通勤アウェアネス
明日家を出るとき、玄関で靴を履いて出るときからどれぐらいの間気づいていることを続けていられるか一度試してみてもらいたい。
12月ぐらいから気づきの連続性がどれぐらい続けていられるのかを何日か試みている。が、やればやるほど自分が惚けてしまったのか能力気質が欠けてしまっているのかとヘコむ程あっという間に気づきを失っている事実に向き合うハメになる。下手したら気づいていなくなったのを気づかぬまま会社に着いて、一日仕事した後の帰り道の最寄駅に降りた頃に朝それをやってたことを思い出したりする。
なぜそんなことをやろうと思ったかのきっかけは、玄関で靴を履いてドアを開けた後に我に返って気づいたのがマンションの出口の前で、鍵を閉めた記憶が全くなく、鍵をカバンにしまった記憶もない。まさか鍵を閉めないまま出てきてはいないだろうとは思ったが確信が持てずこのまま出かけるのも気持ちが悪いと戻るとちゃんと鍵は閉められていた。時間なら戻って確認した朝の貴重な数分のロスだが、それ以上に起きてアクションして歩いていたのに意識がまるっとすっぽ抜けることがあることが怖ろしかった。
ましてや瞑想を実践していて気づいていようと心がけていた”つもり”が本当につもりだったのがショックで、どうやって気づきを保っていられるか?
そのために今の自分の実力を知り、どれぐらいで、どうやって気づきを失うのかを観察してみようというのがはじまり。
記録はつけていないのだが、これまでの記憶だと慎重に一挙手一投足に心を開いて気づいているつもりでも、時間にして2〜3分?距離にして2〜300メートル程だろうか、結果駅に着いて電車に乗る頃にはすっぽ抜けている。
覚えている限りの最長は電車に乗っていつものドアの近くに立って、スマホでニュース記事を読み始めたときまで。
文章を読み始めると一瞬ですっ飛んでしまうことが多いこともこの実験でわかった。
考え事には嵌まり込む前とか初めにハマりかけてるぞと気づいて戻れるときもあるが、本やニュースを読み始めると没頭している。
最初の課題はここかな?本を読む、ニュース記事を読むと気づきが失われる。
対策のオプションは2つ
1:本を読んでいても気づきを継続できるようにする
2:本などの文章を読まない
1はどうやればいいかわからないのと、できたとしても習得にそれなりに時間がかかりそう、2は原因を断つを言う点では効果的だが、1日の中での貴重な情報インプットの時間をみすみす捨ててしまうことになる、それも惜しい。
自分の感情や意見を説明し表現するためには他人の考えに多く触れる必要がある。翻って自分のことをよく知るためには自動運転でなく自らの自律的な選択に基づく行動のため、気づきの強化訓練が必要と考えている。
静動硬軟どっちも両方欲しいは欲張りなのだろうか