姿見アウェアネス

風呂上がりの濡れ髪で男前度が仮想的に強化され、鏡に映る物体としての自分と、風呂上がり効果すごいなとかの思考や気づいたりしている(言葉として表現するなら)自分は別の何かなんじゃないのかとふと思い至った。

鏡で自分の姿を観ることには好悪両方の感情が湧く。
根拠はないが自己肯定感の高い低いの時々で映る姿を瞬間的に反応的に判断してしまったり、また細々平坦な気持ちで眺めたりできるような気もしているようにも思える。
風呂上がりのリラックスしている時は自己肯定感も高いので、満更でもないんじゃないの?ふふふ、と思えるんじゃなかろうか

自己投影するツールとして姿見、それも可能なだけ大きなものがあるといいのではないかという結論に至る。
手鏡や机上に置く大きさだと顔は映るが視線は見える姿と同一化した自分のみなので、いまいち。自分の外見の頭のてっぺんから爪先まですべてが映り、姿だけでなく周囲の光景も入り込むぐらいの幅があると世界の中の自分と客観的に観て取れるので良さげだ。大事なのはメタ的に自分の外見が観れること。

鏡を見つめ続けるとうんにゃらかんにゃらという俗説もあるとかないとかだが、自分を客観的に観れる姿見は良い瞑想的ツールなのではなかろうかと思う。

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