コンフォートゾーンから抜け出るために
一歩。半歩でも半指でもこれまでの自分からはみ出し続けることで別の自分に変わることができると信じている。
ひとつは仏教的な「無常」の極一部の理解と実感があったから。
全く同じ状態がずーっと延々と続くなんてことはなく、いつかは終わる、あるいは変わる。
無常は自分の身体でよく実感できる。髪も白くなるし、あちこち痛かったりくたびれたりしてきた。身体だけでなく頭の中での考えすらさっきといまとで意見が異なってることも多い、そして何よりそれに違和感なく適応している自分がいるのが無常がなにかの定義を表しているだけのお題目ではないという実感。
生きるという時間スパンの長くまた粒の大きい話しだと目が眩んで怯んでしまうが、例えばいま目の前の3ヶ月後の仕事で自分と自分の組織でのありよう目標と呼ぶならば、それには今のまま漫然と過ごしているだけで”できて”しまうようなことは目指したくないなと思う。
理由を一言で言えば時間が勿体ないから。会社も仕事も人間関係も、今のままがずーっと続くわけがない、会社、ひいては商売は生き物だ。誰の意思かもわからぬが、変化し続ける環境やニーズに適応できなければ死ぬ。
死にたくないというリスク回避が大きなモチベーションではあるが、どこかにまだ残っている自己の万能感もより良き未来とそれに向けて今すべきことへの専心のモチベーションになっている。
やればできる、を自分自身に言って納得して次の行動に移せるのも、瞑想と筋トレをしてきた結果だと思っている。
生きてるからそこにいる、だけでなく、生きるからには自分にも周りにもいい影響を継続的に与えたり貰ったりしながら薄衣を一枚ずつ纏うように「少し頑張ればいける」ラインを見続けて動き続きけたい。
いまの僕のそれは、毎日言葉にする努力を実行して外に出す。
文章であれ口頭であれ、考えることをサボらずに自分を含めた周囲にいい影響を与える実践を継続する。