出先で東海豪雨に被災して色々あった話

ずいぶん前に東海豪雨の体験談を2ちゃんねるに投稿した物の修正版です。

2000年9月11日は友人達と計画していたバーベキューの日だった。
朝から天気は悪かったけど、ずいぶん前からの計画だったので相談の上決行する事にした。
場所は笠松競馬場近く、木曽川に架かる橋の下の河川敷。
昼前からバーベキューを始めてみたけど雨は強まるばかり。
いつの間にか足元の砂利から段々と水が染み出し川の水面は近づいてくる。
これはもう駄目だと判断して撤収。
一番近くの江南市の友人宅に避難して、服を乾かしたり、ゲームしたり、残った食材を調理して食べたりしていた。
その間も外は物凄い雨の音がして、尋常じゃない事は感じていた。

18時位になって雨の音が静かになったので
それじゃ今のうちに帰ろうかという事で会はお開きに。
各々帰路に就いたんだけど、江南の市街はあちこち冠水していてエライ事になっていた。
それを呑気に眺めながら一人で車を運転していた。

自宅はそこから名古屋を縦断していった先で、普段は名古屋高速を使えば1時間程の道のり。
その日も楠ICを目指して国道41号線に乗った。
江南市内では冠水を避けて周り道をして少し手間取ったけど、41号線は快調だった。

豊山町辺りで腹ごしらえをしようと国道沿いのCoCo壱の駐車場に入った途端にバケツをひっくり返したような雨が降り出した。
大急ぎで店内に入り、30分程で食事を済ませて車に戻ると国道はさっきまでの流れが嘘のように大渋滞していた。

それから先はもうなんともならなかった。
楠ICは目と鼻の先なのに、渋滞の列は遅々として進まない。
焦れて41号線を下りて裏道を進む事にした。

名古屋空港の傍を通り南下、途中で庄内川の橋を渡った時、土砂降りで見通しが悪い中でも普段では考えられない位川の水面が近くに見えたのを覚えている。
後から知ったんだけど、自分が通過してから間も無くその辺りの堤防が決壊して相当な被害を出したらしい。

それからは渋滞を避け、わき道を探しながらノロノロと運転していたんだけど、途中で半地下の家電店で店員が必死になって水を掻き出していたり、住宅地の道が冠水しているのを住民が迂回しろって交通整理してたりと非常事態なのをひしひしと感じていた。

それでもなんとか進み、日付も変わろうとした頃、自宅まであと10キロ程の所で渋滞は完全に停滞し全く進まなくなった。
これも後で知ったんだけど、そこから数百m先の所で天白川が氾濫していて、相当な被害を出していたらしい。
しかし、当時はそんな情報を得る術もなく、それまで半日近くノロノロ運転を続けて疲れもピークで、帰って風呂入って寝たい一心だった自分は致命的なミスを犯した。

思えば休憩に入ったコンビニの駐車場で夜明かしをすれば良かったのに、大通りを逸れて住宅地に入り、少しでも進もうとしたのが間違いだった。
センターラインも無い路地の、冠水していた交差点を突っ切ろうとしたんだけど、さほど深そうに見えなかったそこは想像以上に深かった。
交差点の中ほどで失速し、メーター周りの警告灯が一斉に光ったと思った瞬間、エンジンは止まった。
この時、マフラーからエンジン内に水が入っていたんだと思う。
この後はいくらセルを回してもエンジンは止まったまま、二度と動かなかった。
嘘みたいな話だけど、この時「冗談だろ?」ってホントに口から出た。

途方に暮れていると更に雨は強くなり、気が付くとサイドウインドウの下まで水に浸かっていた。
足元を見ると車の床からジワジワと水が入ってきていた。
そして車が水に浮いて少しずつ流されているのが分かった。
この時初めて、命の危険を感じた。
車を置いて避難する事を決めて、上半身裸になり着ていたシャツと濡らしたくない物をコンビニ袋に入れてドアを開けようとした。
よく車が冠水すると水圧でドアが開かなくなるって言うけど、幸いまだドアは開き、外に出る事は出来たが、開けた瞬間に車内にすごい勢いで泥水が流れ込んで、浮いていた車はあっというまに接地した。
ドアを閉めたらまた車は浮き始めたんだけど、このまま交差点の真ん中に放置するわけにもいかないので、浮いているのを幸いに腰まで水に浸かりながら車を道の端まで押した。
近くのアパートの階段の踊り場に逃げ込み、タオルで体をふいたり、シャツを着なおしたり、親や友人に携帯で連絡したりしていると、さっきまでいた大通りを消防車が「この地域に避難勧告が発令されました」とアナウンスしながら通って行った。

トボトボと通りまで歩いていくと
辻々に消防団員と思しき人が立っていたので「地域住民じゃないけど避難所は使えますか?」と聞いてみたらOKとの事で、桜小学校の体育館が避難所だと教えてくれた。

歩いて避難所に着くと午前1時過ぎだったと思うが、体育館は避難してきた人でいっぱいで、運動場は冠水してまるで海のよう。
避難所の入り口では缶入りの飲料水やカンパンを配っていた。
自分は貰うのを遠慮したけど、ほとんどの人が受け取っていたように思う。
体育館の真ん中辺りに僅かなスペースを見付て、そこで朝まで休もうと思ったんだけど、避難所で配っていた毛布は品切れ、全身びしょ濡れで絶望的な気分でいたら、すぐ隣に避難してきていた小さなお子さん二人を連れたご夫婦が「私たちは家族4人で3枚あれば大丈夫だから」と毛布を1枚分けてくれた。
正直、涙が出るほどありがたかった。
早速、濡れたシャツとズボンを脱ぎパンイチになり毛布にくるまって横になった。
疲れていたからか、床の硬さもさほど気にならず朝6時位までウトウトと眠れた。

余談なんだけど、避難所では出入り口から遠い側の壁際を確保出来ると、壁側からの視線が気にならないのでプライバシ―面や、もたれて座れるという事で快適さが違ってくると思った。
女の子のいる家庭は特に気にしてみた方が良いんじゃないかな。
それプラス、座布団のような物があるだけで格段に楽になるとも思った。

目を覚ました時、雨は止んでいた。
毛布を分けてくれたご一家はまだお休みだったので、声は掛けず両手を合わせてお礼を言って、毛布を畳んでお返しし、濡れたままの服を着た。
しかし、泥水に濡れた服をもう一度着るというのは、肉体的にも精神的にも疲れた処への追い打ちで心底凹む行為だと痛感。
着ている間は気にならなかったけど、もう一度着る時には汚水にまみれた臭いと冷たさで心底気が滅入る。
浸かったのは雨水じゃなくて、下水から溢れた汚水なんだよね。

車に向かう道すがら、携帯電話で父に連絡して迎えに来てもらうように頼み、車に戻ると水は引いていたものの、昨夜放置した場所から流されたらしく、また道の真ん中辺りに移動していた。
近くの工務店の作業場と思しき建物のシャッターが、水圧で押されレールから外れて建物の中に入り込んでいた。
周辺はどうやら床上浸水していたらしい。


車のドアを開けるとザバーッと車内から泥水が流れ出てくる。
泥の跡を見るとダッシュボードの上まで水に浸かっていたらしい。
ダメ元でキーを回してみると当然エンジンは掛からないものの、バッテリーは生きていてメーターは点灯。
パワーウインドウを動かして窓を全開にした所でバッテリーもご臨終。
少しでも端に寄せようとドアを開けて外からハンドルを握り
必死になって押していると、通りすがりの人が何人も助けてくれた。
お礼を言って別れると、今度は車内に残った水を掻き出す作業。
車に積んであった小さなゴミ箱で掻き出すんだけど捗らない。
何十回と掻き出して大方の水が無くなった頃、床に小さなキャップがある事に気付いた。
それを外すと残った水が全部抜けた。
シャシー塗装時、塗料のプールに浸けた後、余計な塗料を抜く穴だった。
最初に気付いていれば、無駄な作業をしなくて済んだ。
グッタリしながら、自分の無知を呪った。


そうしているうちに父から携帯に着信。
近くまで来ているとの事なので、通りに出て待っていると間も無く合流できた。
普段なら自宅から30分も掛からない道だが、氾濫した天白川が朝になっても渡れず、渋滞した道を延々迂回する羽目になって3時間掛かったとの事。
持って来て貰ったきれいな服に着替えると少し気分が上向いた。

父の車と自分の車をけん引ロープで繋いで自宅へと帰り始める。
自分の車の運転席に座るとシートに浸み込んだ泥水で、せっかく着替えた服がまたびしょ濡れになり上向いた気分も再び凹む。

バッテリーの死んだ車はあらゆる運転アシストが効かなくなるのでハンドルやブレーキが重くなり操作に必要な腕力と脚力が跳ね上がる。
地元民なら分かるけど、名古屋市天白区~緑区の間は丘陵地帯で坂道だらけで、渋滞でも渾身の力を込めてブレーキを踏んでいないと止まっていられないし、サイドブレーキは牽引している父の車がいつ動き出すか分からないので使えない。

道路は昨夜の雨で動かなくなった車があちこちに放置されシケインだらけ。
そこへエアコンも使えず、ガラスは曇りまくりなのにワイパーも動かず、けん引されてるので狭い道でも切り返しできない車を必死になって操作している泥水まみれの自分。
さらに追い打ちをかけるように、また雨が降り出した。
でもパワーウィンドウが使えず窓が閉まらないので、右半身がずぶ濡れになっていく。

そんな状態で2時間掛かって自宅近くのディーラーに辿り着き、車を預かって貰い、父の車に同乗してやっと帰れた。
自宅は市内でも高台に位置しているので、なんの被害も受けていなかった。
そして会った母の最初の一言「クッサ!」にポッキリと心を折られ、そのまま黙って風呂に入り夕方まで死んだように眠った。


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