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【2011年星新一賞落選作、短編小説】種の寿命
(2009年7月30日初稿公開、2011年改訂ののち星新一賞に応募、落選)(約8200文字)
「ではこれより、N教授の退官記念講演を始めたいと思います。」
司会役の准教授がマイクに向かって、話し始めた。その映像と音声はオンラインで世界中に配信されている。
「N教授は、T大学医学部の教壇に三十年以上も立つとともに、世界に資する研究を続けきました。特に、人類の寿命を画期的に延ばす方法を発見されまして、人間の健康寿命を格段に改善されました。その群を抜く研究成果により、若くしてノーベル賞の栄誉にも輝きました。さらには世界的な要請の元、二十年近くもの間、国境なき協力機構で世界の医療の改善、並びに環境の改善のために尽力してきました。ノーベル賞のみならず……」
司会が、N教授のこれまでの輝かしい経歴を長々と説明している。
「……そして大変残念なことに、二一XX年つまり今年度をもって、N教授はT大学を退官なさることとなりました。このような形でN教授の話を聞ける最後の機会です。どうぞ、皆様最後までご静聴下さい。それでは、N教授、お願いします。」
そう言われて、N教授は壇上に上がった。拍手の音が小さくなると共に、講演会場の照明が落ちていき、プロジェクターからの映写が徐々に明るさを増してきた。そこには、「種の寿命―恐竜はなぜ絶滅したのか―」とタイトルが書かれていた。
N教授はゆっくりとした口調で話し始めた。
***
私らしからぬタイトルで、驚かれた方も多いかも知れません。しかし、今後の世界に対する提言を含んでおりますので、是非聴いて頂きたい。まず、副題としました『恐竜はなぜ絶滅したのか』ということについて、最初に簡単に触れておきます。
地球の歴史を専門とする有能な研究者の方々の言説によりますと、恐竜は、二億三千万年前に誕生し、六千六百万年前に絶滅したとなっています。研究が進んだ現在でも、恐竜が絶滅した理由には諸説あります。現在最も有力な絶滅理由は、巨大隕石の落下です。メキシコのユカタン半島近辺に隕石が落下し、その衝撃によって地球環境が激変しました。充分に進化を遂げていた恐竜たちは、その環境変化に適応できずに絶滅してしまったということです。
別な要因としてあるのが、アルカロイドの蓄積説です。この頃に出現した被子植物に含まれる、一種の毒であるアルカロイドが恐竜たちを蝕んでいったという説です。栄養価の高い被子植物を草食恐竜が食べ、その草食恐竜を肉食恐竜が食べるという食物連鎖がありました。その中で、ただ食べられるのを指を咥えて待つのではなく、被子植物も子孫繁栄のために進化していったのでしょう。毒性を持つ分子化合物を造り出し、植物自らが自らを守ろうとしていたということのようです。
しかしなぜこの時期に、恐竜にとって毒を持つ被子植物が登場したのでしょうか。また、恐竜や翼竜、海棲爬虫類などは絶滅したのに、現代の哺乳類や魚類、鳥類、爬虫類などの祖先は、なぜ絶滅を免れたのでしょうか。
まあ、この疑問に対する私なりの答は、後半でお話しいたします。
さて、現代の地球はどうでしょうか。現在、地球を支配しているのはホモサピエンス、すなわち我々人類であると言っても反論はないでしょう。我々人類は、六十万年前に出現したとされています。したがって人類の歴史は、まだたかだか六十万年ですから、恐竜が君臨している期間と比べたら、たったの二百分の一にしか過ぎません。
その六十万年前から人類はその数を増やしていき、前世紀半ばには百億に達する勢いでした。前世紀初め頃の国連の予測では、世界人口は二十一世紀末に百十億人に到達して、そこから減少に転じるとされていました。
しかし、実際はどうだったでしょうか。人口総数は予測を大きく下回り、減少率は大きく上回ってしまいました。私の母国である日本は、すでに十年前にはピーク時の人口の半分を割ってしまっています。日本の人口は大きく減少し続けているのです。もちろん世界の人口も例外ではありません。人口減少の勢いは十年前からどんどん加速されています。欧米の先進国はもちろん、二十世紀までは人口増加が著しかったアフリカや南アジアでも、合計特殊出生率が下がってしまいました。出生率の低下に歯止めをかけるため、世界中で様々な政策が打ち出されましたが、改善の効果は見られていません。この要因は何なのでしょう?
私なりに考えてみました。
まず最初に考えられるのは食糧問題です。世界は慢性的に食糧危機であることが、国連食糧農業機関の統計で明らかとなりました。昔から日本では食品ロスの問題がありましたが、それが世界中の問題となって相当な時を経ています。にもかかわらず、食品ロスの問題は解決されていません。
それに対して、畜産や養殖による生産量が減ってきています。主要な食肉である牛、豚、鶏には世界各地で伝染病が蔓延しております。鳥インフルエンザ、豚コレラ、狂牛病などに代表される伝染病を根絶することができない状況です。出荷することもできずに処分される率が高くなり、生産量が減少し続けているのです。これらの病気を克服できない要因は、汚染物質のせいだという研究者もおられました。魚の養殖に関しても同様に、いろいろな方策を施しても生産量が減少し続けています。
また、農産物の収穫量も激減しています。森林を破壊してまで農地を開発しているにもかかわらず、農産物の収穫量は減ってしまっているのです。不思議なことです。この要因については、地球温暖化の影響という説があります。つまり、農地開発によって森林破壊が進み、それがまた地球環境に悪影響し、収穫量が減少するという負のスパイラルに入り込んでしまったというものです。しかし、世界の人口が減っている今、食糧危機、食糧不足の傾向は解消されないままですが、人口減少の大きな要因とまでは言い難いのです。
それから、ここ数年間、毎年新たな感染症が生まれてきています。農地開発などのために地球のあらゆる所に人類が入り込んだため、これまでに危害を及ぼすことがなかったウィルスや細菌が人類の脅威となっているのです。また環境破壊により、それらのウィルスが毎年毎年進化し続け、どんなにワクチンや治療薬を開発しても追いつかない状態となっています。次々と新しい感染症が生まれてきて、多くの死者が出ています。
しかし不思議なことに、野生動物は復活を遂げています。絶滅危惧種とされていた野生動物の数が増えていることが報告されています。それどころか、絶滅したと思われていた動物も確認されています。例えば、日本で言えばニホンオオカミです。ニホンオオカミは、二十世紀初めに絶滅したとされていました。しかし、数年前に日本の山中でその姿が確認されました。捕獲した個体のDNAを検査したところ、ニホンオオカミであることが確認されたと聞いています。
海では、鯨の数も増えているようです。一時期絶滅が心配された鯨ですが、調査の結果、その数は確実に増えていると聞いています。二十三世紀を舞台にした、大昔の有名なSF映画に、二十一世紀にザトウクジラが絶滅したことで地球に危機が訪れるという、捕鯨を揶揄するようなものがありましたね。しかし、今はどうでしょう。明らかに鯨の数は増えているのです。鯨の数が増えたせいで、鯨と船舶との衝突事故も多くなったとの話も聞いています。
食糧危機が叫ばれ始め、畜産による肉の生産がままならない今、過去に商業捕鯨を敵視していた国でも、動物性タンパクを摂取するために鯨に頼らざるを得ない状況があります。もちろん、絶滅が危惧されない限り、宗教的な意味を除外するなら問題ない行動だと、私は理解しています。その他の野生動物に関しても同様です。
気候変動の影響も多大となっています。台風は大型化し、その発生数も相当な数になっております。これは台風だけの問題ではなく、赤道近辺で発生する大型の低気圧、つまりハリケーンもサイクロンも同じ状況なのです。
台風だけでなく、海水面の上昇も大きな問題です。二十一世紀初めを基準にすると、海水面の上昇は二メートルを超えています。日本の海岸線では海進が進み、砂浜はほとんど消失しています。東京の東、いわゆる海抜ゼロメートル地帯では、すでにマイナスの海抜となっており、堤防だけが頼りとという状況になっています。また、世界に目を向けると、平均海抜が低い島嶼国では、国土が海にのまれてしまい、その国民は難民となって、近隣諸国を悩ませていると聞いています。
これらの問題は、地球の平均気温が高くなり、海水温が大きく上昇していることの影響が大きいとされています。温暖化の問題が大きくクローズアップされるようになった二十一世紀初めと比較しても、地球の平均気温は三度以上も上昇しています。
しかし、以上のようなことは、世界人口が減少する要因として、私は間接的なものと考えているのです。
では、何がいちばん大きい問題なのでしょうか。
実は、日本では自然妊娠の確率がどんどんと減ってきてしまい、自然妊娠は皆無に等しい状況なのです。人工授精しても子宮への定着率は非常に低い状況です。女性を妊娠出産から解放するという目的で開発された人工子宮でも、利用が開始された当初と比べ、胎児が育たない場合が多くなっていると聞きました。技術は格段に進歩しているはずなのに、人工子宮での生存率、出生率も非常に低い状況なのです。ですから、医学も科学も人口増加に貢献できない状況にあります。
もっと大きな問題は、子供が欲しいと思う人が減っていることではないかと考えています。子供が欲しいと思う人でも、一人で充分と思う夫婦が増えているのです。
人類が文化的に文明的に継続的に発展していくためには、子孫を残さなければならないのです。しかし、健全な心と体を持ちながら、生物としての本能である子孫を残すことを忌避する人々が増えてきています。これはどうしてなんでしょうか。子供を作るか作らないかは個人の自由です。個人の自由を問題にするつもりはありません。ですから、個人の心の問題ではないと私は考えるわけです。子孫を残したいという生物の本能が人類から失われてしまったのではないか、と私は思うわけです。
古代の人類にとって、生存本能、つまりとにかく生き抜くことが大事でした。そのために、働いて食料を手に入れることが大事だったはずです。そして、食べて飲むことは生命を維持するために重要であると同時に、娯楽でもあったのです。心の癒やしとして重要なことに男女の交わりがあります。その結果として子孫を残すことができるわけです。古代の人類にとって、男女の交わりというのはこの上ない娯楽であり心の癒やしであったと思われます。しかし、現代では、男女の交わり以上の快楽があるのではないでしょうか。とすれば、生身の男女の交わりというのは、現代では最大の快楽とは言えないのではないでしょうか。もちろんこんなことは小さな理由だと思っております。
子孫繁栄を望む、そんな本能が失われていることが意味することは、人類が種として成熟してしまったのではないかと思うわけです。これは重大な事実だと思われるのです。
出生率が低下するのに対し、医療の発達と社会福祉の充実によって、人間の寿命は格段に延びています。未知の病気に罹患しない限り、お陰様で、私も還暦をとうに過ぎるというのに、第一線で仕事をさせて頂いております。私の研究成果として、長生きの方が増えていると聞いております。
しかし逆に、後継者がなかなかおりません。医学の研究をやろうという若い人がおりません。いえ、医学だけではありません。工学の分野でも、物理学、化学、数学、文学、人文科学の分野でも同じ状況なのです。新しい画期的な発明というのも出てきてません。さらにはスポーツにおいても、ここ数十年の間、新記録というものも出ていません。つまり、新しいものが何も生まれてこない状況になってしまっているのです。そりゃそうでしょう、新しく産まれる命が少ないのですから。そう言いながら私にも孫がおりませんので、偉そうに問題提起できる立場にはないのかも知れません。
人間の体と同様に、種としての人類にも新陳代謝が必要だと考えます。再生医療が発達し、多くの病気を克服してきてはいます。しかし、先ほども述べましたように、新しい感染症で亡くなる率は、新しい命ほど高くなっています。どれだけ個人の寿命が延びようとも、いつかは亡くなります。いえ、種としての新陳代謝のためにも、永遠の命というのは得るべきではないのです。したがって新しい命が生まれないという今の状況は、絶望的であると言わざるを得ないのです。
ここで、最初に提示しました疑問について考えてみます。すでに述べましたように、恐竜たちは一億年以上も地球の主として君臨したとされています。といたしますと、恐竜たちはそれはそれは栄華を極めたことでしょう。地球はまさに恐竜たちの君臨する星であったわけです。草食恐竜は、多くの植物を食い潰し、肉食恐竜は、その草食恐竜の他に、爬虫類、哺乳類、魚類を食い潰していきました。
もちろん、植物も恐竜たちに食べられているばかりではありません。先ほども言いましたように、植物もこの頃大きな進化をしています。被子植物の登場です。恐竜にとって毒性が高いアルカロイドなどの化合物を合成したり、セルロースやタンニンなどの消化を阻害する化合物を体内で造り出したりするように進化していったのです。この時期に植物が進化した理由はなんなのでしょうか。
我が物顔で闊歩していた恐竜たちは、地球上のありとあらゆる動物や植物、多様性のある生態系を壊してしまったのではないか、と私は考えるわけです。つまり、恐竜たちは地球環境にとって、いえあえて言うなら、この母なる地球にとって非常に有害な存在となってしまったのではないかと考えるわけです。地球にとって恐竜たちは邪悪な存在であると、地球自らが判断したのではないでしょうか。それがゆえに、地球は植物を進化させて、恐竜にとっての毒となる被子植物を増やしていったのだと思うわけです。つまり、誤解を恐れずに言うならば、恐竜の絶滅は、母なる地球の意志によるのではないか、と私は考えるのです。もちろん、恐竜はすでに種としての寿命が到来しつつあり、生殖能力や生命力が落ちてきていたことも考えられます。
しかし、こんなことだけで恐竜が絶滅したかというと、疑問符を付けざるを得ません。生命というのは、生き延びようとする本能、子孫を増やそうとする本能がありますから、種の寿命という理由だけでは絶滅の理由としては弱いと私は考えるのです。母なる地球が意志を持つというのは比喩的な表現ですから、それだけのことで恐竜たちが絶滅したとは断言できないわけです。
そんな状況の中で、恐竜たちにとってとても不運だったことは、巨大隕石が地球に落下したことだと思うわけです。つまり、恐竜絶滅への最後の一押しが、巨大隕石の落下だと考えるわけです。隕石の落下がなければ、もしかすると現在でも恐竜たちが闊歩していたかも知れません。
恐竜たちが絶滅したのち、今から六十万年程前に人類が誕生しました。そして、現在では地球は人類が君臨する星となりました。では、その人類は、母なる地球にとって一体どのような存在なのでしょうか。
記録に残る限り、人類は地球上で最も反映した種と言えるでしょう。幸か不幸か、人類は火という便利なものを手にしました。火という形にして熱エネルギーを解放し、火を制御することによって、様々な便利なものを生み出してきました。
熱エネルギーには地球内部にあるマグマのエネルギーもありますが、多くは植物なのです。石油や石炭に代表される化石燃料は、植物たちのなれの果てと言われています。いえ、植物たちが残してくれた遺産です。地球が誕生してから四十六億年もの間、太陽から降り注ぎ与えられた熱エネルギーを、植物は光合成によって、栄養に変え、エネルギーとして蓄積してきました。
現在、人類は、そうやって蓄えられたエネルギーを、自分たちの快適で文化的な生活のために使っています。厳しく言うなら、食い潰しているのです。特に、十八世紀の産業革命以降から現在までのわずかな期間に、四十六億年の貯金を一気に食い潰しているのです。それだけではなく、地球上には存在しなかったエネルギー源をも生み出してしまい、地球を荒らしてしまっているのです。地球上のありとあらゆる環境を破壊し、地球のあるべき姿を壊してしまったのです。母なる地球にとって、匹敵するもののないほど有害な存在が人類であると言えるわけです。
先ほど述べましたように、このままでは、人類は将来的に絶滅してしまう可能性があります。私はこれは当然のことと思うわけです。なぜなら、六千六百万年前の恐竜と同様に、人類は種としての寿命が来てしまったのではないかと考えられるわけです。それは、種として成熟してしまって、これ以上の発展や発達が見込めないという意味だけではなく、母なる地球にとって、恐竜に比べようがないほど、人類は有害な存在になってしまったということなのです。我々人類は、母なる地球にとって大いなる邪魔者であるという烙印を押されてしまったと思うわけです。ですから、人間の出生率も低下し、子孫を残すという本能が失われていったのではないかと考えるわけです。
恐竜の一億年に比べ、人類の六十万年は、悲しいことに非常に短いと言わざるを得ません。
しかし、だからと言って、我々は人類が絶滅するのを、手をこまねいて待つことはないのです。恐竜たちの知能が如何ばかりであったか、私には測りかねますが、我々人類には知恵があるのです。恐竜ではないのです。人類の英知を持ってすれば、人類にとって苛酷なこの状況を乗り越えることは可能なのです。もう一度、地球と共生する種として、母なる地球に有用な存在として認めてもらえるように努力することが重要なのです。いえ、努力するしかないのです。天文の研究者による最新の観測そしてシミュレーションでは、幸いにも、今後数十年間は、巨大隕石が地球に衝突可能性はほとんどない、という結果が公表されています。恐竜たちのように、絶滅への後一押しをされる可能性は限りなくゼロに近いわけです。
私は今後の人生を自然と共生しながら暮らすつもりでおります。晴耕雨読を実践しようと考えております。どうか皆さん、今からでも遅くはありません。環境破壊をやめ、エネルギーの無駄遣いをやめ、地球に優しい暮らしをしていこうではありませんか。日本のみならず、全世界の皆様に切にお願いして、私の講演を終了いたします。
***
N教授は退官講演を終え、会場に向かって深々とお辞儀をした。会場に詰めかけた聴衆から万雷の拍手を受けながら、壇上を降りた。
そんな映像が流れるディスプレイに一人の老人が顔を向けている。齢百歳をはるかに超えると思われる老人が一人ベッドに横たわりながら、部屋の壁に設えられたディスプレイをじっと見つめていた。人生の終末を迎えつつあるその老人は、涙を流しながらディスプレイを見ていた。
しばらくすると、ディスプレイには再び、N教授が登場する。司会役の准教授が
「ではこれより、N教授の退官記念講演を始めたいと思います。」
と話し始める。
N教授の退官講演の映像を見るのは何回目になるのか、何百回見たのか、何万回見たのか、もう老人にも定かではなかった。その映像は四十年以上も前に行われた講演だ。
「隕石は落ちなかった。」
老人は、そう呟いた。いや、呟いたつもりだったが、声が出ていたかどうかを確認できる者は誰もいない。老人は今度は声を上げて言う。
「なぜ、私はこんな辛い目に遭わなければならないのか。神が私に与えた罰なのか。」
老人のしゃがれた声に応える者、その答を持つ者は誰もいなかった。
その老人、講演者本人であるN教授は、AIによる完全介護の部屋で、自ら死ぬことも許されず、孤独の中にいた。自分の人生の終焉がいつ訪れるかも知れないまま、地球上の人類最後の一人として。
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