乗鞍で楽しいプロジェクトをやろう!
スポーツジャーナリスト/自転車ジャーナリストのハシケンです。
こちらでは、サイクリストの聖地である乗鞍で始まった「冷泉小屋再生プロジェクト」についてご紹介します。
冷泉小屋広報部のnoteには、プロジェクトの詳しい経緯や展望が書かれていますので、ご覧ください https://note.com/reisen0000
こちらでは、7〜10月の期間に乗鞍サイクリング(ヒルクライムだけではない魅力もありますので、またご紹介します)を楽しまれるサイクリスト向けに、本プロジェクトについてご説明します。ご一読いただきご賛同いただけたら嬉しく思います。
さて、何から話しましょう。3つくらいにテーマを分けましょうか。乗鞍がサイクリストに人気の理由。そこに建つ現在の冷泉小屋という小屋について。そして、その発展と未来、いう具合に。
まずは、乗鞍がサイクリストに人気の理由から。長野県と岐阜県にまたがる北アルプス山系の乗鞍岳は、標高3000m級の山岳を手軽に登山ができる日本百名山として知られています。長野県松本側から登る「乗鞍エコーライン」と、岐阜県高山側から登る「乗鞍スカイライン」があり、この場所は、サイクリスト、とりわけヒルクライム好きには、聖地として親しまれています。両コースとも、ヒルクライムレースが開催されています。特に、長野側の乗鞍エコーラインを舞台にして開催される「乗鞍ヒルクライム」は、参加者4000人程を集める人気大会です。参加規模もさる事ながら、大会のステータスは日本屈指。精鋭だけが参加を許されるチャンピオンクラス(1時間15分以内のタイムを持っていることがエントリー条件)は、アマチュアヒルクライマー日本一を決めるレースとして、毎年真剣勝負が繰り広げれます。もちろん、レベルに関係なく、それぞれが1年に1回、頑張る舞台として全国のヒルクライマーたちの憧れの大会になっています。10代から80代まで、本当に幅広い層が楽しまれています。
大会自体は1986年に初開催され、2021年で現在36年目になります(2020年35回大会は新型コロナウィルスにより中止)。地元に根ざした大会があるだけでなく、乗鞍がサイクリストたちに人気の一番の理由は、やはりその絶景ルートにあります。標高1460mから標高2716mまでの標高差1260m、距離20.5km(実測19.6km)を駆け上がる乗鞍エコーラインは、圧巻のつづら折りの坂道、森林限界を超えた先に広がる視界が拓けた天空ロードを走る体験は、乗鞍でしか体験できない唯一無二の場所です。ゴール手前1.5km地点の大雪渓(近年は雪渓になりつつある・・・)は、365日雪が解けない万年雪として乗鞍を象徴する景色の一つです。
この絶景ルートに虜になったサイクリストは数知れず。雪解けが始まりゴール地点の畳平までいけるようになる7月下旬から、紅葉終わりの10月末までのおよそ3ヶ月間は本当に多くのサイクリストで賑わいます。お盆の連休にもなれば1日500人を超える人がヒルクライムを楽しみ、平日でも200人近い人が訪れます。昨年に関しては、大会が中止になったため、大会当日にはなんと1500人ものサイクリストで賑わいました。走れる期間は少ないですが、その分スペシャル感があり、日本屈指のサイクリングエリアとなっています。
もう一つの魅力が、サイクリストにとって走りやすい道路環境にあります。2003年から中部山岳国立公園の乗鞍高原は、環境保全を目的として始まったマイカー規制(自家用車立ち入り禁止)が始まりました。現在、乗鞍エコーライン(乗鞍スカイラインも)は、三本滝ゲートから畳平までの区間が、バス、タクシー、許可車両、そして自転車のみしか走れません。そのため、サイクリストにとって走りやすくなっています(好き勝手走っていいという意味ではありません。バスとの接触や単独落車も年に数件あり、安全啓蒙も非常に大切です)。
日本屈指の絶景ルート、歴史ある大会の存在、マイカー規制で走りやすい道路環境。主にこれらがサイクリストが乗鞍が好きな理由です。
次回は、乗鞍エコーラインの中腹、標高2100m地点に建つ冷泉小屋についてのご紹介です。
冷泉小屋。その名前の由来は? 小屋の脇に沸いている4℃の冷たい硫黄冷泉からきています。温泉ではなく冷泉ですね。小屋の建つ標高2100m地点は、乗鞍エコーラインの中腹にあり、九十九折のコーナーが連続する一つのコーナーに挟まれる形で急峻な斜面に2階層で建っています。山側に入り口があり、入ると谷側の景色を望めるフロア(キッチンやスタッフルームもある)になっています。階層としてはここが2階になり、奥の階段を下がると、1階に降りることができます。1階にはお風呂やトイレ、さらに、3〜6人収容できる客室が5室あります。
大正13年(1923年)に発生した関東大震災。その4年後、時代は大正から昭和へと変わった昭和2年(1927年)に冷泉小屋は誕生しました。世界では世界恐慌が始まる一方で、国内ではスキーブームが到来。乗鞍岳の緩やかな斜面にある冷泉小屋はスキーヤーたちの人気宿になっていきます。昭和6年(1931年)に改築。時は満州事変。スキーブーム最盛期には、この冷泉小屋で寝食してスキー合宿をするような人も多かったようです。昭和9年12月には、乗鞍高原一帯が中部山岳国立公園に指定されます。昭和38年に鈴蘭から山頂まで道路が開通。前オーナーの筒木東洋男(麓で現在も旅館金山経営)さんが小屋経営を始めたのは昭和42年から。山小屋は、地元学生たちの学校登山の宿泊地として、乗鞍の雪山スキーのお客さんたちの定宿となります。その後、冷泉小屋は火の宿泊者の不始末で焼失しながらも、小屋を愛していた当時の人々の支援によって再建。現在建っている古屋は昭和●●年(調査中)に再建されたものです。
マイカーで標高2700mまでいける観光地として、昭和〜平成時代は乗鞍エコーライン(乗鞍スカイラインも)はアルプス山系でも屈指の人気観光地として賑わいます。夏休み、紅葉シーズンにもなれば、乗鞍エコーラインには車が大行列をなして、畳平駐車場は満車。エコーライン沿の山小屋である位ケ原山荘、そして冷泉小屋も多くの観光客が休憩地点として利用しました。その一方で、車やバイクの排ガスによって美しい乗鞍の自然は徐々に破壊されていってしまいます。そこで、マイカー規制案が上がり、2002年(平成14年)秋を最後に、マイカーが規制されます。これにより、乗鞍の動植物は一時期よりも確実に回復し、再び自然美が広がり出していいます。
マイカー規制によって、バスかタクシーでしか乗鞍エコーラインへ入れなくなったことは、観光客の減少に繋がり、それまで立ち寄っていた途中の休憩できる山小屋としての機能も求められなくなっていき、マイカー規制から4年後の2006年に古屋を閉じてしまいます。もちろん、この時代には夏の時期には今と変わらないサイクリストたちが訪れてはいましたが、経営という面では、マイカー規制以前のようにはいなかったことは想像に難くないところです。
しかし、閉じてから15年。今、その冷泉小屋が再び動き出そうとしています。冷泉小屋再生プロジェクトは、まさにこの閉ざされていた山小屋を、現代にマッチするスタイルで再建して、運営を開始するプロジェクトです。
さて、ここまで冷泉小屋についてご紹介しました。いよいよ、ここからは本プロジェクトについて書き綴っていこうと思います。それでは続きは、また!
近日中に、追記予定。
下記、本プロジェクトのリンク先をご紹介します。
まだ始まったばかり。この輪をどこまで広げていくつもりです。雄大な乗鞍岳のように可能性は無限大。
公式ホームページ https://reisenhutte.mystrikingly.com/#home
広報部のnote https://note.com/reisen0000
フェイスブック https://www.facebook.com/ReisenHutte
インスタグラム https://www.instagram.com/reisen_hutte/
ツイッター https://twitter.com/NORIKURA_Reisen
公式ユーチューブチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCUL3eMSAsI4-hcmTdvEC74g
WEB紹介記事
産経デジタル サイクリスト https://cyclist.sanspo.com/551280
シクロワイアード https://www.cyclowired.jp/news/node/337944
サイクルスポーツ https://www.cyclesports.jp/news/event/37185/
バイシクルクラブ https://funq.jp/bicycle-club/article/656087/
乗鞍エコーラインの道路補修をテーマにしたプロジェクトも別途進行中〜