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【2017年星新一賞落選作】ネットハザード(前編、3413/7365文字)

「あああぁ!」
 百合ゆりが玄関の扉を開けると、七郎しちろうの大きな声がリビングから聞こえてきた。靴を脱いで急いでリビングに入ると、首から上がない死体が転がっていた。
「ヴ……。」
 百合は喉を締め上げるような低い声の呻き声を上げ、大きな音を立ててひっくり返った。何事が起きたのかを確認するかのように、寝室から七郎が顔を出した。仰向けにひっくり返って、手足をばたつかせながら後ずさりしている百合を見る。少なくともその首無し死体は七郎ではないことを、百合は頭の片隅で理解した。
「あっ、悪い悪い。」
 七郎は落ち着き払って百合に詫びる。リビングボードの上に置いてあるタブレットの画面に七郎がタッチすると、リビングに横たわっていた死体が消えた。
「映像を消すのを忘れてた。悪いな、驚かせて。」
 どうやら、七郎は解剖屍体の3D三次元映像をホログラムによる空間投映で見ていたようだ。
「こんなの映しっぱなしにしないでよ! 私は解剖なんかに慣れてないんだからね。」
 七郎は百合の非難の表情も気にせず、悪びれた様子もない。
「いや、これも仕事の一環だよ。」
 百合は立ち上がると諦めたような表情で首を横に振りながら、ソファに腰を落とした。リビングの床に七郎の携帯端末が落ちているのに気づくと、百合はさらに気分が滅入った。
「なんだかさあ、最近のアイボーの動作が少し変じゃない?」
 七郎は百合の隣に腰掛けながら、少し怒りを含んだ表情で百合に不平を言った。
「そうだね。」
 百合は疲れていることを隠しもせずに、気の無い返事をした。
「ほんとに近頃のアイボーはひどいんだよ。何か聞いても、え~っと、とか考え込んで答が返ってこないし。返ってきたと思ったら、変なこと言うしさ。『桜はいつ咲く?』って聞いたら何て答えたと思う?『あなたの桜は一生咲かない。』だとさ。どうせこちとら、しがないアルバイトの身だよ、ふん。」
 七郎は大学病院に勤めていたが、教授との折り合いが悪く、けつを捲って辞表を叩きつけて飛び出したのだ。そんな医者の再就職先が簡単に決まるわけもなく、百合の部屋に半分居候のように暮らしていた。医師の知識や経験を活かして、百合の会社の仕事を請け負っている。
スクァイSQUI社でサポートしてるAIなんだろ。早くなんとかしてくれよ。」
(そんなことはわかってる! だから、こんなに遅くまで仕事をしてるのよ!)
 百合は七郎にそう言い返してやりたかったが、ぐっと言葉を飲み込んだ。それだけの元気もなかったし、喧嘩になれば疲れが倍増してしまうだけだからだ。
「まあね。」
 そう、やっと一言発すると、百合はソファに体を投げ出した。
「アイボーの不調のせいで忙しいのよ。」
 アイボーというのは、スマホやPCのような汎用機で使われているAIの愛称だ。百合が勤めているスクァイ社は、アイボーのサポートも請け負っているコンピュータセキュリティの会社である。
「何が原因かよくわからないの。」
 百合は、体を仰向けにしてソファに体を預けながら説明する。
 アイボーの不調は、最初は端末個体の問題かと思われた。端末がいわゆるウィルスに感染したために起きていると見なされた。しかしそれならば、端末を初期化すれば直るはずだが、そのあとでもしばらく使っていると同じような症状が現れる。アイボー自体はウィルスに冒されることはない。アイボーのバグかとも思われたが、日本国内だけに起きている問題であり、海外ではまだアイボーの不具合が報告されていない。
 実は、アイボーの応答がおかしいことは派生的な話だと、スクァイ社では見ている。端末のハードウェアにもそれほどおかしな所はない。おかしくなった端末の動作をつぶさに見てみると、いつも何かの動作をしていることがわかった。端末の内部に保存されているデータを懸命にコピーしている。ところがそのコピーしたデータのビットがおかしな羅列になっている。そしてそれを修復しようとするのだが、結局は同じような結果を生み出すだけだった。それをずっと繰り返しているから、端末の応答が悪くなるし、ずっと動作しているから電池もすぐになくなる。デスクトップPCのように外部電源につながっている場合には、その動作をずっと繰り返していてCPUが回りっぱなしになり、熱暴走を起こす始末だった。
 つまり、自ら不可解なデータを作り出しておいて、でもそれを修復しようとして、端末が際限なく動作するという状況だった。
 百合の説明が終わると、七郎は
「ふ~ん。」
と言ったまま腕組みをして、宙を見つめたまま考え込んでいる。
「ごめん、疲れてるから、もう寝るわ。」
 七郎は何か言いたげだったが、百合はソファに横になって目を瞑った。

  ***

 翌日、百合が起きた時にはもう既に七郎が起きていた。テレビの画面を食い入るように見ている。
「お早う。珍しいわね、こんなに朝早く起きているなんて。」
「いや、徹夜だ。寝られなかった。」
 七郎はテレビの画面から視線を百合の顔に向けた。七郎の顔には、一晩寝ていない証拠の脂と少しばかり疲れの色がある。
「世の中、大変なことになりそうだな。」
 いつになく、七郎らしくない生真面目な表情だ。
 テレビの画面では、リポーターらしい女性が街に出ていて、切羽詰まった表情をして訴えかける口調でニュースを伝えている。どうやら、首都圏の通勤電車のダイヤが乱れているようだ。その原因は未だ不明のようだが、ダイヤ管理用のコンピュータの不具合が原因らしいと伝えている。そしてその混乱に拍車をかけるように、通勤客の持つスマホも不調で、電話しようにも電話がつながらないと訴えていた。
 百合は慌てて会社に向かおうとした。
「なあ、百合、聞いてくれ。アイボーの不調のわけなんだが…。」
「それどころじゃないわよ。」
 シャワーで濡れた髪をとかしながら、百合はしかめっ面で答える。
「君にとって…、いや、スクァイ社にとっても大事な話だと思うんだけど…。」
「じゃあ、会社で主任に直接話して。スクァイ社のIDカード持ってたでしょ。」
 しかし、電車はダイヤが乱れていて大混雑。そんな状況で自動運転の無人タクシーも捕まえられるわけがない。アパートの前で百合が思い悩んでいると、七郎が後ろから声をかけてきた。
「こいつの方が速いぞ。」
 今どき珍しい自転車だった。フレームやハンドルには錆が浮いている。
「これって…、大丈夫?」
 百合は不安げに七郎を見る。こんな自転車を七郎はいつから持っていたのか。
「僕のだよ。大学構内を移動するのには自転車が便利だったんだ。それに、今は一般道にも専用道路があるから、結構電車や自動車よりも速いんだぞ。」
 健康のため、エコのため、という理由で、都内には多くの自転車専用道路が増えている。
「でも、二人でどうやって…。」
「非常時だ。警察も自転車の二人乗りなんかにかかずらってる暇なんかないだろ。後ろに乗れよ。」
 しかし、百合は自転車の二人乗りなんぞ生まれてこの方したことがない。躊躇していると、少し苛ついた口調で七郎が言う。
「荷台に跨がって、俺の腰に手を回せ。」
 百合が荷台に跨がり、七郎の背後からぎこちなく腰に手を回すと、七郎は自転車を漕ぎ出した。アパートから大通りまでは少し下り坂になっている。少し勢いを付けて、七郎は大通りの歩道を東に折れる。歩道は広いがその分人通りも多い。車道を見ると、都心に向かう東向きの車線は車が数珠つなぎになっており、少しずつしか動いていない。確かに自転車の方が速そうだ、と百合は思う。
 少し上り傾斜になると、自転車の速度が途端に落ちてきた。
「ねえ、スピードが遅くなったよ。」
 七郎は、はあはあぜいぜい、と苦しそうな声を上げながら、
「この自転車、変速機がついてないから…。」
「へえ…。」
 百合はそう相づちを打ったが、七郎のいってる意味が理解できていなかった。
「それより、お前、重いな…。」
「まあ、女性に対して、なんて失礼な。七郎ほどじゃないわよ。」
 そう言いながら百合は、だぶつきぎみの七郎のお腹の肉をつまみ、力任せにねじる。七郎は、声にならない呻き声を上げ、自転車がよろめいた。
 百合の会社には三十分ほどで到着した。朝夕はまだジャケットが恋しい気温の季節に、七郎は顔中汗だらけになっていた。自転車を入り口の脇に止め、七郎と百合はセキュリティゲートを走った。

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鳴島立雄
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