Killing me softly with his song
これは、以前書いた以下の文章の続きになるものです。
この話も書いておきたくて、小山田圭吾さんを応援している方々と気持ちを共有できると嬉しく思います。
スモール・タウン・ガールの見た東京1989-1991-1999-2019
https://note.com/cybele70/n/n9f29ac8d7867
”Strumming my pain with his fingers
Singing my life with his words…”
ロバータ・フラックが歌って1970年代に大ヒットした”Killing Me Softly With His Song(邦題:やさしく歌って)”。評判の男性歌手のステージを観に行った女性。思っていたよりも若く少年のような彼の歌に魅了される。かき鳴らされるギターは自分の痛みのようであり、彼の言葉はあたかも自分の人生を歌っているようで…。最も切ないのは、次の歌詞だ。
”He sang as if he knew me
in all my dark despair
And then he looked right through me
as if I wasn't there
And he just kept on singing
singing clear and strong"
彼は私の暗い絶望の全てを、まるで私を知っているみたいに歌った/彼の視線は私をすり抜けていった、私がまるでそこに居ないかのように/彼はただ歌い続けた、澄んだ声で力強く
もうあまり自分が若くはないと感じ始めたある頃から、この曲を聴くと思い出す方がいた。十代の終わりにお会いしたことのある小山田圭吾さん。思い出の中ではいつまでもそのときの印象のままで、歌の中の若い歌手に憧れる女性に、自分の姿が重なった。二十代の数年間、きちんと彼の作品を聴けなかったのは、自分自身の気持ちが整理できていなかったからだろう。
四十代の半ばにSNSを通して思わぬ方に再会した。フリッパーズ・ギターのPV撮影現場で友達になったYさんという女性だった。いつかライブに一緒に行きたいねという話から、コーネリアスの”MELLOW WAVES TOUR 2017”を観に行くことになった。私はそれまで、コーネリアスとしてのステージを一度も生で観たことがなかった。
10月26日、上京。会場は新木場のSTUDIO COAST。開場前にSNSでの知人たちとも顔合わせをすることができた。フロアを埋める同じファンの方々の数。光と映像と音に溢れた素晴らしいライブ。集まった人たちすべての心を掴むような「あなたがいるなら」。今はミュージシャンとしてこんなに大きな存在なのだと感じ、にこにこと音に合わせて身体を揺らすYさんのそばで、二階席の壁に背中をもたれながら静かに感動を味わっていた。
ライブが終わって帰途につこうとしたとき、Yさんが「さあ、行こう」と私に呼び掛けた。なんと、Yさんは私のためにバックステージパスを受け取る段取りをしてくれていたのだった。足が震えた。ふと、あの歌の一節を思い出した。きっと覚えてもいないだろう。話など、できるだろうか。一瞥されて終わりという可能性のほうが高いのかもしれない…。
バックステージにも、ご友人たちや関係者が列をなしていた。頃合いを見計らってYさんたち小山田さんと旧知の仲の方が声をかけてくれて、振り向いた小山田さんに、昔きみのファンだったそうだよと経緯を話してくれた。突然のことに戸惑った顔だった。それはそうだろう。でも、意を決して、手持ちの写真を何葉か手渡して見ていただいた。1991年の”GROOVE TUBE”撮影当時に自分のカメラで撮ったスナップの中から、小山田さんは一枚に目を留めた。オードブルのワゴンから顔を出す場面を、後ろから撮影したもの。小山田さんと小沢健二さんが狭いワゴンの中に体を縮めて座っている。「ああ、あったね。こんなこと。うん、あったあった」と、写真に目を向けたまま、ふふっと笑った。覚えられていなかったことなどなんでもなかった。ファンに対するジェントルさと、写真に写っている、かつて共に時間を共有した音楽仲間への気持ちが伝わってきた。
まだまだたくさんの方が面会を待っていた。引き留めるわけにはいかない。Yさん達も一緒に写真を撮っていただいて、夢のような数分間は過ぎた。私はYさんに渡すつもりで持っていた宮古島の紫芋の月餅の入った小さな紙袋を小山田さんに差し出した。そのままどこかに置かれるのだろうと思っていたら、紙袋を手に下げたまま別のグループのところに移動して談笑を始めた。その後ろ姿や足元の黒いコンバースのスニーカーを見ていると、ああ、こんなことってあるんだなあと何ともいえない気持ちに包まれた。
初めて病室を訪ねた19歳の初秋から数えて28年後の10月26日。もう一度、憧れの人物に会いたいという、小さな夢が叶った。
たった1泊2日の上京、帰りの羽田空港でお会いできた同じくコーネリアスファンの方に、もうひと箱だけ残っていた、昨晩と同じ月餅をお渡しした。なんとなく自分の今回の幸運を分けられたらという想いからだ。後日、彼女から自分も別の会場前で小山田さんに会って写真を撮っていただきましたと連絡をいただき、また幸せな気持ちになった。
その翌年、翌々年にも、東京でライブを観たり、ある会場で間近にいらっしゃる姿をお見かけしたが、遠くから見守るだけにした。元気でおられるだけで充分だと。たぶん、私は自分の思い出を更新できて、なにかが成就したのだ。
やんちゃなイメージだった昔の面影はあまりなく、柔らかな表情で、落ち着いた話し方になっておられた。きっと私などの何十倍、何百倍もの経験を積み、素敵な仲間たちと出会って人生を深めてこられたのだろう。
2021年はおそらくその中で、最も辛い年になったと思う。でも、待っている大勢の人たちがいるから、きっとまた戻ってこれる、そう思う。そしてそのとき、また多くのファンの人生を音楽で彩ってほしい。美しいギターの音を奏でながら、彼にはただ歌い続けてほしい、澄んだ声で力強く。
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