統合失調症 人格が変わってしまった娘をこの胸に取り戻すまで No.1
はじめまして
中度知的障碍・統合失調症を持つ22歳の娘が居ます。
娘は15歳で統合失調症を発症しました。
それから7年、今では随分落ち着いて穏やかな日々が戻ってきました。
その7年のあれこれとか、日々の暮らしを娘中心で書いていこうと思います。
何から書き始める?
やっぱり一番大変だった統合失調症のことかな。
中学は特別支援学級に通いました。
毎朝7時に起きて、教科書いっぱいの重いカバンをかついで一人でバスに乗って休むことなくきちんと通ってました。
進学を考えなくちゃいけない時期になった時、普通のお子さんと同じように娘も学校見学に行きました。
一つは療育高校、もう一つは私立でひきこもりや障碍者を受け入れる学校です。
娘は私立を選びました。
見学した授業がとても楽しそうだったのと、先生方が若くてハツラツとしてたこと、何より生徒が皆さん活き活きしてたからだと思います。
娘は小学校は普通校でした。学習は少し遅れがちながらなんとかついていけていましたが、運動能力がとっても低かったせいでいじめられました。
特に運動会の時期になると踊りの覚えが悪かったり、走るのが遅いことでいじめは酷くなりました。
そんな6年間を過ごして中学は普通学級はもう可哀相と思いました。
中学は穏やかに過ごせましたが、言葉の発達が遅くて思ったことをすんなり言葉に出来なかったり、人の話を聞いてそれに答えるということが出来ず、友達を作れませんでした。
つまり、娘はずっと孤独でした。
そんな娘が少しの希望を抱いたのでしょう。
この高校に入れば私も仲間になれるんじゃないかって。
そしてその通りになりました。
先輩方はとっても優しくて、「出来ない」子でも分け隔てなく、皆一緒にという教えを守っていたからです。
娘は生まれて初めて家庭以外で「居場所」もしくは「自分が居てもいい場所」を見つけたのです。
家から1時間の道のりも苦にならないようで、毎日頑張って通いました。
そして夏休みになりました。
メールが出来ない、一人で友達と待ち合わせて遊びに行けない娘にとって夏休みはとても長かったんでしょう。
カレンダーを見ては「あと何日で学校に行ける?」と聞いてきました。
お盆を過ぎたころからカレンダーを見る頻度が増えました。
8月末頃には夜中にも起きだしてカレンダーを見るようになりました。
2学期は9月4日からでした。
あと少し、あと少しで学校に行けるからね。毎日そう言って娘をなだめましたが、9月に入ってから様子がおかしくなりました。
目つきがおかしいのです。そして落ち着きがなく、部屋の中を意味もなく歩き回るようになり、時々「う~う~」と唸るような息遣いになりました。
やっと9月4日。
そろそろ帰る時間だなと思っていたら学校から電話がかかってきました。
「娘さんが帰りたくないと言って動きません。迎えに来て下さい。」
これが始まりでした。
続きはまた