![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/171240291/rectangle_large_type_2_7f0dc01ca97d27f143bfd87b30085cf1.png?width=1200)
【黄河源流シリーズ#048】対決高山病!青海省で愛を叫ぶ
2011年08月13日 青海省 /
・・・・やはり来た。
頭をベッドに押し付け、両手で頭を抱え、肩で息をしている。
手を離せば頭蓋骨がバラバラになってしまうような痛み。
痛みで目の中でカチカチと何かが光って見える。
声を出せばそれが痛みになる。唸りつづけるしかない。
あとどれくらい我慢すればこの痛みは去るのか・・・。
時計を見ると午前4時。あと数時間だ。
耳鳴りの向こう側で、犬達が吠えているのが聞こえる・・・。
すさまじい声だ。
このままベッドでのたうち回っていても仕方無い。
療法は摂取酸素量を増やすこと。寝ないで軽い運動をすればよい。
意を決して、ベッドを下りて頭を抱えたまま外に出てみた。
氷点下の空気で一気に目が覚める。
少し散歩しようと数歩進んだが、
どこからともなく大型犬が走り寄って来て囲まれ吠えたてられる羽目に。
そそくさと部屋に戻り、それから夜が明けるまで部屋の中を歩き続けた。
朝8時。
部屋から出てみると、これまた見事な青空。
頭痛は我慢できるまで治まっていた。
朝食を食べるような元気はなく、
部屋の道に座ってひたすら水を飲み続ける。
ふと見ると、昨日の夜到着したタンクローリーがまだ止まっていて、
丁度タイヤ3つを交換している作業中だった
見るともなく見ていたら、運転手らしき人が話しかけてきた。
口を開くと頭に響くのであまり話したくないが・・・。
彼らは、ゴルムドから軽油を山の村に運ぶ仕事をしているという。
往復800kmを4日かけて往復しているそうだ。800kmを4日。
普通なら一日で走れる距離だが、さすがにこの道では無理だろう。
タイヤは一往復あたり平均で2本は破裂するそうだ。
いつもなら自分たちで交換するのだが、
丁度村に到着する直前だったので、店に頼んだらしい。
彼らが「サラ族」という少数民族である事、彼らの給与の事、
生活の事を聞いている内に仲良くなり、頭痛も治まってきた。
時間も10時近い。
そろそろ出発しないと・・・。
「ゴルムドまで一緒に行こう」と、彼らが声をかけてきた。
「!」
・・・そうだ。この先はオオカミ地帯だった。
頭痛が治っていたので忘れていた。
しかし・・・・・
30分以上悩んだが結局乗せてもらう事にした。
但し、ゴルムドまでではなく、この砂利道が終わる150kmだけ。
正直悔しい気持ちが99%。
轍を切らせたくないという思いで走っているのだから・・・。
例えそれが1kmであっても。
しかし冷静に考えてみても、この旅は続けなくてはダメなのだ。
ここで心が折れてしまったり、怪我をしてしまえば意味はない。
悔しい気持だったが、彼らの人の良さに甘えさせてもらう事にした。
さて・・・・
ところで、タンクローリーにどうやって自転車をのせるんだ!?
彼らもまさか僕がこれほど大きな自転車だったとは
想像していなかったようで、
部屋に置いてある自転車をみて固まっていた。
しかしそれでも「没問題」と言い、荷物を外すように僕に言った。
手早く荷物を自転車から外して外に出てみると、
なんとタンクローリーの天井に運転手が立って手招きしている。
地上からの高さ約・・・・4m?
ロープが落ちてきて、自転車に括りつけろと。。
言われるがままに自転車に結びつけると、
ズルズルと自転車をタンクローリーのてっぺんに引き上げていく。
そのロープで自転車を屋根に固定したようだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1737593929-7QOjrE5v0lmAtbDRzJfN1cYS.png?width=1200)
50トンタンクローリー!に自転車が乗せられる。
他のカバンは運転席のキャビンに運び入れた。
50トン車の運転席キャビンは
運転席・助手席の後ろが二段ベッドになっている。
そこに荷物を放り込んで、僕はその荷物の間に挟まる形で座った。
さぁ、出発だ!
「プシューッ」というエアブレーキ解除の音ともに、
キャビンが大きく揺れて進み出した。12段変速のタンクローリー。
運転席の目線の高さは地上3mはあって気持ち良い。
ここから150km。約4時間だそうだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1737593973-FtNh6BD5slVEQ4nTbOSm9Iri.png?width=1200)
既に3万キロを走っていた。
道中、話は尽きなかった。
彼らはゴルムドを中心にアチコチに軽油や石油を運んでいる人達なので、
これから僕が向かう先の場所も全部知っている。
地図を取り出してアレコレ教えてもらう。
また、日本の道路事情、行ってみたい場所の話など・・・。
気がつけば砂利道もおわりに近付いていた。
それは雪を被った崑崙山脈が近づいてきたことで分かる。
![](https://assets.st-note.com/img/1737594052-eqiOfVUr6I2mTBQ5CMndYGkZ.png?width=1200)
彼らは「ゴルムドまで行こうぜ」と誘ってきたが、
さすがにそれは断って、予定通り分岐点で下してもらう事にした。
2日前、呆然と座り込んでいた
まさにその場所にタンクローリーは止まった。
自転車はものすごい砂埃にまみれながらも無事だった。
記念写真を撮って、互いの連絡先を渡して別れた。
![](https://assets.st-note.com/img/1737594081-45GQBOlxaLXwnCMHtz6NvPrd.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1737594103-A6H0XKVf9SB4wh3OvLqTPnJa.png?width=1200)
ありがとう!
![](https://assets.st-note.com/img/1737594126-eRgpZF5MsUJXmG74zwifnQKl.png?width=1200)
さて、14時。
分岐点にある食堂兼売店に入ってお茶をもらう。
暫くすると3人のチャリダーが店に入ってきた。
彼らはやはりラサを目指している。
彼らは僕に「ラサに行くの?ラサから帰ってきたの?」と
当然のように聞いてきた。
僕が来た道を説明すると、アングリと口を開けた。
有り得ないルートだからだ。
彼らはラーメンを食べてさっさと走り出して行った。
僕は放心状態で居座っていた。
また暫くすると今度はイギリス人3人が。
彼らは岩石の研究家だそうだ。
ランドクルーザーで乗り付けている。
彼らは僕が来た村の方向に行くらしい。
道の様子について聞かれたので、詳しく説明してあげた。
すると彼らの通訳者がニッコリしている。
その理由は、実はランドクルーザーを2台連れてきているからだ。
この2台は予備のランドクルーザーなのだ。
さすが、、、、用意周到だ。
というか、そんなところに行きたいのかね?
あと3年待てばこの砂利道も舗装路になるのにね・・・。
なぁんて、人に言う前に自分がやるなよな・・・。
そんなかんやで2時間ほど居座っていたら、
向かう先に雨雲が!しかも強烈にデカクて黒い。
こりゃぁマズイと言う事で、自転車を漕ぎ出す。
30km上り坂で、その後ゴルムドまでひたすら下る事になる。
しかしこの最後の上り30kmは、巨大な雨雲から吹き下ろされてくる
向かい風で思うように進めない。
その上さっむい!
標高4700m。これが最後の峠だ!気合いで進む。
峠に着いた頃には、たつのもやっとの程の強風に加え、
ヒョウが降り始めた。
長居は無用。
![](https://assets.st-note.com/img/1737594208-QUhIdoixrnT0zPgLv5V4k8C1.png?width=1200)
とにかくここから下りなのだから・・・・・
下り・・・・・・あれ?下れない!
強風で自転車ごと押し戻あされてしまう。
・・・・ウソォ・・・・
生まれて初めて、下り坂を自転車を押して進むことに。
なかなか進まないうちに真っ暗になってしまった。
こりゃぁマズイと思い、道端の草原に入りテント設営を急ぐが、
間一髪で間に合わず・・・・。
叩きつける大粒の雨の中、テント設営をした。
テントを張り終え、前室に自転車を押しこみ、
自分もテントに転がり込んだ。
すっかり体も冷え切ってしまった。
大粒の雨がテントを叩く。
一時間ほどで音が消えたので、
止んだと思いテントを開けてみると何と雪に変わっていた!
道理で寒いはずだ。
その内に山風が下りてきてテントが大きくゆがむ。
テントの中でお湯を沸かし、味噌汁をすする。
![](https://assets.st-note.com/img/1737594260-7gk9Xt6oGzyDbKdSLWcnsOj5.png)
ホントはね。
・・・・また夜が来る。
3日目になっているので、高山病も慣れてきているのではないか?と
淡い期待をしつつ、寝支度する。
--
飯高直人 著
『自由の教科書 夢を叶えた人だけが知っている8つの「捨てる技術」』
編集代行:DK.S