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歳をとるという話
ああ、また歳をとった。
こんなに幸せな台詞、他にない。
1年に1度訪れる、自分が産まれた日。
色々なことを経験して僕たちは大人になってきた。それはこれからも続いていく。
楽しかったこと、悲しかったこと、嬉しかったこと、辛かったこと。
特に子どもの頃の記憶は、今もよく思い出す。
縁日の帰り道、夜道を後ろ向きに歩いていたら川に落ちて流されたこと。
学校に行く途中、知らない人の家のマルチーズが封印から解き放たれて通学路で僕に吠えてきたこと。逃げれば追ってくるし、向かっていけば逃げていく。その隙に、と僕が走って逃げれば犬も走ってくる。20メートルを犬と行ったり来たり、シャトルドッグラン。
あとは顎の矯正をしている器具が無くなったときのこと。
何十万円もする高い器具だから大切に使うように、と聞かされていた僕はとんでもないことをしてしまったと思った。家の中で泣きながら神様に祈った。
キリスト教信者だった訳ではない。子どもは困ったら何でも神様に頼みがちなのだ。いや、子どもだけじゃなくて大人もお腹が痛いときとかよく頼んでるか。
頭に血が上るくらい全身に力が入っていた。膝をついて、祖母の部屋のベッドに顔を埋めて涙を流しながら祈った。
「お願いします、神様。お願いします、神様。一生のお願いです。矯正のやつを見つけてください。」
祈りが届いたのか、燃えるゴミ袋の中で見つかった。燃えないし、ゴミじゃないし、ふざけるなと何かに八つ当たりしたい気持ちにもなったけれど、見つかって本当に安堵した。
以降、神様お願いしますが一切通用しなくて、なにかある度の神頼みは一切効かなくなった。神様に願いが届いて、僕との約束を守ってくれたんだ。矯正のやつを見つけてくれたから。一生のお願いをそこで使ったからだと、本気で思った。約束を叶えてくれた神様へ感謝の気持ちを祈り、そこで別れて僕は20年後くらいに出家した。
仏教に乗り換えで最大33,000ポイントキャッシュバック!番号(マイナンバー)そのまま!とかではない。MNPってマイナポイントのことか?
「はいはい(イエスイエス)どうせ私は都合の良い神様ですよ!どこへでも行きなさい!」
ごめんね神様。でもその時は本当にありがとう。
ちょっと思い出に偏りがある気もするが、本当に色々なことがあったな、と思う。
皆さんはトーマス・カーライルという19世紀イギリスで活躍した思想家をご存じだろうか。僕は知らない。
そのトーマス・カーライルさんの言葉を、この広いどこまでも続く電脳大海の浅瀬で見つけた。(訳:名言ってググったら出てきた)
「現在というものは、過去のすべての生きた集大成である。」
これは今この瞬間が、過去に起きた出来事、行動や選択、その結果として形成された文化や知識の蓄積であると述べているのではなかろうか。知らんけど。そうだと思う。多分。
楽しかったこと、悲しかったこと、嬉しかったこと、辛かったこと。
できることなら経験したくなかった出来事や思い出。それすら、今の僕たちを形成する一部になっているんだと思うと、なら仕方ないか、と思えたりする。
僕たち一人ひとりの選択や行動は、未来に大切な役割を果たし、後世に何らかの形で影響を与える。だからこそ、僕たちは過去を教訓として学び、未来の為に意識的な選択をすることができるのだろう。
過去の僕から電話がかかってくる。
「おいすー、ここまでの選択、大丈夫だった?」
僕は答える。
「わからん。けど、今日また歳を重ねたよ。」