書かなきゃ死ねない

本当に何のために生きているのか分からない日々を過ごしてた。

この一週間動くのも辛くて、でも動かないのも辛かった。

1日の半分くらいは寝転がっていた。死んだ方がマシだったけど、死のうという元気もなかった。

本当に集中力が欠如していてnoteでフォローしている方達の投稿も全部は追えなくて、いくらかだけ読んだ。

その中で、創作物を上げたり創作した経験を話してくれているものがあった。

それらはすごく光っていた。本当に心に杭を打たれたみたいに刺さった。

私はそれを読んで、なんだか急激に何かを創りたい気持ちになった。何かを創らなきゃ死ねないとすら思った。

こんな気持ちになるのは初めてだった。推しの〇〇を見なくちゃ死ねないとかそういうのはあったけど、そういうのは大鬱の時には何の効果ももたらしてはくれない。

だけど、創らなきゃ死ねないはそんなのより格段の、そして初めての救いのように私は思えた。

ベッドの上で、私は何が表現したいのだろうと思った。私のことを知って欲しいのは当然だった。だからnoteを始めた。

私ができる創造は、やっぱり書くことしかなかった。

小3の時お題の絵を見て物語を書く授業があって、人に褒められた時すごく嬉しかった。

それからは読書感想文いくつかと日記くらいしか書かなかったけど、去年の夏初めて二次創作をいくつか書いた。

私は小4の時から推しカプがいない時期はないような人間だから、ある意味必然だったのかもしれない。

自分で読み返せないような酷いものは投稿してすぐ消した。でも今でも消さずに残せてるような、少し人からも評価をもらえたようなのも2つはあって、それだけで書いてみて良かったと思う。

そして去年の冬、私がどうしようもなくなって今noteに書いてるようなことを原稿用紙にひたすら書き始めた時にも、2つ物語を書いた。物語とも言えない、自分の欲望を詰めたような文章だった。

好きな子がホルマリン漬けになった。から始まる倫理観の終わってる最低な文章をここではない日記に書き殴った。

酷い自慰小説たちだった。自分が気持ち良くなるためだけの。でもそれでも良かった。書くことで救われる自分は確かにいた。

私は今までで1番長い文章を書いてやろうと思っている。5000字以上の文章を書けたことがなかった。
だけど、今までに感じたことを全部詰めてやろうって。

これも全部誰かの創作が大事なものを分けてくれたからだった。人をこんな気持ちにさせてくれるなんて、すごいとしか言いようがない。

過去にも創作物や創造物は必ず人を救ってくれるって書いたけれど、ほんとに本当なんだよ。私たちは心の中の大事なものを交換しあってる。

だから、どうかあなたの頭の中も見せて欲しい。
そこに何一つ無駄なものなんてないと思う。

この世の誰にも自分のことを恥ずかしがってほしくない。ましてや出来がどうとかで嫌になったりして欲しくない。私自身もしてしまうから、人のことを何も言えないけど、私はなんだかんだ自分の表現の全てを愛してる。

私たちがしている行為は本当に尊いと思う。心の中なら何だって生み出せること。

ずっと心の中では1人だから、孤独だと思っていた。これは生まれてきた呪いだって。けど違う。これは私達の特権だったんだ。

今は文章を書くことに熱中できていて、それがどうしようもなく嬉しい。何もしたくないって思ってしまう毎日は本当に地獄みたいだった。

書き終わるまでは何があっても死なないと思う。

こんなもの、今まで私になかった。どこからどう見たって幸せだろう。このために生まれてきたって言われても今なら信じるだろう。

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