統合失調症 人格が変わってしまった娘をこの胸に取り戻すまで No.3 診断
H先生に診てもらうためにはまず病院に行くことを納得させなければなりません。でも、幸運なことに先生がママ友なので
「〇〇ちゃんママのところに行かない?ちょっと診てもらおうよ。夜も寝られないし、イライラするし、何か変な病気だったら困るでしょ。〇〇ちゃんママなら怖くないでしょ。」
小さいころから知っている人というのが娘をうなずかせてくれました。
H先生が開業する病院は自宅から1時間ちょっと。電車で連れて行くのは不安でした。いつイライラし始めるかわからない。
車なら途中で機嫌が悪くなってもいくらでも喚かせてあげられる。私達もそのほうがずっと気が楽です。
その頃我が家に車はなかったのでレンタカーを借りました。
診察はまず臨床心理士の方が箱庭療法というので娘を診てくれました。
その後H先生の診察。
H先生が「〇〇ちゃん、久しぶり~!」と声をかけてくれても下を向いて固まったまま。
私と主人が今の状況を話しました。
常に興奮状態にあること。些細なことで怒りだし手が付けられなくなること。
突然夜中に起きだしてTVを付けたりゲームを始めること。なだめても聞かないこと。休みの日も学校に行きたがること。
その大好きな学校でさえ行くとイライラしてわめいて授業にならず、迎えに来てくれと言われる などなど
話してる間、娘は時々ギッときつい目になったりしていました。自分のことを話している、そのことが嫌なんでしょう。それでもじっと我慢して座っていました。
診断はこうでした。
『最初に連絡をもらった時は一時的なものかと思ったけど、今日会ってみたら確かに違うね。
今はとにかく全て彼女の希望を聞いてあげて。何でも「はいはい」と受け止めてあげて。
ダメという言葉は使わないで。何でも受け入れてくれるというのが伝われば「愛されている」と確認出来て落ち着いてくるから。
それから、言い聞かせようとしても無駄だからやめてあげて。今の彼女の耳には届かない。言えば言うほど悪いほうに向かうから。』
すべてを覚えてはいないけど、確かこんな内容でした。
精神薬を処方されましたが、この時はまだ統合失調症という診断ではありませんでした。
その頃のお薬手帳をもう捨ててしまったので何の薬をもらったかは覚えていないのですが、何種類かもらいました。
その中の1つがリスパダールでした。
そのお薬の副作用に悩まされることになっていきますが、それはまた今度。
H先生の教えを守って、私達家族は「ダメ」という言葉を封印しました。
でも、何もかもを受け入れる訳にもいきません。到底無理な注文にはまず「そうだね、そうしてあげたいけど・・・今はこうなんだよ。こっちでどうかな?」とまず肯定してから代替え案を出すなどして対処しました。それでもダメな時はわめき終わるまで1時間でも2時間でも黙って待つほかありませんでした。
夜中に突然ゲームを始めても黙って娘が飽きるのを待ちました。夜中にご飯を食べたいと言えば作りました。
薬を飲めば元の娘に戻ると思っていたけどそう簡単ではなく、その後も地獄のような日々は続きました。
主人もお兄ちゃんも耐えかねて「いい加減にしてくれ!」と言ってしまうこともありました。
もちろん私も耐えかねる時はありました。
「ママはあなたの言うこと何でも聞いてる。出来る限りやってるよ。どうしてわかってくれないの。」
泣きながら娘に言ったことも何度かあります。そんな時は娘は「ふん」と背中を向けて布団に潜り込みました。
届かない。私達の気持ちは彼女には届いてない。
それが一番悲しかった。皆で泣きました。
この頃にはもう以前の娘はどんな子だったか思い出せなくなっていました。
今があまりにも強烈すぎて、どんなふうに笑ったか、どんな言葉で話していたかわからないのです。
15年間一緒に過ごしてきた娘はもう居ませんでした。
でも、受診から3か月立った頃から少しずつ変わり始めました。
今日はここまで