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日本は平和!?・国民の分断を引き起こす策略(LGBT法など)、個室シェルターは今すぐ必要、全4記事2024年7月15日
日本は暴動が無く、治安が良いように見えるが、実際はストレスでカリカリしているし、同調圧力で言いたいことも言えなくてギスギスしている。争いが無いけれど、陰湿な嫌がらせが横行している。日本は平和だと言っている人がいるけど、果たしてそれを平和と言えるのでしょうか。言論の自由も無いし、遠回しに政府は国民を殺しにかかっているし、国民も日本なんてどうでもいいって感じだし、暴動デモが起きている国の方がまだマシなくらいだ。
男と女、子供と大人、若者と高齢者、障害者と健常者、実はあまり差は無いのに、扱いに差を付け過ぎてしまったために国民の分断が行われている。多少の扱いに差を付けることは必要だが、差を付けることが過剰になっているのだ。また、名ばかり管理職や実力はあるのにニートで引きこもる人が出て来ることも、扱いに差を付け過ぎているためだ。高齢者の男性は無条件に管理職になれるのは行き過ぎである。男も女もスポーツの世界では力に差は無いけど、女は男に勝ったら恥ずかしいとか格好悪いと言う感覚と言うかプライドがあるので、女はわざと手を抜いている事態もある。その場合、スポーツの女子枠は必要無い(余計なお世話だ)。障害者特権もいらない。障害者は実力では健常者に劣るが、貧乏生活や保護者のスネをかじった拘束生活でも耐えられる能力を持っているので、障害者特権は余計なお世話と言うことになる。障害者福祉の法律も、高齢者福祉の法律も、未成年を守る法律も、LGBT法も行き過ぎである。このような過剰な扱いの差は、国民の分断が起きる原因である。逆に言うと国民の分断を引き起こすために過剰な扱いの差を付けていると言う見方もある。意図的に扱いの差を付けて国民の分断を引き起こして対立させて国力を弱くしようとしている策略が考えられる。
今は一人ひとり個室に閉じ込める時代だ、あれだけ痴漢を気にしていることはおかしなことだ。人に見られただけで痴漢は行き過ぎであるけど、実際は被害を感じているし、人を複数人見える場所にいて、複数人が接する社会は現代人には合わないでしょう。トイレもLGBTがいるし、男女混合にして個室にすべきだと言った状態だ。しかしそうすると男が使ったトイレを女が使うのは気持ち悪いと感じてしまう、もしくは女が使ったトイレをあとで男に使われるのは恥ずかしいと感じてしまう。風呂も洗面所も食器も同じことが起きている。他人に自分の着ている服を洗濯されるのも恥ずかしいと感じる時代なのだ。個室シェルターの設置は今すぐ必要なのだ。
男性用の服を着ているLGBTの男性が恥ずかしいと感じている。しかしそれを見ている大多数の人は何とも思わない。そこでLGBTの男性が女性用の服を着て恥ずかしさを感じずに落ち着くことができた。しかしそれを見ている大多数の人はそれを見て変な人だと感じてしまう。そう言った恥ずかしさの食い違いが起きている。合羽や制服を着て恥ずかしそうにしている人がいても、大多数の人はそれを見て何も感じない。異性の性器を見ても何も思わない人がいても、相手にとってはとても恥ずかしく感じる。もしくは自分の性器を堂々と見せても恥ずかしさを全く感じないが、みんなから見たら公然わいせつである。そのような恥ずかしさの食い違いが起きている。恥ずかしさの食い違いによって、悪意は全く無いのに性犯罪にされてしまう問題が生じてしまう。こうなって来ると複数人が接することは社会として不可能になる。だから個室シェルターに一人ひとり閉じ込めて生活させることは必要だ。また、子供っぽい素振りをしていることを格好良いと思っている大人がいて、それを大多数の人が見ると「変な人」に見えてしまう例もある。
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