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誰のものでもない「みんなの案」
Facebookを見ていたら「形だけの住民説明会」といった投稿が違う方、違う場所から同時多発的に。
みんな、悩んでるんだなあ、苦しんでるんだなあと胸が痛みます。
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とあるまちのとある協議会の話をします。
住民説明会での「お稽古の時間と合わない」という声を真剣に検討して、次の協議会には案として出てきます。やんごとなき大人の事情に頭抱えても、それぞれの立場を尊重して精一杯知恵を出します。宿題ができたら持ち帰り、改めて会議します。
リーダーがコメンテーターになることなくコーディネートしてくださいます。
今、原案?何それ美味しいの?というくらい練り込んだ案があります。
それでも舌の肥えた市民の皆さんに批評されることでしょう。私自身、満足かといわれるともっとできると思っています。
でも、私はこの案がとても愛おしいです。
なぜなら、この案は誰かの意向、何かの意思「だけ」が反映したものではないからです。
『誰のものでもない、みんなの案』
これが作れるこの街は素敵だし、未来の可能性があると感じています。
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周囲を見渡すと、誰かの案を「みんなの案」にするために行われている段取りのなんと多いことか。
まちづくりに100%の賛成はありません。100%の満足はありえません。しかし反対されることを恐れ、議論を避ければ、それはまちへの失望と関心の低下につながり、結果としてそのまちの輝きを失わせることになると私は考えます。
(写真はイメージです)