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宿題って必要? それともいらない?


Ahoj! こんにちは。TaRoです。
今回は日本の教育関連記事を書いていきたいと思います!

注目したのはこのニュース。

最近は、教員の働き方について様々な改革が行われつつありますね。例えば、神戸市が2026年度から部活動を完全廃止して外部委託にするということなどが大きく話題になっています。「宿題廃止」についても、教員の負担軽減の問題とは切っても切り離せない問題となっているようです。

宿題廃止に賛成?反対?

さて、この宿題廃止について皆さんは賛成ですか?それとも反対ですか?

私は、、、現状では反対です。

その最たる理由は、宿題廃止が教育格差や経済格差の拡大につながるのでは?と懸念しているからです。

宿題を廃止することで、家庭の教育力が浮き彫りになるのではないかと思います。ここでの「教育力」は、「経済力」と置き換えても矛盾は少なそうですが。

つまり、各家庭の教育状況によって、宿題廃止を善とするか悪とするか、立場が変わってくるのではないかということです。

例えば、子どもを塾に通わせている教育熱心な家庭で、中学受験を見据えているような状況であれば、宿題廃止を善とするでしょう。
「ウチは勉強は塾でやっているから学校の勉強なんてやらなくていいんです。宿題はむしろ邪魔です。」といった感じですね。

また、教育熱心でない(放任とも言える)家庭も宿題廃止は善とするかもしれません。むしろ、この場合はそれすらも関心がないかもしれません。

逆に宿題廃止を悪とする家庭はこんな家庭ではないでしょうか。
「ウチは中学受験まではしないけど、学校の勉強はしっかりしてほしい。今のうちに勉強習慣をつけておかないと、後で困ることになるから、、、。」
こんないわゆる「しっかりした」家庭だと、宿題廃止になると困りそうですね。

ここで繰り返しですが、家庭の状況によって宿題があったほうが良い場合もあれば、ない方が良い場合もあるので、一概にどちらが良いなんてことは言えないんです。

しかし、私はあえて宿題廃止に反対と言いました。そしてそれは格差が拡大するから、とも述べました。

そこにもう一つ問題点を付け加えると、学校を選べないことが問題であるということです。もし、宿題のある、なしで学校を自由に気軽に選択できるのであれば、私も賛成!と言うかもしれません。
しかし現状、そんな簡単に転校できるわけもありませんよね。親の仕事や子どもの友人関係もあります。

宿題があるかないかというのは確かに重要な問題かもしれませんが、だからといって転校してまで自分の好きな方に行くか、ということです。

宿題の有無で学校を選ぶというのは現実的ではなさそうですね。

じゃあどうすれば?

じゃあどうしたら良いのか。ここからは私なりの解決策を述べます。

それは、宿題選択制にするということです。

つまり一律に廃止とか、全員やる、ということではなくて、宿題をやりたければやればいいし、やりたくなかったらやらなくていいよという具合です。

ただ、こうするとすぐに「平等」とか「公平」とかいう言葉が聞こえてきそうです。しかし、そういった言葉や縛りが子どもや教師を苦しめてきたことにそろそろ気づかねばなりません。

宿題もみんな同じなんてことは必要なく、そもそもやるかやらないかも選択できるくらい柔軟な対応はできるはずです。

そしてさらに、「その選択は家庭が責任をもって行う」ということも大事なポイントです。

子どもだけで選択すれば、ほとんどの子は「宿題しない」を選択するに決まっています。当たり前です。それではこの制度は全く意味をなしません。

この選択の責任はすべて家庭が背負うことが大切です。そして、その選択についてしっかりと家庭で話をしてもらうこと。

宿題ありを選択するのであれば、なぜする必要があるのかという意義を親が伝えなければなりません。

宿題なしを選択するにしても、なぜ「なし」を選択するのかという意味を子どもと一緒に考えながら納得させなければなりません。

そもそもこのことを子どもと話せない親もいると思いますが、それは家庭の問題です。その場合、教師(学校)がどれほど介入するかは議論の余地ありですが、学校に責任を押し付けられないようにはしなければ、教師の負担減に繋がりません。

いずれにせよ、ちゃんと「子どもや親が納得したうえで選択した」という形を作ることが大切です。そうすれば、宿題に関する責任の所在は家庭となり、その家庭の教育方針に従って「宿題をやる/やらない」という選択ができるようになります。

じゃあ教師の負担は減らないんじゃないか?という声も聞こえてきそうですが、宿題を準備するとか誰が提出したかを確認する、くらいのことは教師の仕事としてすべきだと思います。そもそも選択制にすれば、見るべき宿題数は減るはずなのでその時点で負担はすこし軽くなります。
ただ漢字の「トメ・ハネ・ハライ」までチェックするか?と言われたらそこまでするのは負担かもしれませんが、誰が出してて誰が出していないかくらいは簡単に確認できますし、子どもたちの頑張りを評価し、励ましてあげるのは、立派な教師としての役割のようにも思います。

いろいろと細かい部分は詰める必要はありそうですが、いずれにせよ私は宿題を一律に廃止するのではなく、宿題選択制を導入することがより多くの保護者、子どものニーズに合うのではと考えます。
まぁこれでも家庭の教育力は問われるところですが、子どもと腰を据えて話すことは保護者の役割でもあるでしょう。

もっと学力格差が広がってしまうのでは?

私が提案している「宿題選択制」では、保護者の教育への力の入れようによってより学力格差が広がるでは?という懸念もあります。
確かに日頃から塾などに通うなど教育への投資をしている家庭は、学校の宿題は無し、あるいはありにしても保護者あるいは塾でのフォロー体制がある可能性が高いです。

しかし問題となるのは、「保護者も宿題を見る時間もないし、子どももやりたがらないから宿題は無し」という選択をする家庭です。そうなれば当然子どもは一切学習をしなくなりますし、もちろん保護者も学習習慣を身につけさせようとはならないでしょう。

そこで、学力低位層、あるいはそうなりそうな子どもや家庭、外国籍の児童生徒や発達障害など、援助を要する子どもたちに対するサポートは必要になるでしょう。これがなければ、ますます学力格差は広がると思いますし、いわゆる「落ちこぼれ」てしまう子どもたちを生み出しかねません。

どのようなサポートができるのかを考えることが、学校の腕の見せ所なのだと思います。放課後補習のようなものを持ち回りで行うのか、教員の負担を考慮して外部委託やボランティアの募集を行うのか。地域や学校によって状況は異なるので、この解決策を考えることを避けてはならないと思います。

そして、大切なことは、「とにかくやってみる」ことです。はじめから完璧を目指すのではなく、やりながら議論して考える。そして正解は学校によって違うからこそ、それでその学校オリジナルの形を生み出せばいいと思います。みんなが一緒じゃなくていいんです。そしてモデルケースを各校で持ち寄って学校間でも対話し、よりよいものを作っていく。
まさに今の子どもたちに求められる、「主体的・対話的」な議論を大人たちもすべきときなのです。

最後に少しだけ

最後に、今回の話もそうですが、いま教員の負担軽減のために何が減らせるか?ということがよく話題に上がりますよね。確かに学校というブラックな労働環境(自分も経験しました)を改善することは非常に意味あることだと思いますし、これからの教師のなり手を増やしていく、そして教師の魅力をわかりやすく伝えるためにも大切だと思います。

しかし!教師の負担軽減ありきで議論を進めて行くことは少し危険な気もしています。
あくまで教育は子どもが主役で、子どもが一方的にマイナスにならないような工夫が必要だと思います。

教師の働き方と教育活動のバランスをとるための議論が必要な時期に来ているということです。そのためには、今回のような「あり」「なし」という二項対立で考えるのではなく、その間にある折衷案を考え出してお互いにハッピーになる解決策を見出すことが大切なのではないでしょうか。

ここまで読んでくださりありがとうございました。
よろしければ、コメントで皆さんのご意見などをいただければ嬉しいですし、これからの励みになります!

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