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幸福の話
みんなの宗教センサーがピクっと動いたのを感じました。
宗教の話する訳じゃないですし、読み終わったら目パキパキで入信不可避みたいなことにはならないので、ゆるっと見てって。
■幸福とは何か?
電脳辞書ことWikipediaによると心が満ち足りていることらしい。ということは幸福はそこら中にある気がする。
・家族と過ごす時間
・仕事が順調に進んでいるとき
・ラーメン食べてるとき
・真夏に飛び込んだ百貨店の涼しさ
・炭火の煙を浴びながら飲むビール
・真冬のキムチ鍋
小学生が書いたわけではない。小生が書いた。
ちょっと考えただけでも色々思い浮かぶ
何か嬉しいことや楽しいことがあると幸福を感じやすいようだ。まあ、これは当然だと思う。何かがプラスされると幸福を実感しやすい。欲しいものを買えば、うふふとなるように。
例えばゲームなどで自分のアイコンともなるアバターと呼ばれるキャラクター、あれは課金して装飾することができる。そのゲームをやり込んでいる人程、アバターに(オシャレかどうかはさておき)華美な衣装を纏わせている傾向が強い。最初のTシャツ短パン丸刈りアバターよりも、着飾った方が幸福のようだ。素敵なアバターですね、なんて言われたら嬉しいよね。
さて、夏は専らTシャツ短パンで季節を問わず丸刈りな僕は、実写版初期アバターのような風貌であるわけだが、これが割と気に入っている。
出家する前は髪もあった。いや、今もあることにはあるんだけど、短いという意味で。20代前半くらいまでは髪の毛が命みたいな感じだった訳だが、無くなってみれば無くなったで、こんなに楽なことがあるか?と実感した。
雨の日の前髪のうねりを気にする必要も無く、風呂上がりの念入りなドライヤー、出掛ける前にはワックスでセットしてVO5で固定して。時代を感じさせる仕上げ方でしょ。VO5、そのワードだけで少し笑える。
そんな髪にかかわる「めんどくさいなあ」が一瞬にしてなくなったのだ。開放されたような気持ちで、僕は坊主頭に幸福を感じているようだ。
そう考えてみると何も「手に入れること」だけが幸福なのではなく「手放してみる」ことでも幸福を得られるのかもしれない。
僕たちはみんな1回きりのリアル人生ゲームをぶっつけ本番でプレイしなくちゃいけなくて、どうも荷物を持ちすぎたり、セルフ縛りプレイにしてみたりすることで駒を進めることが辛かったり、大変に感じたりして余裕がなくなっていないだろうか。1マス1マスを味わうことなく素通りしてしまっているように思うときがある。
だから出家して剃髪すれば万事解決!という話ではないが、溢れかえる物や自分で決めたルールを一度棚卸ししてみて、捨てても良さそうなものは捨ててみたら、身軽さに幸福を感じることができるかもしれない。
今の僕は何もない1日に幸福を感じる、何一つ新鮮味のない家の周りを娘と歩く時間に幸福を感じるし、夜ゆっくり寝られて朝気持ちよく起きることだって幸福だと思う。
幸福のハードルをガンガン下げて、今何とも思わないことに皆さんが幸福を感じられますように。
暑い1日を乗り越えてビールを飲みながら最高の幸福を感じている僕より