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キャノンボール 書き散らかし-実走編(下)-
前回は日本橋〜浜松市まででした。今回はゴールの梅田新道まで行きます。
浜松市(260km)以降
長い静岡県を抜け、交通マナーがあまりよろしくないことで有名な愛知県に入る。この時の時刻は1515。まだ日が高い時間に愛知県に入れたのはラッキィだった。市街地までは顔をしかめるような車を見ることもなく、なんだ楽勝じゃん、だなんて考えていた。
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300km地点、豊橋市。右手には路面電車が走り、物珍しさでテンションが上がる。ここまでしばらく国道1号を真っ直ぐ来たが、ここで1号線は右へ曲がることになる。路面電車のレールが横切っているため、ハンドルを取られないように注意しよう。
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曲がって引き続き1号線を進む。10kmほどゆるく登り、10kmほどゆるく下る。キャノボは基本的に平坦基調のため、たまにコースにメリハリが生まれると気分も良くなるというものだ。
318km地点で小休憩。再びプロテクトJ1を塗り直し、脚攣り防止にMag-onジェル、疲労回復にビタミン錠剤を補給。素早く再出発。
350km地点。よりにもよって一番車通りが多いであろう1800ごろに名古屋市に入ることになってしまった。辺りは暗いのに無灯火の車、全く車幅の余裕を取らずに抜かすトラック、そしてノーウィンカーで左折するファミリーカーと地獄の様相を呈していた。読者の皆様がキャノボに挑戦する時、名古屋市では決してブレーキレバーから手を離してはならない。ウィンカーを出している車ですら信用してはならない。全ての車が自分を殺しにかかっているくらいの気概で挑むことをお勧めする。
360km地点で国道1号から23号に入ることになる。側道を利用したり、歩道橋を渡ることになるのでよく地図を確認しておくのがよい。
このあたりで左膝に痛みを感じ始める。即座に動けなくなるような痛みではないものの、歩道橋の上り下りでは地味な痛みに顔をしかめていた。
ここまでのグロスは25km/h。未だ貯金は作れてはいるものの、少しづつ落ちてゆく平均速度に内心焦りを感じつつあった。
380km地点、三重県に入る。三重はとにかく道路状況が劣悪だ。リム打ちパンクどころかリムを歪ませかねないレベルの穴がそこらじゅうにある。ライトを最大光量にし、目を皿のようにして進むべきだ。県全域を鈴鹿サーキットのように舗装してほしい。
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鈴鹿市を越えて亀山市まで進む。ここは23号線を行くことになるが、側道へ行かず本線を進める箇所がある。2車線の真ん中を進むことになるので、後方を確認しながら行こう。
400km地点、16時間が経過したあたりでリアタイヤがスローパンク。一度携帯ポンプで空気を入れ直して様子を見るも、すぐ抜けてしまうようだったのでチューブを交換する。同時に左膝の痛みもかなり強くなってきたので閉店間際のドラッグストアに駆け込み、ロキソニン湿布を2枚当てる。パンとウィダーインゼリーを買って一息つこうとするも、普通に歩くだけでびっこを引く有様であった。
ここでDNFを真面目に検討しだす。亀山を越えればしばらくは山間部を行くことになり、しかも登りもある。コンビニはほぼなく、引くならばここが分水嶺か……? と思案するも、まだ脚を回すことはできる……と自身を奮い立たせて再出発。
※読者の皆様は決して無理はしないで欲しい。私はたまたま運良くゴールできたが、膝の痛みは後々の選手生命に影響を及ぼす可能性もある。生きて帰ればまたキャノンボールに挑戦することはできるのだ。
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423km地点で左折し、25号線・大和街道へ。ここからは街灯もなく、真っ暗闇の中を行くことになる。しかも10kmほどの登りである。辺りには鹿の鳴き声が響き、なんなら目の前を横切られることもあった。間違ってもぶつかるわけにはいかないので、ヒトの存在を主張するべくアニソンを熱唱しながら走った。えものをーほふるーいぇーがー
450km地点。あまりに暗くて痛くてよく覚えていないが、25号線から163号線に入る。ここまで来るとゴールまで100kmを切り、残り距離をツイートするbotと化していた。
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460km地点で奈良県に入る。膝の痛みは湿布が効いたのかマヒしたのか多少マシになっていた。むしろダンシングした方が座って回すよりも楽という訳のわからない状態になっていたのは覚えている。どういうこっちゃ
497kmあたりから木津川市を越え、最後の大きな登り区間に入る。ここを越えれば後は下りだけ、と気合いを入れて気力で登る。501kmくらいで大阪の光が見え、涙が出そうになった。自転車よ! あれが大阪の灯だ!
今思えば写真くらい撮っておくべきだったかもしれない。
あとはひたすらに大阪市街地まで下り、信号ストップにやきもきしながら梅田新道を目指すだけ。信号からスタートするたびに膝が軋んでいたが、もはやそんなことはどうでも良いと思えるほどの達成感だった。
10月13日0153、大阪市道路元標に到着。21時間53分での時間内完走となった。
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道路元標では深夜にも関わらず、3人の自転車仲間が迎えにきてくれていた。しかも内1人は東京でも見送ってくれた方であった。もはや歩くこともままならないレベルでボロボロの私。ゼリー飲料やスポーツドリンクの差し入れをありがたく頂き、応援と出迎えへの感謝を伝える。
以上が私の東京-大阪キャノンボールの一部始終である。
1人だけで走っていたならば、おそらく400km地点で諦めていただろう。Twitter越しに応援してくれるフォロワーが、見送りに、迎撃に、出迎えに来てくれる自転車仲間がこれ以上ないほどに力となった。
私がこれからキャノンボールに挑む読者の皆様へ言えることは一つだけだ。
備え、挑み、楽しめ。
拙い文章で恐縮ですが、読んでいただきありがとうございました。
質問、疑問等ありましたらお気軽にお問い合わせください。可能な限りお答えさせていただきます。
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