【吉田潤喜】ヨシダソースでアメリカン・ドリームを掴んだ波瀾万丈の人生
ヨシダソース
吉田さん。
幼少期貧乏。母が作る焼肉のタレで食べる焼肉が才能のご馳走だった。
姉の持っている針で右目を失明。いじめられるようになった。
いじめられないために強くなりたくて空手をはじめた。実際いじめられなくなった。
オリンピックでアメリカの活躍を見た。『アメリカは強い国』自分ももっと強くなりたくてアメリカに渡った。
1969年渡米
夜は皿洗い、昼は庭師で日銭を稼いでいた。
24歳の時結婚。
空手教室を開いた。すると、ブルースリーのブームに乗って盛況。しなひその後第二次オイルショックの大不況により空手教室の生徒が激減。
33歳のクリスマスの夜、空手教室の生徒からプレゼントを貰った。お礼を渡したかったがお金がない中どうしようか考え、母の手作り焼肉のタレの味を思い出した。
プレゼントしたら喜ばれてもっと欲しいと言われた。
そこから夫婦で瓶詰め。
自分で店頭販売。着物着てやった。
味さえ知ってもらえれば気に入ってもらえる確信。
『今夜チキンをどうやって食べるの?チキンがヨシダソースを待ってるよ!』
自分がCM出た。
人気になって儲けられるように。
人生金儲けじゃない、人儲けだ。