小川淳也議員 衆議院国会演説(3月1日)より一部を文字起こししました
2019年3月1日の衆議院本会議にて、立憲民主党小川淳也議員が根本大臣への不信任決議案趣旨弁明を行いました。1時間50分にもおよぶ演説(フィリバスター)で、その内容が素晴らしかったので、ほんのわずか一部ではありますが、抜粋し文字起こししておきます。
小川淳也議員:いったいいつから霞が関はそんな組織、集団になってしまったのでしょうか。
本来、実務の負担は下へ行くほど重いものです。そして負うべき責任は上へ行くほど重いものです。これが組織の当然の倫理であり、モラルであります。そのモラルをこの日本社会においてもっと具体的に体現すべき、国民に範たるべき日本政府霞ヶ関内部において崩壊が見え始めていることは、本当に残念な由々しき事態だと思います。
やがてこうした風潮は日本社会の隅々にまで及びかねない。その状況は今すでに起きつつあるのではないでしょうか。総理や官房長官をはじめとした政権中枢は、霞が関の人事権を全権掌握した史上初の政権です。その政権が人事権を振りかざし、官僚に真実を隠させ、事実を歪ませ、事態を隠蔽させることをよしとするのであれば、まさにこれこそ国家的な危機であります。
先日ある出版社の若い社員と、トップの資質と組織の文化について意見を交換する機会がありました。トップがどういう人物かによって組織の文化は大きく変わってくるのではないか、と私が指摘した時のことです。その若い社員はしばらく考え込んでこう言いました。
「確かにそうですね。トップがどういう人かによって部下は怒られるところと褒められるところがずいぶん変わって来ますからね」
私はその発言にはっとしましたし、極めてシンプルに事の本質を言い当ててくれていると感じました。同時に私自身も小さな事務所ではありますが、よく気をつけなければならないと思ったものです。まさにその通りなんです。
組織のトップが、「何を望むのか」「何を尊び」「何を認め」「何を褒め」「何を好むのか」。
そして組織のトップが、「何を否定し」「何を拒否し」「何をしかり」「何に怒るのか」。
この日々の小さな積み重ねこそが組織の体質を決め、職員の行動倫理を変えていくのです。この自覚がないままに現在のように人事権を振りかざす状況が続けば、事態はさらに深刻化し、やがては日本社会の隅々、末端にまでモラルの崩壊が押し寄せる。そしてこの看過しがたい悪しき文化が日本社会全体に蔓延、感染していく大きな危機感を持っています。
今回、厚労省は重要なメールを探し出し国会に提出しました。私はこれ自体は率直に評価しています。まだまだ国会が機能していると思ったものです。同時にこれを探し出し提出せざるを得なかった将来ある若い担当職員の心痛にも思いが及びました。しかしこうした不都合な事実をさらけだし、真理を追究することで一時的に組織は揺らぐかもしれません。しかしこうしたことを積み重ねることで社会が揺るぎないものになっていきます。誰しも真に仕えているのは所属の組織ではなく、引いてはその先にある社会であり、この国の未来であるはずです。改めて立場ある人間、責任ある人間の自覚と自制を強く求めたいと思います。
小川淳也議員:現在の政権にはびこる「何が正しいか」が基準ではなく、「何が都合が良いか悪いか」の行動、言動の先には一体何が待っているのでしょうか。「何が正しいか」を問い続けた社会は、透明性の高い信頼に足る、まさにみんなのための社会へと発展するのではないでしょうか。「何が都合が良いか、悪いか」を問い続けた社会は、やがてその都合の良し悪しは、「誰にとって都合が良いか悪いか」という問題と切り離すことができません。したがって社会は、やがてその特定の誰かのための社会になっていかざるを得ない。これが今すでに日本社会で起き始めている極めて危険な兆候ではないでしょうか。
今回の統計不正もさることながら、かねてから大きな問題となっている国有地の処分、学校法人の認可、すべてに同じ構図が見て取れるのではないでしょうか。
小川淳也議員:最大の闘いの対象は、実は、安倍政権でもなければ自民党でもない。私自身を含め、真に闘うべき対象は、この国民のあきらめなのではないか。国民とともにこのあきらめと戦うために、まずは私たち自身が確固たる意思を持って、自らをはげまし、自らの絶望やあきらめと敢然と闘い続け、そして常に国民とともにあるその姿勢を示し続けなければなりません。
国民は気付いています。現政権の体質にその本質に気付いています。微妙に、敏感に、しかし確実に感じ取っているのです。
小川淳也議員:今回の国会審議、私も数値や統計と格闘して参りました。しかし委員会でも申し上げた通りです。途中からふと思うようになりました。なぜ私はこんなに数字をにらみ、統計手法と取っ組み合い、政権と数値論争をしているのだろう。週末に議員会館で一人詰め、もがいている時だったと思います。
もしこの国の総理大臣が「良い数字はもういいから、そこはうまく行っているのだろう。悪い数字はないのか。そこに困っている国民はいないのか、そこで抱えている社会の矛盾はないか」。そう問いかける内閣総理大臣がいれば、そもそもこんな不毛な数値論争は起きてないじゃないですか。表面的な言葉だけでなく、数値だけでなく、真に国民に寄り添い、国民生活を思い、国家の威信や国家の尊厳に勝るとも劣らぬ重要な国民生活への思い、民のかまどを憂う思いを総理に求めたいと思います。
以上、ここまでの文字起こしは本当にほんのわずか一部です。全編は衆議院のHPにてアーカイブされていますのでぜひ多くの方に見ていただきたいと思います。
(衆議院本会議2019年3月1日)
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=48690&media_type=fp
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