Netflixで『The Days』を見たよ、という話
イーロン・マスクにぺっぺと唾を吐くだけのnoteで1日が終わってしまっては、私の頭がおかしい事が白日のもとに晒されてしまうの。
少しばかり目を逸らさなければならない、気がする。
と言っても基本的にストックは無いので、先日3日ばかりかけて視聴した『The Days』について思ったことなどを、書いておこうかと思う。
テーマは東日本大震災時の福島第一原発の事故を時系列に沿ってドキュメンタリー風に描いていく。
主演の吉田所長を役所広司、部下の副長にnoちゃんこと音尾琢真、原子炉最前線を守る運転員に竹野内豊、小林薫、六平直政を配し、物語を形作っていく。
短い日常描写から東日本大震災が発生し、何事かと戸惑う所長は情報収集を始めるが、制御室の当直長役の竹野内豊は原子炉が停止する事を直感し、原子炉停止の手続きを指示する。
小林薫は休日だったのだが、取るも取り敢えず職場の原発へと急ぐ。
この辺まで視聴したところで、これは下敷きに門田隆将の『死の淵を見た男−吉田昌郎と福島第一原発』を下敷きにしたのだろうか、と調べてみたら、Wikipediaに「原案」と記載があった。
基本的なストーリーラインは、原作に忠実に進んでいく。
『死の淵を見た男』は、関係者数百人に聞き取り取材をした労作で、記憶に頼った証言なので多少は記憶違いなどもあるかもしれないが、それでも現場の声を集成し時系列に沿って再構築した迫真のノンフィクションである。
作者も言うように、右派左派といった思想からは距離を取り、起きたことについてのみ記述されている。
吉田所長を主役に据えているので、そこはそれなりに贔屓した視線も感じなくもないが飽くまでも中立の姿勢は、保たれているように思う。
ドラマ化に際してはエンターテイメントとしての省略や誇張、人格の統合や入れ替えなども目に付いたが、別に学術論文を読むわけではないので正確さなど気にしても仕方ない。
充分に興味深く、楽しめたのだから。
エンターテイメントとして見るならヴィランは小日向文世演じる総理大臣、ではなくあくまでも炉心融解へひた走る原子炉である。
小日向は現場を混乱させるだけのジョーカーで、また実にイヤな男を見事に演じている。薄っぺらいんだこれが。やたらヒスったり怒鳴ったり。
まぁ、当時の総理大臣を良く戯画化している。この政府側というのは口出しすればするほど崩壊を加速させるようなポンコツだらけで、面白くて仕方ない。
実際はともかく、現場に口出しするやつは嫌われるよ、という思想が見え隠れする。
総理大臣も経済産業大臣も原子力安全委員会委員長も、卑小にポンコツに、役立たずに描かれていて、悪意さえ感じる。
原作ではもう少しまともといえばまとも。
非常事態に人間性が見えるというような理屈なのかな。旧民主党の面々は苦々しいことだろう。
実際問題、当時政権が民主党であったことは、その後の空中分解を後押しした。私でさえ旧民主に票を投じる気は(もともと無かったが)完全に潰えたのだから。
緊迫する場面が続くが、結局は水を投入し続けるしかなく、蟷螂の斧感が半端ない。放射線量はどんどんと高まって近付くことさえ厳しいのに、冷やすには水を掛けるしかないのだから。
途中、真水が底をつく前に海水に入れ替える描写がある。
不純物が交じる海水を投入して安全なのか、などと悠長極まりない議論をする政府側に対し、もはや何の期待も出来ないと悟る吉田所長はだまで海水投入を続行する。既に現場は海水投入を敢行していたという皮肉。
事態の推移の速さに、統制する筈の政府が何の役にも立たない。あぁ、これ『シン・ゴジラ』だ、と思った。
前半、ヘリに乗って退避する政府中枢の面々を熱戦が両断するシーンと重なる(ヘリといえばヘリから放水するシーンの間抜けさには、笑うしか無い。何でもいいからやるんだ!と総理がゴリ押ししてあの体たらくには呆れてしまう)。
ともあれ、あのシーンから、ゴジラの強制冷却へ向けた矢口プランは加速していくことになる。
福島原発はとにかくひたすら注水していくしかない、という現場の危機感に答える所員、自衛隊の献身に比して、政府首脳陣の空回り感もまた、悪意があるなぁ、と思う。名誉毀損で訴えられかねないよ、これ。
高所作業車から注水を始めることにより、とうにかこうにか最悪の事態は回避されていくのだが、現実の通り今も続く福島に対する風評被害は消えないし、旧民主党の面々が参加した立憲民主党は今も頭のおかしさを発揮し存在感を示し続けている。
ゴジラは退治できたのに、現実の過酷で苦い結末は、今も尚、終わりを見せないでいる。
一度くらいは見ても良いドラマかも知れない。
一つだけ気になったのは、演出。というか編集かな?
役者の間が長過ぎる。もっとばっさり切ってしまって良いだろう。緊迫感は緩急で出すべきで、なんやかや無言の時間が長過ぎる。
見目好い女子のアップが続くならともかく、基本的には汗臭い男たちのドラマだ。テンポアップしていけば、半分の時間で描き切ることが可能だったはすである。
もっと勇断が必要である。傑作になりうるところを凡作にしている、とまで言い切るとシン・ゴジラ信者目線が過ぎるか。