甘蔗(きび)の尾花の出揃ひて
Yoricoさん、返信がすっかり遅くなってしまいました。
こちらはここ二、三日雨が続いています。沖縄って梅雨の時期にはそこまで降らず、代わりに冬にだらだらと雨続きの日が多いような気がします。
一月の宮古は製糖期で、雨の合間をぬってサトウキビの収穫が行われます。市街地に住んで職場と家の往復をしている昨今、なかなかその様子を見ることができないのですが、少し車を走らせると、あちらこちらの畑で刈り取り作業をしています。今ではほとんどの畑でハーベスターによる機械作業ですが、たまに昔ながらの手刈りをしている風景を見ると、昔、確か今の宮古島東急リゾートの近くにあった、おじいたちの畑を手伝った子供時代を思い出して、ほっとします。畑の横っちょにパラソルを立てて、つばの広い日よけ帽をとってタオルで汗をぬぐいながら、十時三時の休憩をとり、チョーキ(おやつ)をほおばる農家の方々の姿はとても尊いです。
”見わたせば 甘蔗(きび)のをばなの 出そろひて 雲海のごとく 島をおほへり”
ーサトウキビの穂が島を覆う宮古の冬を、こんなふうにとても優雅に読んだ歌人がいました。医師の宮国泰誠さんです。私が生まれた1970(昭和45)年、宮中詠進歌に入選し、歌会始で披露されたもので、長く地元で愛されてきた歌です。
機械であっても手刈りであっても、刈り取られたサトウキビは束ねられて畑に積まれ、搬送のトラックを待ちます。キビは製糖工場に運ばれ、原料糖になります。工場の煙突から煙がもくもくと上り、甘いような発酵したような独特の香りが周囲に漂います。この季節のサトウキビ畑の風景を好んで描いたのは宮古島の洋画家、下地明増(しもじ・めいそう)さんという方でした。重なったサトウキビに柔らかに降り注ぐ冬の日差し、その陰影。油絵具が塗り重ねられているのに、まるで描かれたキビの切り口から甘い汁の香りが漂ってくるような気がするのでした。私はこの方の作風を勝手に宮古の印象派だと思っているのですが、きっとご本人もミレーなどに大きく影響を受けたであろうと思います。
下地さんが高校時代に指導を受け、下地さん自ら「とても影響を受けた」と述懐されていた宮古出身の洋画の先駆者に、宮原昌茂(みやはら・まさしげ、通称みやはら・しょうも)さんという方がいました。その方について以前書いた文章があるので、もしよかったらYoricoさんもお読みになってみてくださいね。宮原さんの絵は宮古島市総合博物館に常設展示されているので、きっとご覧になったことがあるのではないでしょうか。
Yoricoさんに昨年いただいたクリスマスカードが、バンクーバーのダウンタウンの空気をまとっていることを知って、嬉しくなって、すんすんと嗅いでいます。カードって、やっぱりとても有り難いですね。この方が遠くの街から投函してくださったのだと思うと、いっそう。Yoricoさんの大切な方から天花粉の匂いがしたことを読んで、大学時代、あるラジオ番組に送るリクエスト葉書に、こっそりベビーパウダーを振りかけて(そのあと粉は払い落として)からポストに入れたのを思い出しました。もちろん届くまでにそんな微かな香りなんて残っているわけはないのですが、香水じゃなくて何かほっとする香りを残したかったのでしょう。
私は少女時代にあまり親に関心がなかったせいか、お母さんの匂いを思い出すことが、Yoricoさんのようにはできません。ちょっと寂しいことですね。
伊波普猷さんの著書『沖縄よ何處へ』のご紹介ありがとうございました。偶然にも数年前、ジュンク堂那覇店で沖縄の古書店が会した古書市をのぞいたとき、この素朴だけれど郷土玩具のような色合いの装丁に惹かれて買い求めていたのでした。先日の書簡をきっかけに一気に読み終えました。Yoricoさんが仰るように、これは今の沖縄の人たち、沖縄問題について考えたい方々に、ぜひ読んでいただきたい内容だと思いました。独自の文化とペースを保ちながら暮らしていた琉球の人々が、中国や薩摩(日本)との間で翻弄されていくさまを紐解き、ときには辛辣に沖縄の行く末に警鐘を鳴らす、優れた政治エッセイです。当時この講演を聞いた沖縄からの移民の方々は、どんな思いを持ったことでしょう。もう何十年も前のことですが、できることなら時空を超えて講演会場に私も同席し、聴講者のご感想をお聞きしてみたいという想いにかられました。
先日、とても気持ちが落ち込んでしまった原因のひとつは、名護と南城の2022市長選の結果もあったろうと自分で思います。沖縄は結局長いものに巻かれたほうが楽なんだ、という流れが出来上がりつつあるのだろうか、伊波普猷さんがご健在だったら、どんな言葉を発せられるだろうか、と。
伊波普猷さんは沖縄県立図書館の初代館長でもありましたね。こうして過去と未来、離れた空間同士で人がつながる本というものの可能性を改めて感じました。私は8年ほど前から5年間、地元の図書館で郷土資料を担当していたのですが、そのときに知った数々の素晴らしい郷土本のことをもっと勉強して、知らせるお仕事を出来たらという夢が捨てきれません。個人的に、そのころ資料で知った普猷さんの弟、伊波月城さんのダンディなお姿が印象的で、いつかちゃんと調べてみようと思ったまま手つかずなのでした。
本といえば、今年2022年は、ロシア出身の東洋学者ニコライ・A・ネフスキーの冊子をつくるお手伝いをすることになりました。彼の生誕130年、宮古島来島100年の節目にあたるメモリアルイヤーなのです。また進捗状況も踏まえながら、ここでも書いていけたらと思っています。
まだまだ書きたいことが、開花を待つ寒緋桜の蕾みたいにいっぱいです。Yoricoさんと、いろんな方との往復書簡も毎回興味深く拝読しています。Yoricoさんも、たくさん話の花を咲かせてくださいね。
暦の上でも、春はもうすぐです。