームの背景世界や遊び方の紹介を行い、文庫として出版した。『ソードワールドRPG』はリプレイだけでなく冒険シナリオや追加ルールも文庫で出版した。
 かくして『ソードワールドRPG』は充実した製品展開と、その入手のしやすさ、雑誌での継続的なサポートにより日本産TRPGのフラッグシップモデルとなり、国内のTRPGシーンを席巻した。

AD&D2版への移行失敗(1991)

 主要なD&D製品の翻訳を終えた新和は1991年、『Advanced Dungeons & Dragons 2nd Edition』のコア・ルールブック3冊と一部アクセサリーを翻訳・出版した。
 価格は『プレイヤーズ・ハンドブック』が6800円、『ダンジョンマスターズ・ガイド』が5800円、『モンスター・コンペンディウム』が6800円。
 販売部数が少ないこと、翻訳するテキスト量が多いこと、ハードカバーという体裁などが影響して、高価格は避けられなかったようだ。そのせいもあってか、既存のD&Dユーザの移行は少なく、一部のマニアが購入するにとどまった。
 かくしてAD&D2版への移行は成功せず、新和による日本でのD&Dの展開は終了した。

メディアワークスでの再浮上(1994年~1996)

 1991年、『ソードワールドRPG』や『ドラゴンランス戦記』、『ドラゴンマガジン』を出版していた富士見書房は親会社の角川書店(『ロードス島戦記』のリプレイおよび小説を出版)に吸収合併され、社内カンパニーとなった。その翌年、角川書店において社内政治の対立がおこり、ゲームやアニメとのメディアミックスを行っていた一部が独立、新会社メディアワークスを設立する。

 メディアワークスはコンソールゲームやコミックを扱う雑誌を創刊したが、TRPGを扱う雑誌『電撃アドベンチャーズ』も創刊した。そしてメディアワークスはD&Dの翻訳を行なうことを発表。翻訳するのは、AD&D2版ではなく『Dungeons & Dragons Rules Cyclopedia』である。
 『Dungeons & Dragons Rules Cyclopedia』は過去の4つのボックスセットの内容、すなわち1~36レベルまでの各クラスのデータやモンスターのデータ、屋外冒険に領地経営、大規模戦闘や異次元の冒険、さらにはPCが神となるルールを1冊にまとめたもので、歴代D&Dの中でも珍しい「1冊の製品で完結したD&D」であった。数多くのサプリメントの使用がほぼ前提となっていたAD&D2版よりも、日本においては遊びやすいD&Dである。

 翻訳を行ったのは安田均とグループSNE。そしてこの翻訳では、日本におけるD&D翻訳史で唯一となる画期的な編集が行われた。

 本来は1冊の大型ハードカバー書籍であった『Dungeons & Dragons Rules Cyclopedia』を、日本の環境に合わせて、文庫版へと分割。レイアウトを変更し、イラストも日本向けのイラストに差し替えたのである。
 まず1~9レベルまでのルールを、『プレイヤーズ』、『ダンジョンマスターズ』、『モンスターズ』の3冊に分けて刊行。
 冒険シナリオは『キングズ・フェスティバル: 王の祭り』(B11 King's Festival)が翻訳された。
 そしてグループSNEの代表にして、今回の翻訳者でもある安田均みずからが『電撃アドベンチャーズ』誌上にて、TRPGリプレイ『ミスタラ黙示録』を連載し、これを文庫として発表したのである。
 アートワークの差し替えや判型の変更に既存ユーザからは戸惑いの声もあったが、刊行は順調で、冒険シナリオは『クイーンズ・ハーベスト: 女王の収穫』(B12 Queen's Harvest)に『ナイツ・ダーク・テラー: 黒い夜の恐怖』(B10 Night's Dark Terror)、リプレイは五巻までが刊行された。

 しかし、1997年にTSRがウィザーズ・オブ・ザ・コースト(以下WotC)に買収され、前後の混乱により、予定されていた10レベル以降のデータやルールは刊行されないまま、メディアワークス版D&Dは終了した。

 仮にTSRが買収される前に、すべてのルールが刊行されていたら、以降の歴史は少し違ったかもしれない。

 しかし、1~9レベルまでのルールおよびデータのみでは、すでにかなり充実を見せていた『ソードワールドRPG』を始めとする他の国内のファンタジーRPGとくらべて見劣りし、このD&Dを遊び続けるのは難しかった。

D&D3版、ホビージャパン時代(2002~2022)

 2000年、WotCから『Dungeons & Dragons 3rd Editon』が発表される。
 D&Dの特徴を保ちつつ洗練されたd20システムは遊びやすく、D&D3版は大ヒットとなる。その評判は日本にも伝わり、2002年ホビージャパンが『ダンジョンズ&ドラゴンズ第3版』翻訳・出版した。
 以降、ホビージャパンは2022年までの間に、3版+3.5版(63点)、4版(42点)、5版(16点)と各版のダンジョンズ&ドラゴンズ製品を総計100点以上の製品を翻訳・出版した。これらの製品はWotCが要求するとおり、もとの製品と同じ形式で翻訳・出版されている(ハードカバー、同レイアウト、同イラスト)。
 すべての製品を翻訳したわけではないが、基幹となる製品、世界設定、主要な冒険シナリオを出版したことにより、このD&Dは新和版やメディアワークス版を知らない新規ユーザを取り込み、以降20年に渡る製品展開によりそのファンを定着させた。

 ホビージャパン時代のD&Dの売り上げを、最も基本となる『Player's Handbook』の出荷数で見てみよう。打ち合わせなどで私がHJの担当者から聞いた情報によると、以下の通りである。
 D&D3版のPHBは8000部弱、3.5版PHBは6000部強、売れた。
 D&D4版のPHBは5000部弱。
 D&D5版のPHBは9000部弱。

 売れた部数は同時代の日本製の文庫本TRPGに比べれば、おそらく少ない。 
 しかし根強いファンが存在するために、比較的高額(5000~6000円)な商品が、確実に3000部ほど売れることもあり、ホビージャパンからの翻訳・販売は続いた。
 この時代、D&D製品は「ハイエンドな輸入TRPG」として、「勢力としては2番手以降」というニッチを占めていたと言えよう。

 ホビージャパンは、新規ユーザ獲得と売り上げ向上を目指し、ユーザーサポートを手厚く行った。

  • 東京都のみではあったが、定期的にD&Dのコンベンションを開催した。このコンベンションではホビージャパンがDMと冒険シナリオを用意し、一定水準以上のプレイ体験を提供した。

  • 自社発行のゲーム雑誌にて、D&Dの紹介記事や冒険シナリオ、リプレイを連載した。3.5版の折には、雑誌に掲載されたリプレイを、新しく立ち上げた自社の文庫レーベルから出版することもした(2007年、『若獅子の戦賦』、13,000部)。

  • 2007年からはアメリカ本国と同じようにGamedayD&DエンカウンターといったD&Dのイベントを日本でも開催した。WotCから送付されたイベントパッケージを受け取り、冒険シナリオを翻訳し、それを北海道から沖縄まで日本各地のホビーショップ(最盛期は20箇所以上)に送付し、イベントを開催したのである。

  • 2013年からニコニコ動画、2017年からYoutubeで実際のセッションの様子を配信。

(ただしリプレイに関しては、4版以降、WotCもTSRと同じように内容の確認・監修を要求するように態度を変えた。全文を英訳して監修を受けるのは費用や手間の点で非現実的であり、以降文庫リプレイはなくなった)。

 ホビージャパンの施策は実を結び、熱心なファンが育った。
 D&Dの大規模なコンベンションが毎年、日本の主要都市で開催されるようになっており、それは今現在も続いている。

 5版のPHBが過去の版の中でも最大の売り上げを上げたというのは、製品そのものの魅力もあるが、過去の版からの継続的なユーザだけでなく、新規ユーザも増えていたためだ。
 ホビージャパン時代は、「D&Dを知らない人にD&Dを届ける」ことはあまりできなかったが、「D&Dを知っている人やD&Dに興味がある人に、遊び続けてもらう」ことは充分にできていたのである。

 だが、2021年10月1日。ホビージャパンは日本語版D&DのTwitterアカウントにて、2021年の商品が取り止めとなったこと、既存の製品の販売期間は2022年6月までであり、それまでは製品の販売、カスタマーサポートを継続することを告知した。

 2022年7月1日、WotCによるD&D公式サイトがオープンし、今後のダンジョンズ&ドラゴンズの展開はWotCが行なうことが発表された。

WotC時代(2022年12月~現在)

 WotCは初心者向けにスターターセットやデラックスボックスを、そしてコアルールを刊行すると発表。
 そして、これまでになかった大規模な広告を行った。

 以前の版では広告の主体はゲーム雑誌などであったが、今回の広告はインターネットを主戦場として、広く一般の目にも届くものであった。
 実際に、ゲーム情報を扱うニュースサイトやSNSでは話題になり、過去の赤箱を知る人だけでなく、現在TRPGを遊んでいる、だがD&Dのことは知らないユーザにも届いた。

 そして、2023年4月からは、初心者向けイベント“D&D Learn-to-Playプログラム”を、WPN(Wizards Play Network)加盟店でスタートさせた。
 このプログラムは希望する店舗に開催キットとノベルティグッズを送付し、店頭で15分から30分のデモプレイを楽しんでもらうというものである。このイベントは日本全国43箇所の店舗で行われることになっていた。

 SNSやネットのニュースなどを見る限り、これらの施策は確かに話題になった。だが、それを見た人が実際にゲームを遊ぶようになったのかどうかには疑問が残る。

WPN加盟店とのくいちがい

 すぐに明らかになった問題は、日本のWPN加盟店でD&Dをイベントを行うことは難しいと言う事実だった。
 日本におけるWPN加盟店は、ほとんどすべてがカードゲーム、マジック・ザ・ギャザリング(以下、MtG)の専門店であるため、スタッフにはD&Dについての知識や経験が乏しかった。ダンジョンマスター(DM)を行えるスタッフがいないのではD&Dイベントを続けてゆくことは難しい。
 そもそも、その店の客はMtG製品を買い、遊ぶために来ている。新しくD&Dを遊ぶ動機も低いし、当然ながら店舗でDMを引き受けられる顧客もいないのだ。

 一方、これまでD&Dを扱っていたホビーショップのほうは、開催キットを受け取り、D&Dのイベントを開催するため、新たにWPNに加入しなければならなかった。
 さらにWPN加盟店舗の資格を満たすには、規定期間内に一定数のイベント参加者数を達成する必要がある。参加者同士で遊ぶことのできるMtGと違って、D&DはDMがいなければ遊べないため、MtGに比べると参加者が伸びず、WPN加盟店舗の資格を失ってしまう。

 このように、日本ならではの環境の違いにより、日本のWPN加盟店でD&Dイベントを開催している店舗は、現時点で片手で数えるほどになっている。WPNのシステムを使ったユーザサポートを、そのまま日本で実行するのは難しかったのだ。

映画やBG3との連携が不十分

 2023年は日本でもD&Dの映画『ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り』が公開され、さらに年末にはゲーム・オブ・ザ・イヤーを獲得したゲームとして『バルダーズ・ゲート3』が完全日本語訳されて発売された。
 『ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り』は公開中から人気は高く。特にパラディンのゼンクを評した「セクシーパラディン」というフレーズは日本国内でバズっただけでなく、ゼンク役の俳優レゲ=ジャン・ペイジもツイートするほどだった。各種サブスクリプションサービスで配信されるようになってからも人気は高く、日々新たなファンを獲得している。
 『バルダーズ・ゲート3』も発売当初から、その物語の展開の幅広さ、魅力的なキャラクターでユーザを魅了した。
 なかでも独特のクラスや呪文、ゲームシステム、そして要所でロールされる20面ダイスが「TRPGのセッションのようすをコンピュータ上で完全再現している」と評判になった。
 この映画とゲームは、これまでD&Dに触れてこなかった人が、D&Dやフォーゴトン・レルムに興味を持つきっかけとなっている。
 『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の認知度が史上最高となっているのは、まさに今、このときだ。

 だが、映画やゲームの世界を深く知ることのできる『ソード・コースト冒険者ガイド』や『バルダーズゲート:地獄の戦場アヴェルヌス』といったホビージャパン時代の製品は絶版で、WotCからは発売されていない。
 映画やBG3からフォーゴトン・レルムやD&Dに興味を持った人たちが一番読みたい、読めば楽しい製品が手に入らなくなっている。

 しかも、日本語版D&Dのサイトには映画やBG3に関する情報が一切掲載されていない。
 D&D Beyondのサイトにあるような、映画に登場したキャラクターやアイテムのデータが日本語版サイトにあれば、映画やPCゲームからテーブルトップゲームへのよき導線となるはずだ。
 また、バルダーズゲートの街や、ハーパーという組織などについて紹介するような記事が公式サイトにあれば、興味を持って関連製品を購入したり、紙とペンのRPGを遊んで見ようと言う人もいるだろう。
 だが、そのような「本国サイトの翻訳記事」も「日本語版サイトでの独自記事」も掲載されていないのである。

 さらに言うなら、日本語版の公式サイトには製品紹介やプレイング紹介の記事・動画といった、これから遊ぶユーザのためのコンテンツはあるが、エラッタやFAQ(Sage Advice)、さまざまなレベル帯の各種事前作成キャラクターなどの今遊んでいるユーザのためのコンテンツがない。
 既存ユーザが公式サイトを訪れる理由に欠けるのだ。

二年目から始まる挑戦

 一方、日本でのD&D展開が2年目に入り、独自の動きも始まっている。

 注目に値するのは、SNSでファンコンテンツ(#DnDファンコンテンツ)やプレイ仲間募集(#DnD仲間募集)のタグを作り、それらを公式アカウントで取り上げて、積極的に日本国内のユーザ・コミュニティに関わろうとしていることだ。
 実際に、これらのタグをたどればVtuberや配信者たちによるセッションのストリーミング、キャラクターイラストや、独自のアドベンチャー、アニメ風のプレイ動画などを見ることができる。
 WotCは既にファンコンテンツポリシーを明確にしているだけでなく、創作物を発表するプラットフォーム、DMsGuildも整備している。ユーザにとってD&Dは、ファンコンテンツの公開や創作物の販売が行いやすいゲームなのだ。これらのタグを通じて公式がファン活動を紹介してくれるとなれば、ますますファン活動は盛んになるはずだ。

 赤箱の上陸以来、日本語展開が中断することは何度もあったが、それでも日本のD&Dファンはこのゲームを遊び続けてきた。継続的に日本語版が発売され、SNSで情報を共有しやすくなったこの20年は、コミュニティの活動はとても充実している。
 このファン・コミュニティと上手につきあってゆくことができたら、日本でのD&Dの展開は、また一歩新たな段階にレベルアップするだろう。

補)D&Dが日本に及ぼした影響

 D&Dが日本でTRPGのNo.1 であった時代は初期のみで、以降は常に他のTRPGの後塵を拝してきた。
 だが、日本のサブカルチャーに与えた影響はとても大きい。

1980~90年代

 1980年代、日本でコンピュータRPGを作ろうとしたときには、D&D製品がモンスターや世界設定の参考として使われた。『ファイナルファンタジー』に登場するモンスターなどはその格好の例である。
 そしてD&Dのセッションから生まれた『ロードス島戦記』は、日本におけるヒロイック・ファンタジーを一気にメジャーなものにした。
 これらの作品により、D&Dを遊んだことはなくとも、ある種の教養としてその名前や情報を知っている人はおり、その中には将来のマンガ家や小説家がいたのである。

2010年代以降

 背景情報が濃密なD&D製品は、設定資料としての価値がある。ホビージャパン時代には、過去(新和やメディアワークス時代)に翻訳できなかった製品が数多く翻訳され、多くのユーザーがその設定の濃密さと豊富さに驚き、興奮した。
 またDMやプレイヤーの経験を通じて、「物語や世界を創造する楽しさ」を知り、創作活動を始めるユーザも現れた。
 そうした創作者たちは、ネット上の投稿型小説サイトにて、ゲーム的な概念を念頭においたヒロイック・ファンタジー小説を投稿し、人気を博すようになる。(『オーバーロード』、『ゴブリンスレイヤー』、『最果てのパラディン』等。)
 直近では『ダンジョン飯』の作者がバルダーズゲートシリーズを好んで遊んでいたことが明かされており、これもまたD&Dの影響を受けていると言って良いだろう。

著者紹介

柳田真坂樹
 奇しくもD&Dと同い年なダンジョン・マスターのなれの果て。2003年からダンジョンズ&ドラゴンズの翻訳に参加し、その後ずっと翻訳を続けつつ、他のTRPGの記事を書いたり、ミニチュアをペイントしたり、セッションを遊んでいる。
 小学校6年で最初に作った自分のキャラクターは、額に傷を持つ黒髪のエルフ、サキ。だが、3回目のセッション以降、DM専門となったため、レベルは1レベルのママだ。


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