つべこべ言わず一回受け取ってみる
感情そのものとあなたとは別だ、とモノの本で読んだり聞かされたりしてもイマイチしっくりこない。怒っていても悲しんでいてもそれはおれじゃないかと。
確かにその通りで、おれはおれだ。
しかしおれは怒りではないし、おれは悲しみでもない。
そう感じる我があるのだ。
つまり感情と私は同一化してはいけない。
怒りは起こるものだが、それに気づかなければ怒りになる
上はプラユキ師の瞑想と法話会での一説。
感情と自己との非同一性をとてもきれいに表現されたもので、確かに!と膝を打ちたくなるほどの納得感があった。
そこでイラつく事やムカつく事が起ってもそれになるのではなく、まずは一回受けとってみようじゃないかと意識してやってみることにした。
ほうほう、こんなにカッカきてるね、相当バクバクしてきたね、ができるようになってきて、
そのあとにカッカきてこんな風に腹を立ててるんだね、
そのもう少し先にこんな風に腹を立ててるってことは、自分は本当はどうなりたい/なりたくないんだろう、
そのまた少し先にこうなりたかったのにという願望が叶わなかったのが〇〇(悲しい、つらい、寂しい)なんだねえ、
じゃあどうなるようにどうすればいいんだっけ、
まで意識(気)が及ぶようになったらもう感情に振り回されたり反応したりではなくなり、対応できる、してみようと意志や行動を起こし始める事ができるようになれる事が体験的にわかった。
最後まで行けるのは稀で、行ければ御の字。
気づけないままのことも多いし、2段目ぐらいまでで「とはいえ腹は立っている」に巻き込まれることもある。
打率はなかなか上がらないが、まずは一回受け止めると確実に何かがこれまでの放ったらかしだったら、とは違う良い方の結果(自分もだし、相手がいれば相手にも)になっていた経験をする事ができた。
目の前のこの一言、この所作に自分の感情が巻き込まれてしまうリスクがあるということがわかると、よく言えば丁寧に、雑に言えば慎重に自分を観て扱えれている時間を増やしたくなる。
なので毎日少しずつでも気づきの瞑想を実践しているのだ。