For the boy with the naive thorn in his side
これは、SNSで知り合った方に宛てて書いた手紙のような文章です。ネットの世界ではとても辛辣な言葉も飛び交いますが、こんな素敵な若者たちがどこかの街にいらっしゃって同じ音楽を聴いたりしながら暮らしておられるのだなあと思うと、励まされる気持ちになるのです。
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naiveさま
こんばんは。Twitterではもう3年ほど時折やりとりしていますでしょうか。
7月と8月に、とてもありがたいお便りをいただき、心から感謝申し上げます。それに対してきちんと返すことができずに今に至りました。歳をとってくると、身体と気持ちのアンバランスが進んできて、なかなか行動が追いつかず少々自分が情けないです。
先日のお便りで思い出したのは、会話を始めたきっかけが2018年のnaiveさんの投稿だったのですね。あの短い演奏動画を観たとき、30年ほど前に東京の病院の一室で初めて顔を合わせた若い頃の小山田さんの面影が浮かび、思わず嬉しくなって不躾にも引用ツイートいたしました。
1989年のおそらく9月の終わりごろ。事故に遭って入院中の小山田さんは、見ず知らずの人間(私)がいきなり病室にやってきて、昔からOliveで見てたんですとよく分からない自己紹介をしても、「なにそれー」と言ったきり、とくに帰りを促そうともせず、持参したノートに似顔絵のようなものを描いてくれたあと、ギターを手にして静かにCoffee-Milk Crazyの間奏部分をつま弾いていました。あのときの横顔を思い出したのです。あれは私にとって、相手は忘れておられても、短いけれど一生心に残る時間ーfantastic momentでした。
naiveさんがときどき投稿する、ベレー帽でおしゃれしたときの写真や、音楽やアートの話、さまざまな社会問題についてコミットしていこうとする控えめな姿勢、おそらく心に秘めておられる棘のようなものも含めて、どれにもなんとなく励まされてきました。私はたぶんnaiveさんの母親世代であるのですが、きっと私のように、naiveさんの姿を微笑ましく見てこられた方々も多いと思います。
そういえば一度naiveさんをイメージして漫画をひとつ描いたことがありました。THE CYRKLEというバンドのThe Visitというとても好きな曲を基にしたものです。そのバンドのこともフリッパーズ・ギターがきっかけで知りました。そして聴くと、当時のとても個人的でささやかな記憶が蘇ります。小山田さんの活動をフォローする中で知ったことがたくさんありますし、何よりも、そうした体験談を1999年に書いたことで、ほかの方ともご縁が繋がっていきました。平凡な私にとっては予想外のことでした。
きっかけは雑誌の記事のストリートスナップという偶然にせよ、小山田さんという人物を好きになったことで、同じような気持ちを持つ方々と共感が生まれ、私の狭い世界もまた開かれてきたのでした。
2021年、日本は閉塞した生きづらい社会になっているように感じます。若い方々にとってもサバイブしていくのは容易ではありません。公平に生きること、誰に対しても優しくあること、寛容であること、そんな問いを何度も突きつけられた、この酷く苦しい夏。そのさなか、Twitterを通していただいたnaiveさんからの2枚のお手紙の画像は宝物になりました。これからも大切にとっておきます。SNSはアカウントが消えてしまえば、ほとんどの方と再会することはありません。そして私がnaiveさんと、この先どのくらいやりとりできるかも分かりませんが、naiveさんはこれからも「好きなだけ恋の夢を見て」、泣いたり笑ったり怒ったりしながら、愛する人や信頼できる友達と出会い、悔いのない人生を歩んでほしいと思います。そして時折垣間見える素敵な感性を、この先もどうか磨いていってくださいね。
追伸:THE SMITHSは私もリアルタイムで聴いてきたわけではありませんが、naiveさんの小山田さんについてのツイートを読んでいると、モリッシーに憧れてグラジオラスをデニムのポケットに入れていたという若者たちのことを思い出します。憧れというナイーヴな想いは、人をずっと支えていくものだと思います。
私もそうして自分の心を支えてきました。そして、嬉しいことに、今でも少しずつ新しく好きなことや好きな人たちに出会えているように思います。
あまり書いていると偉そうですね。私はただ、naiveさんよりも長く生きただけに過ぎません。このへんでとどめます。どうか、これからもお元気で。どうか、輝かしい未来を生きていかれますように。
naiveさんの存在にどこか救われている南の島の人間より
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