話し合いをしたい人としたくない人
世の中には、話し合いをしたい人としたくない人がいるみたい。
私は話し合いをしたいと圧倒的に思うタイプなので、話し合いをしたくない人とか、話し合いを途中放棄する人の気持ちが理解はできても分からない。
と、そんなふうに考えているときに友人と話の流れでフェミニズムや女性の出産、男女間のこと、これからの人生などについての話になった。
私は こういう話がしたかった!と半ば興奮しながら口が止まらなくなってしまって、どんどん話したいことが出てきた。
しかし、聞いてみると彼は話し合いが嫌いらしい。少し落胆しながらも理由を聞くと、「話し合っても現状がどうせ変わらない話には中身がないし楽しくない」と。彼はもう絶望しかない世の中を変えることはできないと思っているから、そんな話をして辛くなるくらいなら、明るく楽しい話をしたいらしい。
驚いた。私は、彼が嫌がる理由こそが話し合いを好む理由だから。
世界のさまざまな問題は、こんな島国の何の権限も持たない20代が話し合ったって何も解決しないのは確かで、権限を持つ人に伝える手段もそうそうない。
だからこそ、私は話し合いが好きだ。
解決策を求める話し合い、というのもいろんな機会で遭遇するけど、私たちでは解決できないことこそ話し合いたいと強く思う。
結果の出るような話し合いじゃないと意味がないのだろうか?私はそんなことはないと思う。
結果が出ることや良くなることが前提の話し合いは、それはそれで良いと思う。
だけど、結果が出ていないことこそたくさんの人の意見や知識を見聞きしていくことで、現状は最悪でも自分自身の人生は中身は豊かにしていけると信じているから。
絶対に、どこかに、私の全く知らないような出来事や私の想像にも及ばなかった意見や考え方を持つ人は必ず存在していると思う。
あと、知らない人の話を想像だけで知った気になるのと、実際に話をしてもらうことは絶対的に感度が違うと思っている。
だからこそ、20代前半の私はどんどん人の話を聞いて、たくさんのことを知り、たくさんのことを共有し、考えを深めていきたい。
私が考えたところで税金は減らなくとも、考えていきたいし話し合いたいと思う。
私は根本的に誰の意見も否定はしたくない。
それは違う、という言い方よりも、あなたはそんなふうに思うんだね、私はこう思ってて、と言いたいし、常日頃から頭ごなしに否定することは避けたいと思ってる(一方的に誰かが悪いことなどは除いて)。
人の話を聞くというのは、私は本を読むことに近いと思っていて、時にはたくさんの知識を享受できたりもするし、単純に気分が良くなることもある。
話し合いは、色んな面でとてつもなく万能なものだと感じる。
だからと言って、話し合いが苦手な人やしたくない人に、話をしろ!お前はこれについてどう思うんだ!と、強制したいわけでは一切無い。
話したいことがあるって人と、話を聞きたい人と、話し合いをしたいような人たちがいそいそといろんなことについて話す。その状況がどの立場の人間にとっても都合が良いと思うから。
内容には意味がなくたって良いし、とっても深い話でも良いし、別に陰謀論でもいい。
同じ言語で意思疎通ができて、言葉のニュアンスが伝わるのであれば、私は話し合わないのは勿体無いことなんじゃ無いかとも思う。
まあでも、私はチョコレートアレルギーだから「チョコレートが食べられないなんて勿体無い!」と言われるけど、嫌いな上にアレルギーのあるチョコレートを食べられないことが勿体無いとは思わないので、話し合いたくない人たちもこんな気持ちがあるだろうなと想像したりもする。
私の人生は
【ゆる募】話し合いたい人
みたいな感じがある。